18.暁月の動き
♢
「ははは、わざわざやってくるなんてしつこいなぁ」
「……おまえはペチャクチャペチャクチャうるさいです」
暁月は、負の念が染みついた陰気な古びた日本家屋の中にいた。
本来であれば、カビた匂いが蔓延した光源のない空間だったろうに、その場所は淡く紫がかって輝き、火の粉が飛んでいた。乾燥しきって、畳のい草が、藁のようにはげてきている。燃え上がらないのが不思議でならない。
ギシギシと茶色く古びた畳を土足で踏み上がり、見るも無惨なほどにボロボロになった障子、ガラス窓。その周辺には大量の虫の死骸が転がっていた。
ところどころに水たまりができており、鏡のように、暁月の顔を写していた。その姿は、中学校で見たときよりも一層赤みがかり、まるで燃えているように見えた。
それに対面する形で、障子とおなじようにボロボロになり、転がっている少年ーーあめのは、嫌らしく笑っていた。
白い髪、灰色の肌、開いた瞳孔。
どう見ても、裏門の人間だった。それも、呪いに冒されて変質している。何をしたのか知らないが、自分のなかに許容以上の呪いを入れるとは呪詛を扱うのに失敗したか。
暁月がここまで追い詰めなくとも、こいつは近いうちに死んでいただろう。
「……おまえ、もう死ぬのです?」
「ははは、死なないって。君が殺さなきゃね」
「その前に、この悪質な呪いを解けです」
「やだよ、それで君は弱ってるのに」
近づく暁月から逃げるように、じりじりと離れていく。しかし、その動きは鈍い。身体にダメージを負っているようだ。突入した際、建物ごと燃やす勢いで火力を一発放り込んだ影響だろう。明との電話の後だったので、テンションが上がっていたのだ。
それにここには明がいないので、全く加減する必要が無かった。殺しても解けない呪いの場合が面倒だったから、殺していないだけだ。同じ家門のそれも分家に過ぎない人間なら、問題はない。
「どうやってこの呪いを作ったのです? 絶対に一人では作れないものです」
「……さあて、予想してみようよ」
「僕は裏門の宗家で育ちました。呪詛師がどんな存在かもある程度は理解してるです。
ふつう、呪詛師は規模に応じて低コストで呪いを成功させるよう教育されているはずです。大規模な呪いの場合、それほどのコストがかかる。
でも、今回の依頼は、別にそんなに手間をかけずとも、普通に成功したレベルのものです。企業の一部を崩壊させる程度なら、蠱毒なんて古いものに手を出さずとも企業自体を呪うだけでもよかった」
暁月は、懐からリサから預かった式神を取り出した。
面倒をかけさせられた褒美にもらったものだが、まあ式を使うことなど暁月にはほぼ無いので、明の元に向かうためにさっさと済ましてしまおうと思っていた。
「虫を大量に集めて一カ所に集め、それが逃亡しないように常に監視し続けなくてはいけず、呪詛返しの影響も大きい蠱毒なんて今時ありえないです。
それどころか、この呪は他の複数の呪も組み合わせています。それも蠱毒レベルの面倒な呪詛をいくつか。僕が視認したのは、蠱毒、蟲孵り、と死返し、あとは僕でさえ知らないものも」
ーー蟲孵りは、生きながら動物の身に卵を植え付けて孵らせる術式。壮絶な痛みとともに生まれる蟲が、呪の要。動物の負の念を利用する。
死返しは、死体の冒涜。死体をバラバラにして、人形に一部を縫い付けることでその思念を利用したり、複数の遺体を組み合わせて新たな体を作り上げる。その死体の死に様が残酷なほど、呪としては完成度が高いとされている。
「特に蠱毒。この呪いのもとは、行暗の家にあった禁忌の呪です。実際に見たことがあるので間違いない。
でも、その際も孵化して成長しきることは無かった。おまえは蠱毒の術式と組み合わせて、あの場で何をしていたのです」
壁に追い詰めて、ぷちりとアメノから無理矢理、髪を抜いた。ケラチン質がまるで糸のようになって、細すぎるので、果たして使えるのだろうかとさらにまとめて抜いた。
手で制してくるが、意に返さない。
「ははは、僕はあの子たちの立場に同情して助けてあげただけだよ。彼らの父親ももうすぐあちらに逝けるだろう」
「……往生際が悪い」
この後に及んで、周囲から蟲を呼んだようだ。それも暁月とは相性の悪い蟲ーームカデの大型。
「この世界は不平等なのに平等だと叫んでる誰かが、僕は嫌いでさ。自分たちが恵まれているからそんなことを言えるのも知らないで、人に正義を押しつけるだろ? 裕也の母親がちょうど『それ』だったんだよね。機会を与えられることも無かった僕らに、できるはずもない努力を謳う大人はさ、僕たちよりもよっぽど残酷だった。逆らう力は子どもには無いんだ。
裕也も恵麻もさ、憎んだの。僕たちから機会を奪おうとする相手を。それを僕は叶えてあげたいと思っただけだよ」
「誰かに正義を押しつけようとしているとは、自分のことを言っているのです? ……あの女が愚かなのは、あの執念の絡みつき方から分かりましたが、おまえはそれ以下です。おまえが関わらなければ、彼らはあれほど悲惨な状況に置かれることは無かったでしょう」
ジャリジャリと畳をこするムカデの足音。
向かい合わせになりながら、暁月は距離を測った。
ーー突然、頭部を持ち上げて、はねるように向かってくる!
