19.凶

 


「……ねぇ、なんで一生懸命がんばってもできないことって多いのかな」


 母親と二人、小さなアパートで暮らしていた彼女ーー恵麻は、経済的に苦しみながらも、毎日努力していた。


「みんな、いろんな苦しいことがあるよね。私はお金が無いけど、裕也くんは親からのプレッシャーがあるじゃない? 毎日、習い事に追われるなんて私には絶対無理だもん」


 情けなさそうに笑う彼女は、何も悪いことはしていなかった。それでも彼女は自分の人生に引け目を感じていた。普通に生きるのは難しくて、幸せに生きるのはもっと難しい。


 いっそのこと、この世で二人になってしまえたらよかったのに。


 ーー彼女は苦しんでいた、おかしくなった。そして……。



「自分のせいじゃないのに、どうして自分たちが責任を取らなくちゃいけないのか、裕也は疑問に思わない? 自分がしでかしたことは自分で責任を取るべきだって世間は言う。でも、実際に自分で責任を取ってる人は少ない。何もしていない自分たちが誰かの責任を取らされてる。理不尽だ。

 誰も僕たちを助けてくれないんだから、僕たちは自分で動くしか無いんだ」


 世の中の不条理を嘆く彼ーーアメノは、静かに全てを憎悪していた。できないことなんてないように見えた彼も、誰かに不自由を強いられてきたのだろう。


「君が動くことで救われる人は確かにいるんだ。僕は味方だよ、君がしたいことをしたらいい」 


 裕也を説得しながら、それでもどこか皮肉にゆがんでいた言葉。自分という存在すらも憎んでいたみたいに裏返しの感情が含まれていて、裕也はそれにひどく共感した。単なる同情でも先導でも無かったからこそ、その言葉に動かされた。


 ーー行動に起こした後、快感と同時に恐怖心を深く感じ、体が常時ねじれているような感覚に苦しんだ。正気に戻ってそれが彼の仕業だと分かっても、裕也は結局彼をうらまなかった。


 しかしいま、彼の大きな命が小さくなって、吹き消されたのを感じた。目的は達成しきっていないのに。


『ははは。僕が死んでもさ、いいんだよ』


 心の中で語る彼は、裕也に新たなつながりを残し、消える。……仕掛けられた芽は、徐々に芽吹き広がっていく。

 ーー誰も知らぬうちに。




 燈から丁寧に説明された現在の状況は、思った以上に切羽詰まっていた。

 呪場から呪が流れ込むって? 最悪じゃないか。


「解決策は?」

「こんな状況初めてなので。ここまで開くと閉じることも私では不可能です」


 明の手に思わず、力が入った。


 ……暁月に、はじめて共感しそうになった。この人、仕事できないだろ。

 原因調査をしたいというのは理解できるが、それが周囲に悪影響を及ぼす可能性があるんだったら、すぐに閉じておいてくれ。

 人命に関わる可能性が高いなら、まずそれが優先じゃないのか?


「……宗家のほうで動いているので、連絡を取れば、専門の術士が来るはずです」


 輝埜燈、あんたは専門家じゃないのか。『』だろ。


「……早く連絡取ってくれ」


 明は自分の運も尽きたかと半分諦めながら、と燈を急かす。敬語を使うのはやめた。

 しかし、彼女の動きがやけに鈍い。連絡を取ると嫌なことがあるみたいに見えた。

 天命と思えば、起きてしまった大概のことはどうでも良くなるか、仕方ないと思えるものなのだが、今日は何やら悪縁につながる気がした。カエルを助けたら即座に逃げなくては。



 そのまま、明たちは、カエルの元に向かうことになった。

 現状、閉じることのできない霊脈の前にだらだらとしているよりも、解決しようのあるカエルの元へ向かう方が選択としては正しいと判断したのだ。専門家が、明を知っている相手の可能性も高い。

 燈のようなタイプは、プライドを傷つけられると子どものように動かなくなってしまうので、取り扱い要注意物件だが、自分の感情には正直なので、それをしっかり見定めれば普通の人である。基準が凡人とは全く異なるカエルや暁月よりは、大分読みやすかった。

 ……理解力がゼロの、善行宗家プライドの塊の皆々様と比べると、彼女は天と地の差であったのでその点は感謝だ。対処が遅いのが難点だが、美人だということでプラマイゼロである。


