2.凶相の女


 学校が終わり、仕事に向かった。

 明は新幹線で田舎の学校に通っていて、居住地は市内である。やはり市街地でないと、占いでは稼げない。人混みに紛れて、ただ名も知られぬ占い師として街に出るのだ。突発的に出現する正体不明の優秀な占い師といえば、少しは格好がつくだろうか。


 明は暁月という出会ってはいけない危険生物に会ってしまい、今日は嫌な気分になったので、陽気な露店街に出店した。ほろ酔い気分でノリのいい客が来るので、ここは結構な穴場だった。愚痴や世間話も面白く、占い師としては困っている人に的確な占いができれば、やりがいもあった。相手の心に立って、占うことができるようにしたいと明は思っていた。


 1日だけの貸店舗のスペ-スが空いていたので、その場所を借りて仕事を始めたが、露店街は早めの時間帯は暇なので、久しぶりに自分の運勢を占うことにする。


「……どれにするかな」


 並べてある占い用の道具から、しばらく使っていなかったものを手に取った。小さな黒い箱だ。その中にはクジが入っている。中身は神社のクジ引きそのものだ。


 木片で作られたクジを取り出して、机の上で、じゃらじゃら混ぜる。クジは朴術のひとつだ。

 朴術は偶然を必然と捉えるもの。直近の運勢や動向を占うことに向いている。花占いやトランプ占い、下駄を投げて天気を占う下駄占いなどもこれに当たった。


 木片50枚に、それぞれ意味を持たせたものを引く。吉20枚、末吉5枚、大吉10枚、中吉5枚、小吉5枚、凶3枚、大凶1枚、無記名1枚。計50枚。数が多いほどよい結果を引く確率が下がり、当たる確率も上がる。

 混ぜた木片を箱の中に入れ直し、ランダムになるよう、しっかりと振っておいた。


 その箱の中から、一枚引いた。今日の一日を振り返りながら、手に取ったものが運勢を見せる。


 裏返すと、ぐにゃぐにゃとした篆書体てんしょたいが見えた。


 ーー大凶。最悪だ。


 珍しいこともあったものだ。50分の1を簡単に引いてしまった。


 嫌な気分が取れないので、また引いた。次は無記名。……どうなってる。


 くじに何も書かれていないのは、未来が見えないことを暗示する。大凶はそのまま解釈して良い。

 災厄と分岐点、あるいは死に繋がるなにかがあるかもしれない。明が大凶を引くのは、それほど珍しいことだった。


「どうするか」


 ただの木片なら、まだいいんだが、これは家門から盗んできた、何百年使われてきた占術道具『木占ぼくせん』だった。年数を重ね、ありとあらゆる人々の運勢を占ってきたこれの結果は、信憑性が高くなる。さらにその結果がシンプルであればあるほど、当たりやすくもあった。


「……運がないな」


 ピッと木片を整理して、箱に戻し、顎に手をやりながら、しばらく考え込んだ。細かく占うか。しかし、自分を占うと客観性が失われるため、『読めない』さらに言えば『読み間違える』。あまり、良いとは言えなかった。自己都合が入ってしまう占いは、客観性が失われる。だからこそ、占い師は面倒に巻き込まれない第三者でなければならないのだ。


