第2話 転生女王、新たな人生を始める。

「御令嬢は、黄昏の主に死を望みそれを叶えられた。私は、間違いなくクローディアではあるけれど、黄昏の祝福によって死せぬ体に押し込まれた、おそらく通りすがりの亡国の女王だったと思う」


公爵令嬢クローディアの中に、国王として生きた30年の記憶が溢れた。

身体に記憶が定着するまで、高熱に浮かされたクローディアは1週間、ベッドから起き上がることができなかった。


ようやく起き出して、自室のソファーで父と兄に向き合っているいま、かつての名はもう思い出せなくなっている。



クローディアという響きにとても似ていたはずだ。



愛称が同じディアだったからだろう。クローディアという名前の支配の方が、この身体には馴染む。


私は私だという確信だけが、胸の内をドンと占めているのが不思議だった。

きっとこれは、一国の王として君臨していた魂の強かさの表れなのだろう。




「・・・・クローディアが、死を望んだ、だと」

父公爵が呆然と空に視線を投げて呟き、兄は、眉間に皺を刻むと口を一文字に結んだ。



「体も記憶も生きているぞ。ただ、魂が違う。まったく、ふざけた神があったものだ。次に出会ったら、強く抗議しよう」


しっかりと記憶にある。この身体の父と兄を前に、クローディアは深く長いため息を吐いた。忘れてしまう前に、伝えねばならない。


不器用千万ながら、去った魂の主を愛していた、この父と兄に。




「・・・私は、深く悲しみ傷ついて、壊れかけていた。あの黄昏の中で、このままでは厄災になると、それだけは嫌だと訴えていた。悲痛ではあった。が、立派だった。通りかかった私が、思わず寄り添いたくなるほどに、な」


『私』が少し混合してしまうが、仕方がない。もうすぐ完全に一致する手応えはある。そのとき、あの黄昏を覚えていられるかどうか、クローディアには自信がなかった。



 完全に同化するのなら。家族に転生を隠し、輪廻へ向かった御令嬢に成り替わって生きることも考えた。


・・・・が、それは、不実であろう。


記憶にある腹は真っ黒でも愛情に一寸の狂いはなかった兄であれば。

別の記憶にある”あの”シルヴァルネ公爵であれば、きっと理解する。父は、冷徹冷酷な氷結宰相と国内外で畏れられている、が、王様業をしていた私の記憶が確かならば、懐は深く厚い男のはずだった。



「公式な式典で、あの屁っ放り腰王子が聖女を伴ったことで、深い悲しみと抑えきれない嫉妬に、魔力が暴走しかかかっていた。止めるには、自分の息の根を止めるしかないと決断し、実行したのは、さすが、貴公の御息女だ。血は争えないな、、、って、今は私の血なのだが」


「・・・クローディアの婚約は、この国のためには解消できない政略だった」

「父上、あのボンクラ王太子、この国に必要でしょうか?」





 「おいおい、王太子殿下がなんだって? 筆頭公爵家の一室で、物騒な話はやめてくれ?」



人払いをしているはずのクローディアの自室に、新たな声が加わった。

テラスの大窓を開きながら、現れたのは、黒髪に夏の青空のような青い瞳を持つ、中年の美丈夫だ。


その声を背に、父フランシスがすっと半眼になり、兄アレクシスは苦い笑みを浮かべて首をすくめている。



 正面から黒髪の美丈夫に対峙しているクローディアは、父と兄の反応を確認して微かに首を傾げた。なんとなく、この男に見覚えがあるような気がする。


かつての私が、少女だった頃。


この国を訪問し出会った、あの黒髪の青年騎士に似ている、気がする。・・・のだけど、まだ記憶の定着が甘くて、ちょっとふわふわしているせいで、よくわからない。



———本当に、あの黄昏の主め、なんてことをしてくれたんだ。





「窓から出入りするなと、何度言えばわかるのだ? しかも、ここは娘の自室だ」

「目覚めたと聞いたからな。謝罪に来たんだ、王族の護衛騎士として、な」


 公爵令嬢クローディアの記憶にある、この男の名前は『レオ』。謎の第六騎士団団長という肩書きを持つ、宰相である父の部下でもある、ということになっていたはずだ。


・・・・あやしさ抜群じゃないか。と、今の女王の記憶が混ざったクローディアなら感じるのだけれど。はてさて。



「王太子殿下を排除したくなる気持ちはわかる。が、耐えてほしい」

「国王陛下がさっさと王妃を迎えてくだされば、何も問題はありませんよね?」


兄がにっこりと笑って、黒髪の男を振り変えれば、父は振り返りもせずに腕を組み目を伏せて冷たく平坦に言う。


「私の娘は、フェンザス皇帝の孫なんだがな。あまり蔑ろにされては、我が義父殿の心象を害す可能性があるとは思わんのか?」


「はははは、さすが我が国の誇る敏腕宰相閣下だ、痛いところを突く。が、もちろん、なんとかしてくれるんだろう?」


謎の騎士団長は、開き直ったように笑って、どかっと1人がけの椅子に座った。


それで、クローディアと、父と兄とが向かい合っている間に横たわる長テーブルを、レオ団長を加えて、コの字になって囲む配置となった。





「・・・顔色が良くないぞ。 あまり無理はしない方がいいな」


少し前屈みになって顔を覗き込んできたレオに、クローディアは少し身じろぐ。

なぜか胸の奥が微かにざわめいて、頬にうっすらと朱が浮かぶ。


・・・やっぱり、見覚えがある。

さて、どう対応したものか。



判断に迷って父に目配せをすると、表情を消し微かに口角を上げて目を細めている。

これはいつもの、父の、宰相としての顔だ。



 目覚めてからの父の態度の豹変を、輪廻の輪に入ったご令嬢に見せてあげたかったな、と、クローディアは思う。


父と娘との間には誤解があったようだから。


父によく似て不器用な彼女の17年の生涯は、決して幸せなものではなかった。

まぁ、信頼していた伯父に誅殺された私がいうのもなんなんだが・・・・




 「殿下との婚約は継続せねばならん。が、妥当と判断できる要求であれば、私から陛下に進言しよう」


父が職務的な態度をとるなら、自分も”王太子の婚約者”という職務を持つ人間として対応すればいのだろう。クローディアはそう判断して、心を平坦にして、記憶にあるご令嬢の皮をかぶることにした。


