7.山口裕也

「先輩のため、先輩のため……」


 薄気味悪く、ぶつぶつと同じことを唱える少女ーー暁月は、蟲を捕まえるために階段から下に降りた。ぶんぶんと頭を振り、身体を抑えている。


 彼女は使えない身体を壊したい衝動に駆られたが、なんとか堪えていた。


「あぁ……」


 暁月にとっては、今の状況全てが最悪だった。

 つまらない仕事の為に、ここに来た。

 表門の、仕事の依頼。名目は除霊だったが、明に関係していると気付いたので、仕方なく受けた。

 さっさと終わらせられると考えていたのにこんなことになり、蟲たちの足掻きを見させられるとは。予想以上に広がっていたことも問題だったが、明に被害が及ぶような現状を作った自分が許せなかった。


 ーー出来ることなら全部、燃やしてやりたい。


 蟲の禁術は、他者の感情を栄養に育っていく。

 実際に行っているのを見たことがあるが、その術は成功しなかった。負の感情はどこかで途切れるものだ。余程憎い相手でもいなければ、蟲は餌を無くして干からびる。つまり、ここまで広がるような代物ではなかった。成長し切った姿も見たことがなかった。

 戦国などの殺し合いが日常茶飯事だった時代にはこの術も使いようもあっただろうが、現代ではただの古びた伝承……だったはずなのだ。それなのに。

 

「簡単に広がって……」


 先輩に、迷惑をかけた。


 前日に明に会えなかった分のエネルギーをチャージしようと、2年の教室に向かった日。

 いつもの先輩の気配に奇妙な気が混ざっていた。それで先輩が何かに目を付けられたと気付いた。陰湿な気の濃さに、先輩との幸せな時間を台無しにされた気分だった。

 そのあとは、より最悪だった。足が早く隠れることが得意な先輩を探してーーいつも宝探しをしている気分ーー、やっと見つけたと思ったら、首を絞められていた。それも、そんな状況でも相手に反抗していなかった。


 気づいたら曉月は女を力一杯引き離して、気を失わせ、先輩を床に正座させて抱き締めていた。


『お前の行く先には、光がある』


 そういってくれたあなたが、私の光が、簡単に死ぬわけがない。そう思いながらも、身体の震えがとまらなくなった。

 明が居なくなれば、暁月の未来は無い。


 明に危害を加えたあの女には、それ相応の報いを受けさせる予定だ。

 あの女に限ってはあれほどの敵意を身に纏っている時点で、自業自得だと言わざる得ない。憎悪。いや、殺意さえ感じさせた。他者に恨みを買う生活を送ってきた証拠だ。奪い、蔑み、卑下させる。それは呪詛となり、返ってくる。陰陽は両立して、ある。そも、暁月の恨みを買って無事で居たものなどいないのだ。

 

 そのまま、幽鬼のように校内を徘徊している者たちの間を気配無く縫い、目的のものを探し出す。素早く動く暁月のその姿は、人というよりはまるで獣のようだった。


 彼女の目に見えるのは、醜い蟲たち。茶色く、白く、ぶよぶよとしている。その中でも、一番成長しているものを探していた。

 子が生まれるということは親がいる。親の本性が知りたい。


 明が屋上で待っているのだ。早く早く、もっと早く。

 

 より深い負のオーラを出しているものを、明の代わりに見つけるのだ。そう彼が求めているから。


 動きながら、自分の感覚を深く、この地に同化させる。高温の火の中では全てが溶けてしまうように、暁月の中にこの空間を溶かす。


 暁月が殺した子の残滓が、それを手繰り寄せる。


 より濃い気配がいくつか。その中でも、特に強いものを探す。


 そして、やっと見つけた。


 しかし、それを見た途端暁月の顔は歪む。


「水の気配……」


 見つけたのは、大きなみみず。親ではなかった。

 その宿主はごく普通の少年だった。身体を這うミミズを食うために、蟲が周囲に集まっている。


 体格が良いのに、呪の影響か痩せ細っていた。こちらを見てふらふらと寄ってくる。


 ーーあぁ、ここは餌場だ。




 蟲に取り憑かれた少年ーー山口裕也の毎日は、身を苛まれるような苦しみの中にあった。

 