 対策を練るために、知り合いに連絡でも取ろうと携帯を取ったところで。


「すみません、先日伺ったものなのですが。どうしても占ってほしくて。今日は空いてますか?」


 先日伺ったと話して、ひょこりと顔を覗かせた女性。スーツ姿なので、退勤後だろうか。 

 明は席を立ち、中へと案内する。……そこで違和感を感じたが、説明がつかない。


「はい、初回の方ですね。こちらへどうぞ」


 占い中の札を出して、部屋を閉めた。

 アンケートを客に渡して、記入してもらう。一度顔をしっかりと見ておくために、お茶を出した。


 ……凶相持ちだ。顔に色が無く、額の皺、口元が下向きに変化している。しばらく手入れも出来ていない状況にあると推測できた。


「最近、眠れていなくて……。病院に行っても問題はないと言われるんですが、時々寒気もしたり、体調が悪くなったりして。

 先行きの不安を解消したくて、ここに来ました。ちょうど帰宅途中で、占いをされているのを見たもので、なにか悪いものがあったりとかしませんか」


 職業柄、一度でも顔を見た相手はある程度記憶に入れている。仕事中なら尚更だった。先日会った時とは全く場所が異なる。教えたわけでもなく、導かれたようにやってきた。


 ーー運命的な巡り合わせ。


「偶然は必然ですね。占われるべくして、いらっしゃったのでしょう。どうぞ、リラックスしてください」

「は、はい……」


 自分の体調の悪さを自覚しているが、病気ではない。原因不明と言われることによる不安は大きいだろう。それ以上に何か問題を感じ取っているからこそ、ここに来たのではないか? 


 彼女の中の、言語化出来ない違和感。その原因を探ることが必要だ。


「そうですね、環境が原因、ですか。ご家族の問題などはありませんか?」

「そうなんです! 少し、息子が学校で揉めてしまって……。今はその影響も減ったんですが、なぜかそれから体調を崩してしまって」

「それは大変ですね。息子さんの命運が陰ってらっしゃる可能性もあります」


 記入し終わったアンケートを受け取って、料金の説明をした。一番上のグレードを選んだ彼女の、藁にでも縋りたいという熱心さが伝わる。

 出来る限り、努力しようと明は思う。占いはそのためにあるものだから。


「初回なので、諸注意を説明させて頂きますね。

 まず、こちらでお預かりさせていただいた個人情報は、厳重な管理の元取り扱いさせて頂きます。占い以外の用途に用いられることはありませんので、ご安心下さい。

 今回はこのアンケートを元に、お客様の命式を作成します。命式は人生で定められた運勢や性格などを割り出すものになります。

 しかし、占いは、人生を左右するものではありませんので、アドバイスとして受け取られて、活かして頂くことを推奨しております」


 諸注意を書面で説明して、サインをもらう。


 そのまま、占いをスタートさせた。といっても四柱推命は分析が主のため、占い師っぽく水晶玉で運勢を見るなんてこともなく、紙と資料と本人と向き合うくらいなのだが。

 方位気学も含めて、九星を見ておこうと方位盤も出しておく。


「……?」


 大して運勢が悪いわけでもない。相性の悪い家にでも住んでいるのかとも思ったけれども、聞く限りそういうわけでもなさそうだった。家庭運に少々の困難がある年ではあったが、厄回りも良く、全体のバランスが整っている。自我が弱い宿命ーー身弱なので、心配な点も少しあった。


「何かあったのですか?」

「……いえ。よろしければ、息子さんの運勢も占ってみてはいかがでしょうか。組み合わせてみることで、より詳細が浮かび上がってきますので」


 というより、他者の運勢に巻き込まれているようにしか思えなかった。

 凶相は、確かにこの客の苦しみを表している。全体の状況を見るには、四柱推命は適した方法だが、最近命運が動いた彼女の状況が読めない。

 

 息子側の情報を貰ってみてみると、相剋の関係だった。息子側の自我が強く、この女性の優しさを支配するような関係に転じてしまっているのではないだろうか。


「……ははぁ。そうですか」

「なにか分かりましたか。最近、うちの息子変なんです」


 深刻な顔をして、手を擦り合わせている。額には汗が。彼女は何かを打ち明けたがっているようだ。


 もっと詳しい事情を聞いてみる。


 すると、彼女の息子は中学生で、学校生活がうまくいっていないようだった。そこで、どうにかサポートをしてあげたいと思って、学校に押しかけると、その日から息子の反発が始まったらしい。帰りが遅くなることも度々あり、口論が多発。壁に向かって、ぶつぶつと呟いている息子を見た時が、症状が起きた一番初めの出来事だと。