「……!」
鋼鉄のような堅さをした背板が、暁月が先ほどまでいた場所にぶつかり轟音を立てた。
即座に蹴りを入れるが、重い。堅くてゴムのような弾力があった。衝撃がまともに入らない。
「うーん? 僕は望みを叶えてあげただけだよ。死んだのも望みのためには仕方ないことだったから、本望だったんじゃない」
「彼らは、山口裕也の家族は、死んでないです」
「あの母親死ななかったの? あれ、でも君、呪を浴びたよね。あれは命と引き換えに卵を孵らせるものだったのに」
「……僕が受けたもの以外は、全部燃やしました!」
「は、ははは、さすがにそれは予想外だ。じゃあ、この子も燃やしてしまうのかな」
ーー気が狂っている。
おかしくて堪らないと、笑う声が反響する。
「ははは、ははは!」
暁月はムカデの堅さ、素早さに少々苦戦した。思った以上に動きが速いのだ。でかい図体をしながら、複数の足が天井から床から複雑に動いて入り込み、人間にはできない動きを可能にしている。
打撃は効果が無く、ムカデは燃やせば異常な匂いを発する。それに、浄化の炎などそう何度も使えない。
「燃やしてほしいんです? でも、それはしませんです」
胴体の節、柔らかい腹。弱点があるのなら、そこを狙えば良いだけだ。速さで負けるのなら、止めれば良い。
暁月はムカデが自分に向かってきたように、体をしならせ、その胴体に飛び乗った。
『縛』
ーーその言霊で、ムカデの動きが一瞬止まる。
頭部の毒牙に気をつけながら、胴体の節を狙った。袖の中に隠している短刀を手に取って、思いっきり分断した。明に言わせるなら、力任せの暴力だ。ムカデの体液が周囲に飛んで、暁月の顔に飛び、シューと音を立てている。
暁月は頬を抑えて、せっかく修復したのにと舌打ちをした。
「目的を語りたくなくても、語らせれば良いだけです」
アメノは動きが鈍く、身体にダメージを負っているようだ。それでも暁月を嘲笑する声がひたすら、ひたすら、響いた。
短刀を思いっきり、アメノに投げつけた。足に貫通して、逃げようとする彼をその場につなぐ。
裏門の人間なら拷問にはなれているだろうが、行明の当主の術式にはかなうまい。そのまま式を発動させる。
「だれを後ろに隠してるのです?」
「それを聞くってことは、ある程度当たりつけてるんでしょ」
「行暗の当主、あるいは、裏門表門宗家の後継者争いに関連したものの命令ですか」
「……あは。でも、残念。君はそれを聞くことはできない」
アメノは手をと広げて、呪を謳った。
『暁月摩耶が送りつけし悪意は、我が送り返す。我が物であった痛みは、今より暁月摩耶のものとなる。我が苦悩は、今より暁月摩耶を棲家とする。暁月摩耶が送りつけし災難は、我が送り返す』
暁月がアメノに与える害はすべて、暁月に返る。それは呪詛返しだった。
「呪詛師が呪詛返しか! 職に恥じるといいです!」
「プライドなんて、無いよ。あったら、こんなふうにはなってない」
周囲から、さらに虫があふれてくる。先ほどまでとは比べものにならないほどの虫があふれる。
ミミズ、ムカデ、蛭、ウデムシ、ヤスデ、クロスジヒトリ、カマドウマ、ゲジ、ゴキブリ、ハエ、シミ、蜘蛛。気持ち悪いものだけを丹念に集めたと言っても過言ではないようなムシばかりだった。
部屋を埋め尽くさんと、山になってムシがむしムシムシムシムシ……。
暁月は大量の虫たちの中に埋まってしまった。
「ははは、君も僕も操り人形に過ぎないんだ。このまま食べられちゃえば良いよ、君も忌み子の人生はつらかったでしょ?」
