3.数珠繋ぎ


 占い師としての能力は、他に追随するものはいないと自負している明だが、彼には致命的な弱点があった。

 霊に一切対抗する術を持たないことである。


 ーー明の、幼い頃の記憶。


 『正しく読む』ことにかけては、誰よりも才能があった明は、それを理由に両親の元から引き離され、無理やり本家に引き取られた。

 その頃は明も素直な可愛い子どもだったもので、大人に言われるがままだったのだ。


 しかし、そこで発覚したのは重大な欠陥だった。


『おまえは、霊視がないな』


 ーー霊を視ることが出来ない。


 陰陽道から派生した、古臭い因習を引き継ぎ続ける善行宗家の家門の一員としては、その事実は、最底辺だと思われても仕方ないことだった。まだ本家に引き取られていなければ、そこまで酷い目に遭う事はなかったと思うが、『特例』扱いを受けた明には当然ながら、それに伴う弊害があった。

 親世代から教育と称した折檻。その子たちも明を迫害した。基本的に物を盗まれる、食事を取り上げられる、人格の否定は当たり前だった。時には体罰もあり、その頃の傷が背中に残っている。タバコを押し付けやがったクソのことは、未だに忘れていない。


 「助けて」という言葉さえ届かない現実は、理不尽で、奇妙なほどの連帯感があった。明がそこまでされるほどの何かをした覚えもない。ただ、能力に見合わない扱いを受けた者にはそれ相応の扱いをしなければいけないという奇妙な一体感があった。

 公平さと呼ぶには吐き気がするような、嫉妬と憎悪と他者への優越が、べったりと体に塗りつけられた。


 ついには、占筮の能力まで疑われた。霊感がないという理由だけでだ。


 星見も出来ない、森羅万象に流れる時に意味を取ろうとしない周囲に振り回される羽目になった幼少期は、それはそれは散々だった。

 受け入れる事しかできない地獄の日々。痛覚は鈍くなり、刺激の一切合切を切り離したこともある。


 本当に霊視が無いのか、実際に霊障のある現場に放り込まれて、3日ほど生死の狭間を彷徨ったこともある。指先を虫に喰まれる感触は最悪な物だった。

 痛み、憎しみ、悲しみ、諦め。

 ひたすらそれを繰り返して、生きることを悔やんだ。あの経験で、誰にも期待しないことを学んだ。


 まあ、そんな日々も、明にさらなる能力があることが発見されるまでの話だったが。


 幼少期は短い時間の割に体験が濃密過ぎて、精神年齢が20ほど老けた気がしている。詳しく語れば人を不快にさせるだけの、そんな代物である。


 とにかく、そんなこんなで霊に関しては明は専門外だった。17になっても、これを克服することが出来ていないーーというかする気がなかったために、明はこんな状態に陥った。


「……なぜ、こんな目に」


 今、明は、何故か正座させられている。


 目の前には、自分のストーカーが偉そうに仁王立ちしている。


「明様は隙がありすぎです。やっぱり僕が居ないとダメです。お金は払うので、明様貸し切りでお願いします。

 そもそも名前を呼んでと言ったのに、全く呼びもしなかったです。僕が来なかったら、どうするつもりだったんです?」


 暁月(あつき)は、長い睫毛を重そうにぱちぱちさせる。


「おまえは、とうの昔に出禁になってるだろ。それでも、店の中に入れてやってんのは、見ないと店の前で立ちっぱなしになるから、しょうがなくだ。わかってんのか? そもそも、貸切なんて誰にもさせない。

 ……あと、今回の客に注意が足りなかったのは認めるが、死んだらそこまでだろ。命運には逆らわないさ」


 そう明が言うと、目を釣り上げて暁月はキッとこちらを一瞬に睨み。

 瞳が翳ったかと思ったら。その手を明に伸ばした。


「明様は僕のものです。ほかの人に優しくするなんて、ダメダメダメダメ」


 突然抱きつかれて、縋られる。


 ……こいつも何かに憑かれているんじゃないか。


 明は極端な反応にうんざりした。誰かこいつのストッパーになってくれないか。


「嫌です、なんで聞いてくれないの」


 (俺も、おまえが話を聞いてくれなくて、嫌です。とっても困ってます)


