転生劇場—— 通りすがりの亡国女王篇

野原 冬子

第1話 通りすがりの亡国の女王、転生させられる。

 アスティーリア王国の創国神の神殿の奥深くに、その窟はあった。


手前の岩屋の中、こんこんと沸きだす冷泉で禊を済ませた女王クラウディアは、素肌に薄着一枚を引っ掛けて魔法陣で封じられた窟の入り口へと進む。


アスティーリアの王は、年に一度、王都郊外の森の奥にあるこの神殿を訪れる。窟の奥にある水晶の祭壇に傅き祈れば、加護が強化され、死ににくい身体を得ることができるのだ。



 大陸南部にある小さな半島を占める小国アスティーリアが、背後のイステル帝国の脅威に晒されながら、帝国以上の長い歴史を刻み続けていられるのは、歴代の国王が『死ににくい』という特性を最大限に活かしてきた結果だった。




 しかし。長い年月の中で、民の信仰心が徐々に大聖女を筆頭とした聖ロアナ教へと流れ、土着の創国神を忘れ始めた。同時に、国王に与えられる加護も徐々に薄れていった。


 先代国王が41歳という、この国では異例の若さで逝去したのは、原因不明の病に犯され加護を得るための儀式を行えなくなっていたためでもあった。が、何よりも得ていた加護そのものの効果が薄く、病を寄せ付けてしまったことに起因していた。


 父王が病に倒れ神殿に赴けなくなった年、名代として最も健康で腕っぷしも強かった16歳の第一王女クラウディアが神殿に入った。2年後に父王が亡くなると、王位を継承。30歳の誕生日を迎える今年で在位は14年になっていた。


