20.偶然と必然


 上明かみあきら。現在は『うらない』と呼ばれる店を個人で経営している、現役高校生。


 ーー彼は数年前、善行家という霊媒師の一族で暮らしていた。


 その中でも、行明と呼ばれる善行宗家表門陽上直属の家門、その後継者候補として教育を受けた。

 行明の当主は占術を主にして宗家の補佐を行い、善行家を導く役目を担う。他の本家とは全く違う役割を負う特殊な一族である。


 後継者候補として占いの能力を見込まれた少年は、しかし、善行家の人間に当たり前に備わっているべき霊視を持っていなかった。

 彼は迫害されたが、いくら凄惨を極めようとも彼は死ぬことが無かった。同年の霊視を持つ少年たちが、いくら脱落し、いくら死亡しようとも、彼は候補として残り続けた。


 それはまるで、彼が選ばれし者のように。


 時が経るにつれ、彼は頭角を現す。その占い一つで、すべてを見通すことが可能な人物として、密かに有名になった。その名も姿も明らかにされることはなかったが、彼を目当てに占いを求める者は多かった。人々は彼を、行明の先見さきみと呼んでいた。


『すべては、つながっている』


 彼はよくそう発言した。周囲は、その発言を陰陽道になぞらえたものだと考えていた。


 無極の混沌である気一元から陰陽二気が生じ、それが流動し続ける。万物はそのように生まれる。

 白と黒が溶け合い混ざり合う直前の図、あるいは白黒の勾玉を円の形に組み合わせた図を見たことがあるだろうか。その図は太極図(陰陽魚)といい、万物の流れを示すものである。陰陽道に携わるものにとっては基本中の基本という思想だ。


『易に太極あり、これ両儀を生ず。両儀、四象を生じ、四象、八卦を生ず』


 太極は道、両儀は陰陽であり、一陰し一陽することが太極の道である。

 

 それを真の意味で理解しているものなど多くない。人は今にしか生きていないのだから、素養としての知識ではなく、それを真に体現するものなど、死んで生まれ変わってもあり得ないというのは現状。


 彼が繰り返すその言葉は当たり前のことでありながら、時間の変容に流される人の身では重視されるものではなかった。


 周囲はその発言を繰り返す彼に、困惑と嘲笑を返した。明はそれに何も言い返すことはなかった。


 彼は13歳ほどの年齢で、宗家の上層部の一人息子に恨みを買い、行暗へと飛ばされた。

 行暗は行明の対、善行宗家裏門下月直属の家であり、善行家一門に刃向かう者の粛正を仕事にしている。見たことも聞いたこともないような地獄がそこにあると言うが、その内情は一切明らかにされていない。


 ーーしかし、彼はそこからも無事に生還した。これは偶然と呼ぶには不自然な生還だった。


 占いしか出来ない少年が、どうしてあの行暗から抜け出すことが出来たのか。周囲は違和感を覚えるけれども、彼に霊視がないこと、霊力といったものはかけらもないことは事実であり、彼に反抗するすべはないということは長年の迫害で証明されていた。偶然や運としか判断できない領域であった。


 周囲から、彼は浮いていた。得体の知れない少年だと思われていた。行明の当主であるリサが、彼を徴用し管理していたことでかろうじて、一族に受け入れられていた。


 ーーそして、ある日ーーいや、夜の一番長い日。

 陰が極まり、陽へと転換する一つの区切り。冬至。


 善行家が一番忙しい日に、それは起こった。


 明は善行宗家当主ーー善行家全体の長ーーを瀕死に追い込み、行明の占術道具とともに逃亡した。15の時である。

 それ以後、彼の所在は確認されず、行方不明とされてきた。粛正が行われることもなく、彼は逃亡している。


 この事実は一門の本家当主、もしくはその後継者候補にのみ伝えられた。当主はそのときから表舞台より姿を消し、詳細な情報は外には流れていない。

 

 何の能力も無いはずの明がどうやって、当主をその状況に追いやったかは誰も知らない。知るのは当人ただひとりだけ。

 


「……カエル」


 明はカエルを見つめた。客観的に感情無く観察した。


 因果関係は、二つ以上の現象が組み合わさって成り立つ。原因と結果は複数存在し、多数の要因によって、その結果が導かれる。


 カエルにこれから待っているのは「死」である。生命活動の停止。

 死因は、ショック性の心肺停止とでも判断されるだろうか。このままいけば血液の循環が停止し、死を迎える。

 呪いによる死は唐突なものが多い。事故であれ、不幸であれ、死へと導く流れが整えられるのだ。小さな不幸から積み重なり、絡め取られて死を迎える。


「お前は幸せだったか?」


 明はカエルに問う。答えられるわけもないと分かっていたが、質問した。

 意識をこちらに向けるために声をかけ続け、そして観察し続ける。


 命運は道筋である。生まれながらにして不運な人、幸運な人。

 あり得ない確率を当たり前に手に入れる者は、いる。命運には差がある。

 生まれ、育ち、環境、周囲。人は道筋の中にあった。


 しかし、それを意図して変えようとするのが人の意思だ。

 人によって差異がある運の流れを、人工的に抽出としたものがのろいであり、まじない。人の願いを叶えるためのすべを呪いというのだ。

 

 それは非科学的で、明には感じ取れない霊感的な世界での話。「ありえない」と言う言葉で否定してしまえる、異常で不自然なもの。

 しかし、その一方で現象は確かに現実に作用している。


 ーー現実は明の領域だ。


 明は、カエルに触れた。心臓がゆっくりゆっくり動いている。鼓動が鈍く、弱くなっているのが分かる。眼を瞑って、数秒考えた。本当に、これでいいのか。この選択以外に、いまの明で出来ることがあるのではないかと。


