4.呼ばれる

 

 いつの頃からなのか、頭が痛い。

 いつもガンガンと鋭器で後頭部を刺されている。痛い、痛い。

 血が出るほど掻きむしっても、壁に頭を打ちつけても頭が痛い。


 ……いたい。


 暗闇の中で光さえも閉ざして、大量の頭痛薬を飲む。何も見えない、でも聞こえる。苦しかった。


 母親の瞳が気持ち悪い。人の声がうるさい。父親の無神経さが気に触る。人の声がうるさい。手が触れる。爪で抉られる。ブンブンブンブン、蟲が飛ぶ。むしが、むしがむしが。


「…………」


 手を振り回しても、聞こえ続ける幻聴。


『どうして、お母さんばっかり』「酷いやつ」


『お母さんの気持ちもわかってやれ』「何も知らないくせに」


 母の声、父の声。そして、誰かの声。


 切り付ける刃は重みを持ってしまう。自分の叫び声さえも、その刃の餌食となった。


 脳髄から、声が染み出してきて、五月蝿い。


『痛いのは、誰のせいだ? 苦しいのは、どうしてだ?』


 あぁ、学校に行っても声は止まない。どこまでも自分の中で蟲が蠢いている。あぁ、ああ、いたい、いたい。

 でも、学校では母も父もいない。みな、生きているから、まだ安心できる。仲間がたくさんいて、たのしい。


「…………」


 裕也は部屋の中で身体を抱え込み、震えて痛みに耐えていた。耳を塞ぎ、前屈みにうずくまって、眠ることさえできずに、はやくはやく。


『見ろ』


 カーテンに締め切られた窓の外。暗闇に圧縮された空間は、その一点だけに集中する。そのいってん。あれ。


「…………」


 そして、ふと、気付いた。


 ーーこの痛みを消す方法を。



「明様、かわいい♡」

「様呼びやめろ」

「明先輩〜」


 甲高い暁月の声が、店の中に響く。

 せっかくの休日だというのに、明は暁月に付き合わされていた。この女は、先日の約束を早速使ったのである。


 店に無理やり押し込まれて、服を選ぶのを繰り返した。試着室に閉じ込められ、暁月の持ってくる服をひたすら来ていく。明にとってはどんな服も同じに見えるのに、それを何着も組み合わせて着替えると疲れてしまう。明は普通の高校生であって、着せ替え人形ではないのだが。と心から思った。


 店員までやって来て、これが似合いますね。これは合いませんね。締まりがないですね。

 意味が分からない言葉が頭上に飛び交い、服を渡され、感想を聞かされる。

 そこから解放され、別の場所に動いたかと思うと立ち止まり、また別の店に入って行った。明が呆れて中に入らずにいると、無理やり引っ張られて、また同じことの繰り返しだ。

 助けられた礼も兼ねて付き合ったが、2度とこんな約束なんてするものか。駄々をこねられても、こちらから店を出ていけば済む話だ。


 はっきり言って、明は後悔していた。

 ……この男は、ファッションに興味はない。食べ歩きにも興味がない。そもそも、デートには向かない男である。


 店から出て、しばらく街中を歩き回り、休憩しようと喫茶店に入った。

 暁月と向かいで座り、カフェオレを飲む。普段ならコーヒーでも頼むのに、この勢いでついていくには糖分が必要だった。

 暁月は平気そうな顔で、オレンジジュースを飲んでいる。


「楽しいですね、せんぱい」

「楽しいか?」

「楽しくなかったです? 初めて入るところもあって、わくわくしました」

「ほー。楽しいなら、よかったよ」


 コーヒーを飲みながら、気のない返事をする。


「えへへ」


 彼女はほおを染めながら、微笑む。

 ニコニコと笑っていると、暁月は頭がおかしいようにはまるで見えないと思った。翔太がいれば、デレデレになるだろう。口の端が上がり、頬が上気して赤くなっている。少しだけ唇を噛んで、喜びを抑えようとしている表情は、暁月となるべく距離を置いておきたいと願う明にも何か来るものがあった。

 

「見て下さい、せんぱい」


 突然、向かいから横に無理やり座って来た。外を指差して、こう言う。

 

「世界が僕たちを祝福してますよ♪」


 ーーはぁ? と思って、外を見ると、窓から雨が降っているのが見えた。しかし、天気は晴れている。狐の嫁入り。それも虹つき。

 晴れているのに、雨が降り、雨が光を反射して虹を出していた。まさに縁起良さげな光景である。これで白蛇を見つけることなんてあったら、明は口をへの字にするだろう。


「陽極まれば陰生ず、陰極まれば陽生ず」


 つい、調子に乗るなと口が出た。

 良いことも悪いことも過ぎれば、逆に転じるものだと言うことだが、明がそう言うと暁月はさらに笑った。


「僕は、明先輩がいればどんなことがあっても幸せです。ずっとずっと一緒にいて下さいね?」


 ……理解して返答しているのだろうが、どこかズレていた。


 それから、暁月が注文していたパフェが来た。上にはリンゴやメロンなどの果物。アイスも生クリームも山盛りだ。青い透明な器が、中のコーンフレークを映している。


「今日のラッキーカラーは、青です」


 暁月が突然器を指差して、アピールしてきた。……。


「守護石の色か」

「はい」


 暁月はちゃらと金属の音を鳴らして、首元のチャームを見せる。サファイアだったか。イミテーションでも守護石を身につけていると考えるだけで違うものだ。

 

