1.暁月摩耶
明が経営している『
占術には色々種類があって、有名どころは四柱推命、九星気学、風水、算命学などだろう。
姓名判断、タロットや手相占い、ルーンなども数えていけば、占いの種類は幅広い。眉唾物は扱わないが、大抵の占いを行えるようにしてある。
特に明が得意なのは、中国古来の命術だ。誕生した生年月日、時間、場所から、命式を描き、組み合わせから傾向を見る。さらには、九星を見て、方角を調べて分析もする。多目的使用可能な占い師である。
『卜』では、初回は基本的に四柱推命を見て、相手の希望に合わせて占い方を変える。
現代には、便利なネットやプログラムがあるので、一度組んでしまえば効率的だ。そこに生年月日、姓名その他の情報を入れ込んで計算させて、基本情報を割り出し、そこから占いをスタートする。あとは個人の相談に乗り、最適な解を導き出す。
アンケートや聞き取りの時間を考えると、初回の人間を占うより、2回目3回目の客を見た方が楽なのだが、それには一箇所に店を置かなければいけないので難しい。
彼が一ヶ所に店を置かないのは、彼の出生が大きな理由だが、目の前にいるこの後輩ーー暁月摩耶も原因の一つであった。
肩口で揃えた黒のショートヘア。ぱっつん前髪。顔は小さく、猫のような目は大きくて、それに歪さが全く無い。いわゆる美少女というやつだった。
体格は小柄で、何から何まで華奢。
それでいて運動神経抜群、成績優秀。学業面では全く欠点の見当たらない優等生。しかし、天然が入っているので、それが大ウケして、何をするにも周囲が反応する。暁月が席を動くだけで噂が立つという噂まであった。
どうして、明がこの後輩から逃げ回っているかと言うと、それは単純だった。暁月摩耶はやばいやつだから。それに尽きる。
この後輩は、頭がおかしい。
とにかく頭がおかしい。
初めて、こいつが店に来た時の話である。
その時の暁月はいまとは違い、チェック柄のベレー帽、それと揃いのワンピース、青いリボン。濃緑に近い黒髪は長く、ぱちぱちとした睫毛も長い。丸っこい猫目は、まるでアイドルでもしていそうな見目であった。
彼女は、
『明様ですよね。ぼく、明様に救われたので、明様のために生きます!』
そう言って、突然抱きついてきたのだ。柔らかな感触に、最初何が起きたのか理解できなかった。日本でーーパーソナルスペースが広めの国で、初対面の相手に抱きつく行為をされたという事実を情報処理できなかったのだ。
この時、速やかに門前払いすれば良かった。それかやばいと思って、逃げれば良かった。占い師ゆえに、それくらいの判断能力はあった……はずだ。
しかし、商売を始めたてだった明は、客に貴賤は無いとこいつを受け入れた。
そもそも救われたなんて聞き慣れた言葉だったので、全く気にしなかった。もっとやばい客だって見て来た。人殺しだって占ってきた。だから、どんな女だろうが、普通に占ってやろうと。困った時は逃げれば良いと思っていた。
考えてみれば、紹介してもいないのに始めたての店の位置を知っていて、名前も知っているという時点で、おかしかった。
こんな少女に会ったことも、見た覚えもないのに。
『
上目遣い。抱きついたまま、きゅっと手を握ってきた。……本来なら、こんな美人に抱きついてもらえたと喜びたいところ。しかし、心底背筋がゾッとした。
輝いているように見えて、ドロドロの瞳だった。皮の下には、なにか恐ろしいものを背負っていそうだった。根本からゆがんでいて、どうしようもない。
ヤバそうなやつだと思いながら、そんな奴はたくさんいるとも自分を説得して、占いを開始。
全体の運勢を占い、マヤの性格や特性などどう生かしていくべきかをアドバイスした。今年は事故や危険に遭う可能性がある、と説明しただけだ。そこを気をつけろと言った。転機が来るのだ。その機会を活かすことができれば、成功すると伝えた。
ーーその翌日、この女は車に轢かれた。