 息子との関係が悪いことは自覚していたため、そこは折り合いをつけてきたが、どんどん体調が悪くなってきた。自覚症状としては、寒気、肩の重み、頭痛、突然の眠気などがあり、時には無意識のうちに動いている夢遊病の症状まであるという。


「……はは、それはですね」


 始めはまだ、よくある話だなと考えていられた。学校生活に問題があって、それが家庭にまで悪影響を及ぼし始めたのだろうと。しかし、話が進むにつれてどうも雲行きが怪しくなってきた。……夢遊病の症状?

 これは明の専門外ではないか? 『君子危うきに近寄らず』というモットーに反する、あちら側の話だ。……困った。

 専門家を紹介して、切り上げよう。出ないとまずい予感がする。


 今日の運勢は、『木占』によると大凶だ。……それでなくても、今の現状がよくないことはわかる。


「そうなんですよぉ……あの日から、おかしくなってしまって。耳元で、ボソボソ幻聴まで聞こえてくる始末で」


 息子側の問題だと思っていたが、それを聞いた途端気付いた。


 ……この人、ヤバい。憑かれてる。


 (いや、いやいや。あちら側は俺と相性が悪すぎるんだって。これは不味すぎる)


「落ち着いて下さい。……息を吸って、吐いて」


 ジリジリと後ろに下がり、刺激をしないように落ち着かせようとするが、彼女は言の葉を吐くのをやめない。

 それどころか、『やめろ、やめろ、いやだ、いやだ。気持ち悪い、気持ち悪い』と誰に向かって話しているのか、頭をブンブン振り始めた。


 ゆらゆらと揺れている明かり。かすかに占術器具たちまで、反応しているように見える。


「あー、待って、待てって!!」


 俺は占うことは出来ても、祓うことは出来ない。


 手を前に突き出して、止まるように言っても全く意味が無いのは分かっているが、放置した方が危ない。とにかく声をかけ続ける。


 ーーこういう時に高い金を払って、守りを敷いているのに、何で来ないんだ!!


 明の頭の中には、明の周辺を守るように依頼をしているある男のことが浮かんでいた。これはどう考えても危険が迫っているはずなのに。


 周囲が繁華街なのにもかかわらず気味が悪いほど静まり返った店内で、女性はゆっくり近づいてくる。この季節で、寒いなんておかしいだろう。


「安心して下さい。ここは安全な場所だから、気持ち悪くないし、何も不安なことはないですよ」


 呼びかけながら、相手を見つめると、ここまで髪長かったか? と疑問に思った。

 そのとき。テーブルを挟んでいたはずの客が一気に迫ってきて、首を鷲掴みにされる。


「……っっぐぅううう」


 ばん、ばん、と女性の力とは思えない力で首を締め上げられ、振り回される。脳に空気が回らなくなっていくのをヒシヒシと感じるのは最低だった。それだけでなく、抵抗する気力さえも奪われている気がした。


 (こりゃ、死ぬかも)


 意識が遠のいてきたところで、そういえば今日、暁月がなにか言ってたなと思った。だが、全く思い出せなかった。

 苦労して生きてきたが、最後はこんなものになるとは。遺体だろうが、絶対家門には戻りたくない。


 ーーそこで、


「……明様ぁ」


 不吉な黄泉からの呼び声が聞こえた。


 ーーバァン!!!


 激しい音ともに、女は床に倒れた。


 何が起こったか、よく分からなかった。

 荒事は専門外だ。占い師に暴力は要らないという持論のもと、逃げ足と弁論の技術だけを鍛えてきた結果、そうなったのだが。


「明様、誰にでも優しくしないでください。みんな、明様のこと好きになっちゃう」


 真っ暗な闇色の瞳を抱えた、恐ろしい少女がそこに立っていた。




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