6.蟲術


 暁月が不思議そうな顔で、ひょっこりと背後にいた。黒髪が触れそうなほど近く、彼女の小さい身体がよくわかる。


 ……気配も無く背後に立つのは、こいつの悪いところだ。美人な女子ーー客観的に見てーーに後ろから、「せんぱい!」なんて声をかけられても、まったく幸せな気分になれそうもなかった。

 いつか、背後から『明様が僕のものにならないなら、いっそのこと』なんて言いながら、刺してきそうな心配をしなくてはいけない。それがあり得ないとも言えないのだ。妄想なのに、体が震えてきた。


「……背後に立つな」

「待っててと言ったのに、いなくなってたので、上に出たら明先輩の後ろだっただけです。どうして待っててくれなかったのです?」

「……しばらく待ってたが、出て来ないからトイレに行こうとしてたんだよ」

「なら、良かったです」


 勝手に1人で動いたこいつに、どうして弁明までしなくてはいけないんだ。明は問い詰めたい気分になったが、やめた。抜けられない沼にハマる気がしたからだ。

 調子が狂うと思いながら、暁月に話しかける。


「で、蟲ってなんだ」

「蟲(むし)は虫(むし)です。詳しくは知りませんが、体の中に卵を埋め込むのだとか。欲望や怒りという負の感情をエネルギーにして、人を媒介しながら、数を増やす。いわゆる、寄生虫です。人の不幸を集めて、一つの土地を滅ぼすので、禁忌とされる術だったはずです」


 そういうことか。

 蟲術(こじゅつ)。いわゆる、蠱毒(こどく)の類。数種類の虫を壺の中で争わせ、そこで生き残った最厄を使って、人を呪い殺したりするものだ。

 そうなると場を開放しない限り、食い合いが始まると考えて良いだろう。


「目的はなんだ」

「そこは分かりません。呪術の要として使われることも多いので、目的はないかもです。あと、明先輩も蟲に取り憑かれそうになってました。地下にその巣があったので、いま処分してきたのです」

「……あそこに、そんなものが」


 暁月はやってきた地下を指差して、グッと握り潰す動作をした。


 ーー正直虫は、苦手だ。

 背筋が粟立つ。巣と言われるほどだ、きっと酷い光景が広がっていたに違いない。

 それも人を不幸にする虫なんて、最悪だ。


 そして、その言葉に気になるところがあった。


「……いや、俺がいつ憑かれそうになってたって?」

「嫌な気をつけてきた時から、狙われてました。あの明先輩に危害を加えようとした人も、媒介だったので」

「……危害って、この間の女性か」

「そうです。先輩を、育てる場所として目を付けたのです」


 僕の先輩に手を出そうとしたので、幼虫は全部殺しました。


 ボソリと呟いた一言が、ひどく余計だった。


 それにしても、あの女性が蟲に憑かれていたのか。普通に話していたように見えたが。突然様子がおかしくなったのは、トリガーを引いたからか。


『息子がおかしくなったんです。いい子だったのに突然。だから、学校に問題があるんだと思って……』


 様子がおかしくなる前のことを思い出し、トラウマや神経を逆撫ですると良くないようだと、明は判断した。


「じゃあ、あのお集まりの皆さんはどうなってるんだ」

「あれは、広げるための兵隊アリです。巣が荒らされたので、戻ってきたのです」


 ただぼーっと立っているように見えるが、荒らされたから戻ってきたのであれば、かなり凶暴になっているのではないか?

 陽の光が地上にさして、全く表情のない人々の顔を照らしている。あの一人一人の中に蟲がいると考えると、ものすごく厄介だ。

 報復手段に出られると困るのもそうだが、蟲を移されたら、あの中の1人になるかもしれなかった。それは嫌だ。虫になんてなりたくない。


「で、どうする?」


 このまま放っておくために、ここまで来たわけではないだろう。

 

 そう明が尋ねると、こちらを真っ直ぐ見つめてくる。


「僕としては、これ以上先輩に手出しをさせないためにしたことなので、被害が広がるようなら……。

 ……殺します? 先輩は蟲が嫌い。あれだけ蟲がいたら、嫌です?」

「いやいや、まてまて。暴力はやめろ」

「嫌です? あの数を相手に、暴力なしは難しいです。もしあいつらのせいで先輩が一ミリでも減ったら、消し炭にしてやります。この間の虫も、ギリギリのところでしたよね。……絶対、許さないです」


 ドロドロの瞳で、過激なことを。

 手を握りしめすぎて、血が出てきてないか? 余程、この間の出来事が腹に据えかねたようだ。

 

「とにかく待て」


 ーーでも、向かってきてますよ?