 しかし、いくら考えてもカエルが生き残る道が見えない。状況は、決定事項のようにカエルの終わりを示していた。


 カエルはここで死んでいい男ではない。この男が誰かに虐げられずに自由に生きられるようになって、まだ数年しか経っていない。

 徐々に普通の生活に慣れてきたところだったのだ。好きなことをして、人と憎み合わずに関わることを知って、これからなのだ。……まだ、はじまったばかりなのだ。


「死なせるわけには行かない」


 明は決意をした。すべてを見通す眼を開いた。



「輝埜さん。カエルを移動させるので手伝ってくれ」

「……? 一体何をするつもりですか」

「あの霊脈のある場所に連れて行く」

「は?」


 明は感情のない瞳で、燈に指図する。その顔にはさきほどまでの焦燥は見られず、落ち着いていた。


 ーー明は、願いを叶えるための方法を知ることができる。


 明には占い師として、誰にも負けることがないと言う自負があった。

 知識を経験として修めてきた事実が理由だが、彼の特質がその理由だ。


 彼の能力はありとあらゆることを分析し、観察し続けてきた経験によるものだ。自己研鑽のたまものである。

 そして、もう一つ。

 生死の狭間を散々さまよい、普通の人には与えられることのない情報を自らの中に蓄積してきたことによって、彼は新たなる力を得た。


 人の死を身近で見て、生を感じてきたことによる、ある種の悟り。


 ーーすべてはつながっているのだ。


 それを認識したとき、彼は原因と結果の作用を操ることが可能になった。10歳にもならない頃だ。

 無関係に見えるすべてがつながっていることを知った。一つの行動が波紋のように大きく波打つのを理解してしまった。占いは、その切れ端をたどっているだけなのだと。

  

 ーー先見。願いを叶えるにあたる選択肢を俯瞰してしまうことが出来る能力。


 簡単に言えば、成功のマップだ。個人の望みを絶対的に叶えてしまえる、そんな力を明は持っていた。


(全体じゃない、のための能力だ)


 明は、自分の力をそう表する。一人の願いのために、他人の願いをねじ曲げる力である。


 この力を使うと、自分が万能になった感覚に溺れる。

 この力を多用していたあの頃は、死も生も軽く見えてしまっていた。ひどく傲慢で、愚かだったとも思う。惨めでもあって、たいした思い出がない。


 自分の傲慢に冷や水を浴びせられ、行暗で生活した頃の方が思い出はたくさんある。

 あの生活が、今の明の根本を支えている。暗闇の中は息苦しくても、そこで必死に生きているものがいると知ったあの日々。

 そして、この力の危うさにも気づいた過去。


『ここから出る方法を探す』

『この家に生まれた者は、ここで生きてここで死ぬ。それ以外の道はない』

『ふざけるな』

『簡単に自由に生きられると思うなよ』


 諸刃の剣だった。明があの男にしたことはたいしたことではないが、今考えてみるとすべてを動かしてしまったのだと思う。

 あの男は良くも悪くも影響力があった。中心を失ったグループは瓦解する。


 あの夜、明は二度とこの力を自分のために使用しないと誓った。自分の命の危機があろうと、絶対に使わない。


 しかし、その誓いはいま破られた。

 

 彼の能力は、彼の意思に起因する。彼が望み、彼が必要とする事象を自然が導く。

 因果性を超越した、事象の観察者。自然が彼を奇跡へと干渉を許す。


 ーー偶然の重なりを、必然の重なりにする。


「カエル、覚悟しろ。たぶん、これがはじまりになる」


 明は、人が死なず、悪影響ももたらさず、霊脈を消す道筋を探して実行することにした。カエルを回復させ、できる限りの犠牲を減らす最良の選択がこの場には必要だった。


「ほんとうにやるんですか。呪いがどんな影響をもたらすか、分かりませんよ」

「やる。はい、1、2」


 明は燈に協力してもらい、カエルを霊脈へと投げ込んだ。そうからやった。

 

 この能力は、全能なんかではなく、その道にたどり着くための方法を明に見せるだけ。

 実行し、成功させるのは明の行動次第であり、それには困難が待ち受ける。願いを叶えるにはそれだけの犠牲が払われる。ただ、道筋を誤らなければ絶対に成功する。自然の描いた道筋を提示し、たどることが明の役割だった。

 

 自然が明に見せた選択は、霊脈の力を利用することだった。

 霊脈は、全ての流れのはじまり。自浄作用を持つ霊脈内に直接漬け込んで、消えかけた生命に新たな息吹を吹き込むこと。川で洗濯するような物だ。穴が開いていなければ、こんなことはできなかっただろう。


 ーーそして、あとは待つ。


「え? なんの反応」


 動くのをやめた明にうろんな眼をしていた燈が眼を見張り、ひどく驚いたように霊脈を見つめた。


 ーーそこから、言の葉が流れ込む。かすかで、でもしっかりと聞き取れる女性の声だった。

 

『戸、差し固め』


 ーー扉を固く閉ざして。


『ところ、閉ぢこみ』


 ーーその中から出られぬように。


『ありあらぬを故に、まづ、晴るけ給へ』


 ーー存在していないものを、まず晴らしてください。


 力を持つ言葉があるなら、きっとこれがそうなのだろう。信じがたいが、その音を聞いただけでーー明でも分かるほど一瞬でーー視界が澄んだ。空気がきれいになったのが分かったのだ。


「神の采配か」


 誰かは知らないが、ありがたいことに霊脈を閉じてくれた人がいた。これで、霊脈の影響が外に出ることはない。



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