 帝国の脅威を巧みに退け、国境を守り、国民の安全を保障する。賢王として、大陸にも名を馳せ始めていた今日この頃だったのだが。





 窟の扉の魔法陣の解除は、身に受けた加護を練ることで行う。

クラウディアは、静かに呼吸を整え丹田で体を支えながら、練り上げた加護を手のひらに集めると、そっと扉に描かれた魔術陣に触れた。


ゴゴゴゴゴゥ


分厚い岩戸が開いたその時。

不意に背後に人の気配が現れ、クラウディアは灼熱の衝撃に背中から胸を貫かれた。



「ぐっふっ」


内臓を傷つけられ、口から血が溢れ出る。

が、この程度で倒れるクラウディアではない。


足を踏ん張り、己を貫いた剣の切先を両手で握る。


刃を握った両方の手のひらからも鮮血が溢れ出た。

が、構わず、自分の体で刺客の剣を固定し、力の限り己の体を捻る。


「はっ 化け物めっ」


刺客は、捨て身のクラウディアに抗えずに剣を手放した。

その憎々しげに罵ってきた声音には、聞き覚えがある。


「・・・伯父上?」


呆然と、その姿を見つめてしまう。


いつも穏やかに微笑んでいる端正な顔を醜く歪めた伯父が、腰にさした2本めの剣をスラリと引き抜くところだった。



白銀の刀身に、虹色の光が滲む。


それは、強い加護を得た王の首を落とし誅殺すための剣。

国王が狂い王道を踏み外した時にのみ振るわれるはずの。

王の戒めとするために、王宮最奥の王の間に掲げられている宝剣に違いなかった。



「案ずるな。すでに岩戸は開いている。今後、創国神の加護には私が授かろう」


唯一の家族であったはずの。

親愛と敬愛を惜しまず接してきたはずの。


クラウディアの大切で大好きな伯父は、昏い笑みを口元に刷くと、なんの躊躇いもなく、白銀の剣を振るった。











 ————さめざめと泣いている銀灰色の髪のご令嬢がいる。


そして、その傍には、この空間と同じ黄昏色の髪と目をもつ人外の美貌の主が困り顔でしゃがみ込んでいた。




「なぁ、泣き止んでくれ。お前はまだ死ねぬのだ、愛し子よ。お前の体には私の祝福がかかっておるのだよ」


「いいえ、このまま死なせてくださいませ。もう耐えられないのです。戻れば、また力を暴走させてしまいます。きっと私は大きな厄災になってしまいます」


「それでも戻らねばならないのだ。それが人の業というもの」


「厄災になるとわかっていて戻れるはずがございません。どうか、どうかお許しくださいませ。このまま死なせてくださいませ」






 黄昏色の空間にぼんやりと浮かんで、ふよふよと輪廻の輪を目指していたクラウディアの虹色の魂が、2人の会話を聞き咎めた。


首を落とされた身体から離れ彷徨いでた。王の血を浴びた伯父に加護は与えられず、創国神の加護は失われて国は滅びた。


3年もの間、創国神の残滓によって国に引き留められていたクラウディアの魂は、ようやく解放され、黄昏に至る。


いよいよ輪廻の輪の中に還ろうとしていたところだったのに。意識は既になかったのに。悲嘆に暮れている御令嬢の泣き声にぼんやりと同情が浮かんでしまった。


なんとなく御令嬢の周囲ににふわふわと漂い出たところを、人外の美貌にパシッとつかみ取られてしまった。



「・・・ほう、これは、亡国の女王の魂か。いいところに通りかかったな」と、人外の美貌が目をすがめ、次にうっそりと笑む。


それはそれは美しい。

虹色の魂の主にとっては迷惑千万な、黄昏の神の笑みだった。


「愛し子よ。我とて愛しいお前を人の業に染め上げて壊しとうはないのだ。傷ついて壊れかけた魂を癒し浄化しよう。さあ輪廻の輪に進むがよいぞ」





ぐいっと銀灰色の髪の御令嬢の中へ押し込まれた。



はぁーーーーーーっ!?



虹色の魂の驚愕の叫びが、黄昏た空間を引き裂いた。














「はぁーーーーっ!?」


1週間も目覚めず、懇々と眠り続けていたクローディアが、叫びながら寝具を跳ね除け飛び起きた。


「クローディアっ ディアっ」

途端に、ガタンと何かが倒れる音がして、ぎゅうっと大きくて暖かい胸に抱き込められる。


「ぐえっ」


ぎゅぎゅうと締め上げてくる腕の強さに、踏み潰されたカエルのような声が出てしまったのも仕方なかっただろう。この身体は、以前のものよりも脆いようだったから。


・・・・って?

以前の身体ってなんだ????




「旦那様っ お嬢様をお離しくださいませ! せっかくお目覚めになったのに、圧死させるおつもりですか!!!」


初老の侍女長ハンナが主である父公爵フランシスを毅然と怒鳴りつけている。


侍女長のハンナ?

え? 誰だそれはっ!?


ちょっ、ちょっと待て! この男!


クローディアは己にしがみついて号泣する壮年の銀色頭を凝視し唖然とした。

「お父様!? え、シルヴァルネ公爵がお父様って!? って、え? ええええええ?」



「ああ、かわいそうに。頭を強打して記憶が混乱しているのだね。心配はいらないよ。ここは王宮ではない。お前の家だよ、ディア。私がわかるか? 兄のアレクシスだよ?」


別の方角から届く心配そうな声音に、首をギギギギギっとぎこちなく向けると、そこには、見覚えのある公爵にそっくりな若い銀髪の貴公子がいた。


「え? こっちが公爵か?」


クローディアの知っているシルヴァルネ公爵の顔は、お兄様の方が近い。

公爵と対面したのは、16歳のとき父王の名代で臨席したヴァラン王国の建国式典の・・・・


あれ?

お兄様?

アレクシス・シルヴァルネという名前の・・・・

私のお兄様、だわ。


私のお父様は、フランシス・シルヴァルネ公爵ですわよね? 

私はクローディア・シルヴァルネ公爵令嬢?


って、誰だそれ?



「私は次期公爵だね。やはり記憶が混乱しているのかな? 私は父上によく似ていると言われてはいるけれど・・・ ハンナ、ジュード先生を読んできてくれるかな?」



「私は、クローディア・シルヴァルネ? ・・・・王太子殿下の婚約者で、17歳の学生で・・・」

クローディアは試みに、知り得る記憶を口に出して呟いてみた。


記憶はある。

確かに、あるのだけれど。


・・・・なんだろう、とても機械的な、味も素っ気もない、感情の欠けた記録のような記憶だ。


が、しかし、だ。

その無機質な記憶によれば。

「・・・えっ? お、お父様は、私に興味も愛情もない、冷徹な方だったはずでは?」


なぜ公爵に抱きしめられていのだろう?

いや、これは、締め殺そうとしているのか?

そっちの方が納得がいきそうだが。



「くっ 違うぞっ それは誤解だっ ローザに似て美しく育つお前にどう接して良いか、ちょっと戸惑っていただけだ!」



「ちょっと、とは?」

「ちょっとでございますか?」

兄とハンナの冷たい呟きが重なってポロリと磨き上げられた寄木張りの床に落ちたようだったけれども。


しかし、クローディアはそれどころではなかった。



ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅうううううっ、と、さらに強く、縋り付くように抱きしめてくる腕に、がっちりとホールドされて・・・




ようやく戻った意識を、混乱のうちに、手放さざる終えなくなったからである。


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