「ありがとうございます、お父様」


すん、と表情を消して、少しだけ口角を上げる。と、さすがは親子だ。よく似た、感情の読めない無機質な笑みが浮かんだ。



 転生について話すのは、家族である父と兄までだ。


このレオという男、父と兄の態度をみれば、信頼のおける人物だと判断できるのだが。クローディアの記憶の中では、ただ、父と兄の親しい仕事関係者というだけの他人だった。



「・・・わたくしは、国の情勢も考えず短慮を起こしました。大変なご迷惑をおかけしたこと、深くお詫び申し上げます。護衛と警護を担当されていた騎士団の皆様のお手をお煩わせしてしまい本当に申し訳ございませんでした」


「・・・理解してくれているなら、助かる。相手が聖女でなければ、簡単に排除できるのだがな」


レオ団長は、心底忌々しげに、苦い吐息を溢した。




「お父様、わたくしと殿下の婚姻は、フェンザス帝国とこのヴァラン王国の友好の要ですわよね?」

「そうだな」

「では、わたくしは、国の民に対する安全保障の一環として、その役を果たしましょう。ただ、果たすのは、その役割だけにしていただきたく存じます」

「役割だけとは?」

短く問い返しつつ父の眉が微かに上がった。兄の口角もクイッと上がる。そして、レオ団長からは表情が消えた。きっと何をいだすのかと警戒しているのだろう。



「ええ、陛下に、殿下と私の白い結婚を、ご進言くださいませ。殿下には真実の愛で結ばれた聖女様がおられますもの。私との間に御子は必要ございませんでしょう? きっとその方が王宮の空気も良くなると思います」


微かに笑みを浮かべて、勤めて平坦な声音と態度を心がける。


あんな顔がいいだけの屁っ放り腰王子となどに、絶対に『私』は渡さない。

肌なんて重ねるものか。口付けすらしたくない。


国の安全のための政略的な婚約者を蔑ろにして、正式な式典で恋人を同伴するなど、どうして許せよう。


健気なクローディアをを傷つけ悲しませた報いは必ず受けてもらわねばならない。



「殿下には、わたくしに指一本触れる必要はないと誓書を記していただきましょう。公式な書類があれば、聖女様の心の安寧も大きくなりましょう? ああ、そうですわ、ついでに、婚姻式の折の口付けも交わすのは聖女様とだけでよろしいと、加えてくださいませ」


「いいだろう。必ず進言し、誓書もとる」

「とてもいい案だと思うよ、ディア。白い結婚であれば、離婚も簡単だしね」


父の機嫌が微かに上昇し、兄が楽しそうに笑う。クローディアの顔にもうっそりとした冷たい笑みが浮かんでいた。


「・・・・手厳しいな」

レオ団長の顔は最上級に苦々しい。


「そうでしょうか? ところで、お父様、今回の、公式な場所で殿下が聖女様をエスコートなさったことについてですが、どのような対応を王宮はなさいましたの?」


「叱責、だったか?」

「ええ、父上、叱責だけ、でしたね」

「教会のご機嫌取りも社会情勢の安定には必要だから、まぁ適当だろう」

「はい。しかし、あの2人は許されたと思って付け上がるのでは?」


「まぁ。お兄様、よろしいではありませんか。王太子殿下と聖女様との仲が順調であることは喜ばしいことです。きっと王都の民も大喜びですわ。みなさま、大好きですものね、この類の恋愛劇場は」


「・・・・クローディア嬢は、本当に構わないのか? 王太子殿下への気持ちは」

「かけらもございません。私は、もう舞台を降りております」

気まずげに口を開いたレオ団長を、クローディアがさりげなく言葉を被せて、ぶった斬る。


テラスから飛び降りるという、派手な演出で、だ。

そして、あのクローディアは、人生の舞台からも降りてしまった。



私は新に得た人生を、悔いなく生きよう。

クローディアは、白い結婚を貫き、平和の要が必要無くなったら即離縁して、自由を手に入れる。



これは決定事項だ。



平和の要の役目を終えるには、侵略を仕掛けてくる帝国を抑えねばならない。


女王クラウディア亡き後、伯父に荒らされたアスティーリア王国の末路が比較的ましなものになったのは、帝国に爪を隠している鷹がいてくれたおかげである。


準備が整ったら、まずあの方に会いに行かねばならない。

女王クラウディアとの婚約が内定していた、あの方に・・・


このとき、転生女王クローディアは17歳。

王立貴族学院3年の冬のことだった。



クラウディアにとっては、30年生涯を終えたあとの物語。

3年の漂流の後に、鷲掴みにされて押し込まれた、新しい人生の幕開けだった。








おしまい。

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転生劇場—— 通りすがりの亡国女王篇 野原 冬子 @touko_nohara

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