「もうそろそろ呪場に入ります。明さんは、一般人なので近づきすぎないでください。まずいと思ったら、即座に離れて」


 呪場は、明には少しだけ寒気がある感覚があっただけだった。しかし、隣の燈はキョロキョロと周囲を見回し、動く方向を見失ってしまったようにその場に立ちすくんでいる。


「もしかして、道が見えてないか?」

「あなたは見えているんですか? こんなにも呪が漂っているのに」


 見えれば見えるで、こういう場面では面倒だなと率直に感じる。

 明には普通の道が見えた。

 湧き水の音が聞こえるほどの静寂。美しく整えられた庭園には、違和感はない。びっくりするほど、何もない。

 ……寒ささえも感じられなくなり、あれほどたくさんいたミミズたちも幻のように消えていた。

 明にはすべてがいつもと変わらないように思えるのだが、彼女にとっては呪が集まっているようにしか見えないらしい。


「……⁈」

「どうした?」

「……呪場が、消えました」

「は?」


 唐突な一言に、あっけにとられる。

 明たちは何もしていないのに、呪場が消えたというと、残った選択肢であるカエルが行動を起こしたとしか考えられない。


 奥にはカエルの姿がある。うずくまっている姿に、急いで駆け寄ろうとする。


「待って! 止まってください。触らないで」


 ーーさすがの俺もキレるぞ。


 後ろを振り向き、続く言葉を待った。


「呪詛返しを行われたようですが、彼が持っていた呪いが暴走しているようです。巻き込まれたくなければ、近づくべきではありません。危険なのです」

「呪場は消えたんだろう。それなら、カエルはどうなるんだ」

「呪詛返しによる呪いの反発は、効果を倍増させ、より強く強力なものにします。それが呪術師が追わされる絶対的なリスク。

 もし、彼自身が呪いを押さえ込むことができなければ……、いえ、なんとか努力してみます」


 激しくにらみつけた明の顔を見て、最悪の結末を口に出すのは止めたようだが、いまの言葉から、カエルを救うすべはほとんどないことがわかった。


 ーー人を呪わば穴二つ。


 有名なことわざだ。他人を呪って殺そうと墓穴を掘る者は、その報いで自分のための墓穴も掘らなければならなくなる。

 呪いには報いがある。


 そもそも呪いなんてものから、カエルは足を洗うべきだった。

 人を呪うために能力を使うよりも、人を守るために自分の力を使えと再三言ってきたのに聞かなかったこいつが悪い。無事に戻ってきたなら、絶対に呪詛師を辞めさせてやる。


 明はそう誓った。


 そうしていると、努力してみると言った燈がゴソゴソ動き出した。


『オン・アビラウンケンソワカ、オン・アビラウンケンソワカ、オン・アビラウンケンソワカ』


 カエルの周りを特殊な足運びで回りながら、燈が真言を唱え始める。

 

 明はうずくまっている彼の近くに近寄りーー触れない程度にーー、話しかける。


「……ここの呪いは、ちゃんと対処してくれたんだな。じゃあ、あとはおまえが無事に戻るだけだぞ」 


 明はカエルの状態を確認した。かろうじて意識はあるようだが、苦痛に耐える表情をしている。

 いまにも情けなく、消えてしまいそうで。出会ったときよりもこいつは大人になったのに、あのときよりも子供じみていた。


「おいカエル。なにふてくされてんだよ」


 ーー起きろよ。


 そう明が言うと、少しだけカエルの表情が緩む。


「……」


 明はドロップ飴の缶詰のようなものを上下に振り、その穴の中からサイコロを3つ出した。コロコロと手の中に転がり込んでくる目を読み、卦を確認した。カエルの未来を読むことを意識した。絶対にこいつを救うすべを見つけるのだ。


 その結果は雷地豫らいちよ、初爻だった。


 『初六、鳴豫めいよす。凶』


 ーー声を上げてよろこんでいる。しかし、その結果は凶である。


 象に曰く、初六の鳴豫すとは、志窮まりて凶なり。


 卦主九四の応を得て、その楽しみに絶えず声に発してよろこぶ。しかし、その志が満ち極まり、必ず驕るに至るため、凶である。という意味だ。


 この状況に合わせて読み換えるなら、勝手に満足して行動したカエルは最悪の結末をもたらすということ。


「……ふざけるな」


 明はその卦を見て、怒りを覚えた。


 カエルの未来はそんなものではない。そんなことはけして認めない。


 燈の顔を見ても、険しいままだ。このままでは、もう。


「あぁ、もう、仕方ない」


 明はサイコロを握りしめた。本当なら、これから先自分にどんな困難が起きたとしても、絶対にこうするつもりは無かったが、明のこれからよりも今のカエルの方が大事だった。

 こいつのためなら、自分にかけた縛りをほどいても良いと思った。


 ーー少しは許してくれよ。


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