 後ろを指差され振り返ると、立っていただけだった人たちが動き始めている。どう見てもこちらに来ているではないか。


「はぁ?」

「あ、もうバレました」


 あっけらかんと伝える暁月には、切迫感が全く足りない。



 そのまま、とりあえず上に逃げることにした。

 追い詰められる危険性も高いが、平地で挟み撃ちに合うよりは上空から様子を伺えた方がいい。明には機動力がないため、周囲の人々をすり抜けられない。

 走りながら屋上に上がり、少し息をついた。彼らは上に登ったのにまだ気づいていないようだったので、しばらく時間が稼げる。この間に考えることにした。


 占うにしろ、情報は必要だった。虫の系統で、弱いものや強いもの。組み合わせるべきでない情報を読むことができる。


 ーー蟲の性質は、土か?


 五虫の分類。木は鱗虫、火は羽虫、土は裸虫、金は毛虫、水は介虫を示す。

 虫は動物のことを示している。

 鱗虫は魚などの鱗のある動物、羽虫は鳥類などの羽のある動物、裸虫はヒトなど毛の短いあるいは無いもの。毛虫は、毛のある動物。介虫は、亀などの硬いものに覆われた動物のこと。それを応用した術だと思われた。

 羽のある普通の虫なら、火を司る。だが、形は変えられる。性質を見極めなければならないが、明には蟲が見えなかった。

 暁月に聞いてみる。


「うんとです、寄生虫は幼虫みたいだったんです。育ってたら、羽虫? だから、土か、火です」

「相剋の相性が悪いな。情報が足りない」

「……捕まえてきますか」


 もっかどこんすいーー木火土金水。

 火に強いのは水、土に強いのは木だ。その相性をぶつけることができれば。

 しかし、間違えると勢いを強めてしまう。これは陰陽五行説の基本であり、多くの術士はこれに従って術式を組んでいる。条件を設定することで、より強い術を作ることができるとされている。


「とりあえず、身を守る方法が欲しい」

「じゃあ、先輩は、九字切りしましょうか。僕は大丈夫なので」

「は、九字切りなんてしたことはない。したところで……」


 自慢ではないが、頭を使う仕事だけをしてきたので、身を守るのは護衛に任せていた。つまり、カエルが悪い。

 というか、霊力なんてない明がそれをしたところで、効果があるようには感じられないんだが。


「占いと同じです。信じる者は救われます。覚えていても、損はないです」

「おまえに占いのことを語られるなんてな……」


 そのまま暁月に背後に立たれて、


「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」


 の順で手を動かされる。印を結ばなければならないのだが、動きが早すぎて一気に覚えることが難しい。頭ではわかっていても、身体が動かないのはよくあることだ。


「他に何かないのか?」

「では、早九字護身法を。略式なので、効果の期待も半減ですが。今はゆっくり教えている時間がない」


 手で、刀を模した印「刀印」を作り、「臨兵闘者皆陣列在前」の掛け声とともに空間を縦四本、横五本に切った。


「臨める兵、闘う者、 皆陣をはり、列をつくって、前に在り」


 ーー私を護りなさい。という真言である。


「知ってました?」

「知識としては、な」


 実際に出来ているかは、知らない。何も手応えがないからだ。

 神を信じてはいるが、自分に加護を与えてくれることを期待してはいなかった。読むことは出来ても、関わることは出来ない境界線があった。


「僕を信じて、唱えてくれれば良いです」


 カッコいいことを言い残して、明の頭に軽く手をやり、暁月はそのまままた下に降りて行った。


「……」




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