「……おまえなぁ」

「明様」


 体だけが成長してしまった駄々っ子のようだ。抱きつく手が震えている。

 空間がズレたような、不自然な手の動きに、暁月が癇癪を起こした子どもに見えて、明はなぜか頭を撫でてしまった。子どもを落ち着かせるために、よくやっていたからだろうか。自分でもどうしてそんなことをしたのかよくわからなかったが、そのときは、ツヤツヤした髪だなと思った。


「明様!!」


 明が頭を撫でると、目に見えて機嫌が良くなった。

 本当に猫みたいにゴロゴロと目を瞑り、頭を擦り付けてくる。……妙な既視感とともに、身体をパッと離した。


 ついやってしまった自分の行動に、手を見つめて呆然とする。……なんだ、この手は。


 それをごまかしたいあまり、正座の体勢から強引に起き上がり、時間を確認する。……最悪だ。


「そもそも、カエルは何してるんだ」

「あのクズです? 気にしないで良いです」


 カエルとは、明が雇っている術師のことである。厄除けの護符やこの店自体の守りを依頼している。

 先ほど、高い金を払ってるのに来ないとは何事だと、明が怒っていた相手だった。


 カエルは色弱のためサングラスをかけており、気分によって服装が極端に変わる男だ。陽気な時は良いが、陰気な時はとんでもない呪物を扱っていることがあるので要注意。

 見分け方は、カラー系かモノトーン系。白か黒の服を着て、フードまで被った日には絶対に近寄ってはいけない。カエルの目が極限まで弱っている時だからだ。目を見られないようにしている時は、危険域である。一時期は、生きている生物が全部消滅してしまえばいいのにとおもっていたような男だ。


「……呼び出しかけとく」

「僕がいるから大丈夫ですよ」

「何が大丈夫なんだよ、状況をややこしくするな」


 後、残るは……。


「この人は……」


 憑かれていた女性は椅子に座らせてある。とにかく彼女はしばらく息子と距離を置くべきだ。専門家も紹介しておこう。


 しかし、一向に目を覚ます気配がない。暁月が昏倒させたようだったが、大丈夫か? そもそも、おかしくなっていたし。


「……何したんだ」

「知りません。自業自得です」

「怪我させてたら、賠償問題になる。とりあえず、やったこと話せ」

「大丈夫です。僕抜かりないのです」


「……おまえと会話したくないよ」


 とにかく、そちらの対処専門業者に引き渡そう。家族に連絡して、憑いているものを払ってくれるだろ。請求書は、この人宛にするように頼もう。


 もう今日は帰りたいと、携帯を取り出した。明日、学校休みたい。



 カエルがいつまで経ってもやって来ないので、無理やり呼び出した。暁月は邪魔なため、強制的に帰した。……1日一緒にいるという条件付きで。とっても、不本意だが、助けてもらった立場なので、譲歩した。


 そこにやってきたカエルは、機嫌は良くも悪くもないらしく、色はあるが、ベージュのパンツがやけに白く見えてチラチラした。……こいつまで、おかしくなってないだろうな。


「おい、カエル……。俺の危機に駆けつけてこないのは、契約の打ち切りをお望みなのか?」

「はは、一声目から喧嘩腰ですか。よほど酷い目に遭われたと見えます」


 死にかけたのだ、当たり前である。そもそもカエルが早く来なかったせいで、恐ろしいコストを払う目にあった。


 明は軽く状況を説明した。自分が取り憑かれていたのか知らないが錯乱した女性に、襲われて、半分死にかけたこと。それを暁月に助けてもらったこと。

 暁月の話題を出すと、眉間にしわを寄せたが、カエルは何も言わない。


「……そんなにひどい目にあったんですか? でもおかしいなぁ、こちらにそれ伝わって来てないんですよ」

「なんだと?」

「たぶん、なんですけど。術式の不備というには、どうしようもない問題でして」


 声が、空間に響く。カエルは頭をかいた。


 明につけておいた呪符が作動しなかったのだと話す。だから、気づかなかった。


「こちらとしても迷惑しているんですよね。最近、荒らしが呪場から神域からぐちゃぐちゃにして、神陵にまで手を出されかけたとかいう話で、それが呪符の起動までおかしくしてるとは……」

「それを先に報告しておいてくれ。で、原因はなんなんだ?」

「禁域から大量の怪異が流れ込んできたって、言われてますね。被害がすごいので、そこらの霊媒師たちは駆り出されてます。そのおかげで、対処しきれていないことも多くて……」

「怪異ね、俺はそっちはパス。分からないものは聞いても、対処ができない。とにかくその問題の解決策は、あるのか?」


 その手の専門家が対処しきれていないと言うのであれば、巻き込まれる可能性も高くなるわけで。流石に、何度も危険な目には遭いたくなかった。呪符が作動しないのなら、カエルはどうやって明を守るんだ?