この女。ほんとうに、あたまが、おかしいのだ。
『明様の言うとおりでした。見ての通り、事故っちゃって……。明様は凄いですね』
そう言って目を輝かせ、彼女はまた『卜』に来た。手をギプスで締め上げ、片脚を折っていた。それでも顔はニコニコと。
事故に遭って避けられなかったことを非難するでもなく、わざわざ報告しに来たので奇妙だと思った。痛みを感じていないような表情だったので、仮病でもして、クレームをつけに来たのかと思ったほどだった。
そして、それが本当に起こったことだと知って、忠告をなぜ聞かなかったのか怒鳴りそうになった。
しかし、轢かれた理由が、
ーー明が『
暁月はそれから頻繁に明のいる場所を嗅ぎつけて、店にやってくる。とうの昔に出入り禁止になっているが、それでもやってくるので、取り扱い厳重注意の爆弾というわけだ。無許可な店ゆえのジレンマである。
明はあの衝撃を二度と感じたくないため、暁月には服装や健康など、当たり障りのない占いしかしない。それでも会いたくない気持ちが強く、場所を変更する。暁月は嫌な気配をいつも漂わせていて、逃げたい気分を増幅させるのだ。これはもう、明の本能である。
そして、こいつは高校まで嗅ぎ付けて後輩になった。
「そこの一年、教室に戻れ」
明は暁月がやって来た廊下を指差し、早く帰るように伝える。言葉で伝えなければ、彼女は言うことを聞かない。
が、いつのまにか友人ーー翔太と話をしている。
「マーヤちゃん、何しに来たんだ?」
「明先輩に会いに来ました」
「えー、俺に会いに来てはくれないの?」
「えへへ、うーん。興味ないかもです」
「ガーン」
「変な顔〜」
横でふざけるバカーー翔太と、笑う暁月。……翔太、おまえはそれでいいのか?
「……何のようだ」
暁月が来ると周りの注目が集まるので、早く帰らせるために要件を聞く。
「用がないなら来るな」
あまりにも明が暁月に対して、態度が悪いので、「明、もっと優しくしてやれよ」と翔太は言うが、聞く気はなかった。宿題でも写したらどうだと机の上を指差すと、慌てて戻って行く。
視線を暁月に戻すと、彼女はいつも通りニコニコと微笑んでいる。
「はーい、先輩。こんにちわです。昨日会えなくて寂しかったです。元気でしたか?」
暁月はゼロ距離にまで近づいてきて、明の肩口をパッパッと払う。
それを見た翔太が教室からヒューと口笛を吹き、「あつあつだねー」と言うので、明日から課題は見せないことに決めた。
「明先輩〜、嫌なものつけちゃダメですよ!」
「嫌なものってなんだ」
「えー、うふふ。教えてもいいですけど」
「……帰れ」
俺にとっての一番嫌なものはお前だ。
ほぼ毎日、強制的に会っているというのもある。しかし、それ以上に暁月は人の神経を逆撫でするので、気を張らざる得なくなる。
「僕を、そんなに邪険にして良いんですか?」
「脅すなら、逃げる」
「えー、逃げちゃいます? 追っかけっこ、です?」
鬼ごっこなら得意です。と、暁月は話す。こいつなら、本当に追ってくるだろう。
どこまでも、話が通じない。
眉間にシワがよるのを感じた。
暁月に、ぐいーっと伸ばされる。「眉間の皺は良くないです」なんて、誰のせいでこうなってると思ってんだ。
ーーというか。
「いい加減離れろ。要件を言え」
暁月はぱちぱちと瞬きをして、背伸びをして耳元で囁いた。
「うーん、昨日会えなかったから、会いたくて来たのです。
でも、要件は出来ちゃいましたね。正確なことは分からないですけど、悪いものが寄ってきてます。困ったら、僕を呼んでください。誰でもなく、僕を呼んで」
あやしく、薄ピンクの唇が微笑んで、そう伝えた。わざわざ小声で伝えたのは、翔太に気を遣ってなのか、周りをざわつかせたいからなのか。
不吉なことを言うんじゃない。言霊は成るんだぞ、そう思った。
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