そこから、アメノは出て行こうとする。その足下はしっかりとしていた。いつの間にか、暁月が負わせた足の傷がきれいに治っていたのだった。
ーーなめているにもほどがあるです。
「……マジか」
アメノはその反応を見て、笑うのをやめた。
ムシに覆い尽くされて、暗闇になってしまった部屋の中。暁月の声が不自然にも響いて聞こえた。
姿は見えない。それどころか、虫たちは確実に彼女の身を蝕んでいるはずなのに、どうして平気な声が聞こえる。あの虫たちは普通の虫では無く、一匹一匹が蠱毒で最後まで生き残った強力な呪を持っているのだ。
ありえない、あり得るはずがない。彼女があの中で生き残っているなんて。
ーーしかし、暁月は現れた。暗闇の中で姿が見えない。闇しか見えない。
一歩一歩、進んでくる。アメノはここで初めて暁月に恐怖を覚えた。
「僕自身に呪いは効かないのです」
ーーさんざん言ってくれたでしょう。僕は忌み子なんです。
近づいてきた暁月の姿を至近距離で見てやっと、アメノは彼女が忌み子と呼ばれていた理由を知った。
「本物の呪いを見せてあげましょう」
ーーアメノはそこで、人生の深淵と終わりを感じた。
♢
和室にはボロボロになって横たわっているアメノの姿があった。
体が一切動かないのか、すべてを諦めた表情だった。
「僕を殺しても無駄だって、わかってる? あの虫たちは裏門の最高傑作なんだよ。裏門全体が、表門に反旗を翻すための一つの手札。僕だけじゃない。各地で、それは始まっている」
「僕には理解できないです。当主になんかなっても、良いことなんて少しも無い。権力や金は身を滅ぼし、自分の本来のあり方をなくす呪いのようなものなのに」
「……それは僕にもわからないよ。でも、僕は従うしか無いんだ。それ以外の道を知らないから」
「裏門から抜けてしまえば、いいのに」
「できないよ」
ーーそれなら、殺すしかない。明様に気づいてしまう可能性の高いこいつは、生かしてはいけない。
暁月は手を伸ばす。式が発動すれば、アメノにもう用はない。
「言っておきますが、僕がおまえを殺すのは、手を出してはいけないひとに手を出したからです。それ以外に理由はない」
「そうなん、うっぅぅぅ!」
ーー突然、苦しみだした。部屋の中に、白い粉末が飛んできた。それがアメノの周囲を包んでいく。
一瞬ののち。
周囲に集まっていた蟲の残骸も白い粉に包まれて、同化するように消えていった。
「君が、それほどまでの、力を持つ君が、そうまでして、守りたい相手とは、誰なんだろうね」
そう言って、アメノは死んでいった。暁月が手を下すことも無く、何かの手によって。
「……バカみたいです」
しかし、それが多くの裏門の人間の死に様だった。
暁月は、突然やってきた粉に近づいて匂いを嗅ぐような仕草をした。
「この痕跡は、かえる」
ーー呪詛返し? 蠱毒の呪詛を見つけて、返すことができたのか。
暁月の中の呪詛の気配も消えたようだった。暁月の表皮を犯していた高濃度の呪と卵は溶けて消えたのだ。
皮膚がひび割れて、治しても、治しても戻らなかったので、明の前にも出れなかったのだが、もうそんな心配はない。一旦修復は必要だろうが。
「あの両生類も役に立つことがあるんです……。式は一旦止める、何かの役に立つこともあるです」
暁月は部屋を後にした。しかし、その姿はこの屋敷に来たときとは似ても似つかぬ姿だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。