「……はは」

「あるのか?」


 高い金を払っているのに、いざと言う時役に立たないなんてあり得るのか? 

 じーっと見つめる。カエルの顔が汗だらけになるのを、ひたすらじっと見つめてやる。

 

 カエルは諦めたように、がくりと肩を下げた。


「俺が常駐します……」

「よろしく」

 

 それにしても怪異がわらわらいるなんて、伝説の百鬼夜行のようだ。

 今の現代に怪異の数は多くない。それどころか、少ないと聞いている。時代を遡ってしまったような違和感があった。

 妖怪には会ったことがない。霊と違って見ることは出来るのだろうか。興味が無いでもないが、『危うきには近寄らず』である。自衛は大事だと思う。


「いや、聞いてくださいよ。珍しい呪具があるって情報があって、オークションで手に入れたは良いんですけど、今回の騒ぎで販売主が捕まらずに、使い方が分からなくて。それで今日試してたら、骨が一本取られかけました」


 突然話し始めたと思ったら、とんでもない内容だった。

 何してるんだ、こいつ。そんなことしてたから、反応がなかったのか。


 カエルの小指がぐねんぐねんと、芯を無くしている。面白そうに笑っているのを見て、やはりカエルの調子が悪いと感じた。

 普段であれば、自分の指がこんなことになっているのに笑ったりしない。コイツは気分が底に沈むと、自分の周囲まで自分と同じだけ下げたいという悪癖がある。普段は腕の良い術師だが、呪物コレクターでもあり、付き合い方に難しいところもあった。


「骨ないのか」

「いや、あるにはあるんですが、軟骨みたいになっちゃってw」


 骨を軟骨にするって、どんな呪具だよ。頭をかいたままのカエルに呆れながら、話を続けるよう言った。


「ほれ、見て下さい」

「お前、そんな簡単に見せるな」

 

 彼が懐から取り出したのは、瓶だった。呪具と呼ぶには、形を持たない粉。サラサラとした状態で、どうやって使うんだ。振りかけるのか。

 明は距離を取った。


 呪具には見ただけで、呪われる物もあるような危険物だ。

 全身から骨が抜けて、皮だけになる。そんな死に様はごめんである。まともな人間であれば、近寄るべきではない。

 

「大丈夫ですって、今は封じてあるんで」


 信用していいか分からないが、取り出された物をどこかで見た気がして、遠目から見つめた。


 サラサラとした灰色の粉が、透明な瓶の中に詰められている。それを符が封じていた。


「……骨に執着するわけだ。これ自体が骨だ、粉骨されているやつだ」

「あ、やっぱりですか」

「似たような呪物を作っていたやつを知ってる」


 死体の憎悪まで利用するような、悪趣味なやつ。

 そいつは本家の家門の中でも、裏を牛耳る某系の一族、とくに呪物を用いる行暗二家にいた。一時期、本家から離れて修行をしていた時に、占ってやったことがあった。今は生きているだろうか、……分からないな。


「へー、使い方知ってます?」

「知らない」


 とりあえずは、骨を戻す方法を考えろと思う。使う前にそれが最優先だ。

 

 ほんとですかねと怪しむカエルに、仕事をしろと言い返す。


「はーい。でも、ま、そういう感じなんで、霊以外の怪異にも注意ですね。卜さんは何となく巻き込まれやすい気がするんで」

「……『カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ』とでも唱えとくか」


 百鬼夜行にあった時に、唱えれば害を避けられるという呪文。巻き込まれやすいというのは否定しないが、肯定もしない。

 余談だが、カエルが卜さんと呼ぶのは、この店が「卜」だからである。

 

「古いですねぇ」

「酔ったふりをすれば、妖怪は許してくれるのかもな」

「はは、人間よりは慈悲深い気もします」

「んじゃ、明日からよろしくな」

「はい……」


 落胆した顔のカエルは、そのまま帰って行った。前も手伝わせたことがあったのだが、なぜこんなに嫌がるのだろうか……。


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