 エリート思考の父と母は高級住宅街に暮らし、株式上場もしている大きな会社で働いていることを誇りとしていた。もちろん、息子の彼にもそれは求められた。


 それに彼も疑問を抱いてはいなかった。学習塾に通い、スイミングスクールに向かい、ピアノを習い、部活動もして、充実していたのだ。

 付き合う相手を指定されたとしても、それは自分のためにしてくれていることだと信じていたから。


『裕也には、お父さんみたいに立派になって欲しいの』

『出来ることが多いければ、未来も安泰だ』


 その両親の言葉が、支え。


 頑張れば頑張るほど成果が出るのは、嬉しいことだった。努力は報われるものだ。人生は楽しく、自分が誇らしかった。


 しかし、祐也に彼女ができたとき、この家族の歪さに気付いてしまう出来事があった。


 その彼女は、バレーボール部の第一線で活躍する女子だった。笑顔が可愛い彼女を、祐也は好きになった。そして告白し、付き合うことになった。それは中学生として、自然な出来事だった。


 そして、母に紹介した。

 初対面の母は、彼女を気に入ったように思えたが、そうではなかった。ニコニコと微笑んで、楽しそうにしていたのに、心のうちは……。


『裕也、あまり良く無い子と付き合ってるらしいな。優子から聞いたぞ。ひとり親家庭は良くない。付き合い方を考えるようにしなさい』

『あの子の親、水商売をしているって聞いたわ。祐也のことが心配なの。きっと悪影響を受けるわ。付き合うのはやめなさい』


 初めて、好きになった彼女だった。両親の言葉に揺れながら、この子と付き合うのはおかしいことなのだろうか。そう思った。

 でも、祐也ははじめて母親を裏切り、彼女とは別れずに隠れて付き合うことにした。

 一緒に過ごす日々を重ねることで、彼女のことをもっと好きになってしまっていた。優しくてがんばり屋で、強くて真面目で、でも元気で、笑う顔がかわいい。裕也といるのを心から嬉しいと表現してくれた。


 でも、母は裕也が彼女とまだ付き合っていることに気付いてしまった。裕也のために行っていることなのだ、あの子の交友関係も良い噂を聞かない。根も歯もない噂を信用し、彼女と付き合っている裕也の話を聞いてくれなかった。


 もちろん、反発した。……したが、母は心配のあまり学校に来た。噂を撒き散らしながら。

 

 奨学生として、親のために頑張ってるんだと笑った彼女がいた。しかし、彼女は学校で居場所をなくし、特待生枠を剥奪された。

 そして、転校していった。


『ごめんなさい。でも、もう二度と顔も見たくない』


 別れ際、泣きながらそう言われた。あなたのお母さんはおかしい。根拠もない噂を流して、学校にまで問い合わせた。それが影響して、部活動の雰囲気も友達さえ変わってしまったと言った。

 経済的に苦労していると言っていた彼女は、苦しそうにやつれて笑顔を無くしてしまっていた。


 傷付いた、彼女の言うことは間違っていると思った。母の言葉が正しかったのだ、彼女と付き合うべきではなかった。そう信じたかった。


 しかし、その出来事があってから、母の言葉を聞くたびに、不快感があった。『隣の〇〇さん、不倫しているらしいわ。怖いわよね』『学校の、〇〇っていう子退学させられたみたいよ。付き合ってなかった?』『成績はどうなの?』『海外留学もいいわね』『裕也が心配なの。お母さんの話聞いてる?』まるで、虫が飛んでいるみたいだった。


 嫌で嫌で仕方なかった。母に会わないために、夜遅くまで街の中を徘徊した。不良たちの溜まり場にまで行った。


 そんな時、ある青年に出会ったのだ。

 

『何もかも嫌になってるって、顔してるねー。ね、ちょっとゲームしない?』


 夜の闇の中、蒼く光るその姿がまず目に入った。

 整った顔つきに、垢抜けた格好。この人と関われば、物の見方が変わるかもしれないと思った。


 興味が湧き、ゲームに参加した。悪い大人に天罰を与えるというゲームだった。


 そして、これまで感じたことのない快感を得た。そのまま、のめり込んでいった。


 自分よりも大人で、何もかもを知っているように見えたその男に言われるままに、裕也は動いた。


 その結果が、どうなるかも知らずに。


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