 一年前くらいだったろうか。

 中学生だった暁月は、22時前、夜も更けるというのによく店にやって来ていた。この頃は稼ぐために遅くまで開けていたのだ。


 『あきらさま』と呼ばれるのもその頃には慣れて、この少女はコミュニケーション能力が一部変な感じに進化した生き物だと、明は思うことにしていた。基本的には彼に従順のため、余計なひと言を伝えさえしなければ、害はないと思っていたのである。……それ以上に長く付き合って、そういうわけでもなさそうだと気づいたのだが。


 そんなとき、いわゆる酔っ払い客が暁月に絡んで来た。『何です?』と酔っ払いに会ったことが無いような顔をして、腰に手を回してこようとする客を相手にしていたのだ。

 流石に、女子の体をそう簡単に触ってはいけないと明が注意をしたところ、客の機嫌を損ねたようでコップの水をかけられた。

 暁月に水難の気がでていたのはこのせいかと、テキトーに対処しようかと動いたら。

 その前に、暁月がめちゃくちゃキレた。

 ひたすら酔っ払い客をボコボコにした。何度も素手で殴りつけ、コップや椅子まで取り出して投げ出そうとする始末。『明様、明様がいないと生きていけない。暗闇は嫌い。明様、明様、明様』なんて呟きながら異様な雰囲気で、男を殴り続けた。

 男の力でも全く止められない暴走列車を、明は暁月の誕生石を渡すことで停止させた。

『待て、待て! これやるから止まれ!』

 商売道具の一つを取り出して、暴れ馬を餌で釣るように、石を見せた。

『……これ、くれるのです?』

『お前の誕生石だよ、イミテーションだけどな』


 それが、暁月の首にかけられているものだった。明が渡した占いに使用するための石を加工して、ネックレスにしたのだ。守護石のイミテーションでも、性質が合えば気を落ち着けてくれる。


「先輩が始めてくれたプレゼントです」

「プレゼントのつもりはなかった」


 贈り物なら、もっとまともな物を用意する。仕事道具を渡すなんてことはしない。余談だが、暁月は明のゴミも宝物だと取っておくタイプだ。そんなものを集められるくらいなら、普通に物を送る方がマシなのだ。


 あーんと無理やりスプーンを口にねじ込もうとするので、方向転換して暁月の口に戻してやる。

 すると、きゃあと騒ぐ。「先輩からあーんしてくれるなんて、やっぱり今日はいい日ですね」と突き抜けたポジティブ思考は、ある意味思考が停止していた。


 そのまま、沈黙が続いた。外は雨が降っていて、サラサラと音がした。喫茶店の中は、カフェオレのコーヒーの香りと、パフェの果物と生クリームなどの甘い匂いが混ざり合い、その空気だけを楽しむ。 

 ただ、暁月のニコニコと笑っている気配も、じっと横顔を見つめているだろう様子も、虎視眈々と明の手を握ろうとしているところも、落ち着くには全く向かない空間だったが。

 


「さあ、結構楽しみましたので、行くです」

「どこに」

「えー、嫌な空気を振り撒いてるところです」

「……そっちに行くのか」

「やがて来る厄は相手を待つより、自分で向かった方が早いです」


 歳破ーー凶方位に、見事に向かっていく。

 平安時代でもないので、現代では方違えもしない。いちいち方角を気にしていては動けない。普段は気にすることもないが、今は……。大凶は明のこころに傷を与えている。


「天は自ら助くる者を助くです」

「君子危うきに近寄らずが、俺のモットーなんだが」


 肝心なことは口にしない暁月だが、言葉の端々からあちらの香りがする。明でなくとも、よほどの馬鹿でなければ、暁月の正体には気づくだろう。

 すぐ、暴力や金で解決に走ろうとするところ。自分の執着心を奇妙な形で発揮するところ。

 歪まずにはいられない環境の中で培われた、思考を白黒にわける習慣。


 特に暁月は、呪いの香りがした。社会を破壊し、欲望を渦巻かせ、ぐちゃぐちゃにしてしまうような危険なものが。昔願ったような暗闇が。


 だから、明は線を引く。確実で明確な線を。

 

 暁月の執着が恋情と呼ぶものだったとしても、明は決して応えることはないだろう。


『ぅう、ぅああ。うあば』


 脳裏に昔出会った、カタチも整わない、忌まわしいと言われたものが甦る。

 暗闇の中で、ひたすらないていた。

 もし好きになるなら、何も知らないものが良いと思った。何も知らなければ、信じられる。

 

「せんぱい」


 手を掴まれそうになり、間一髪のところで離れた。暗い声だ。機嫌が悪い。

 つくづく、機嫌の居所がわからないやつ。それにどうして、そうスキンシップをしたがるのだろうか。


「カエルを早く追い出しましょう」

「……どっちもどっちだろ」


 そのまま、暁月の言う方向に足を向けた。

 


 


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