cys:4 少女からのハンカチ

「寒い……いっその事、もう何も感じなくなればいいのに……」


 あれからもう、約2年の月日が流れた……


 ノーティスは、別れ際に父親から強引に渡された金で辛うじて食料を買い、野宿をする生活を強いられていた。

 僅か15歳の少年がだ。


 無論学校にも行けていない。と、いうよりも、強制的に退学をさせられた。

 いくら夢の為に頑張っていても、無色の魔力クリスタルの奴なんかに在籍されてちゃ迷惑だと言われて……


 親からゴミのように捨てられた上に、理不尽極まりない理由で学校を退学させられたノーティスは、虚ろな目をしたまま街を彷徨っていた。


 そんな中、急にポツポツと降ってきた雨が、ノーティスの頬を冷たく濡らしてゆく。


───雨だ……


 すると、雨は急速に勢いを増しザアザアと降ってきた。

 なので、街行く人達は傘を差したり建物に非難して雨宿りしているが、ノーティスにはどうでも良かった。

 むしろ好都合だ。


 瞳から溢れて止まらない涙を、雨が覆い隠してくれるから。


「くっ……うぅっ……俺は、一体何の為に生まれてきたんだろう……この世に、魔力クリスタルさえ無ければ……」


 そんな自問自答を繰り返しながら冷たい雨の中を歩いていると、近くに少し大きな木が見えた。

 ノーティスはフラフラと歩きながら、ずぶ濡れの体でその木の下に行くと、ゆっくり座り膝を抱えこみ、雨の降りしきる街をぼんやりと眺め始めた。


 街行く人達は、そんなノーティスの事をたまにチラッと一瞥はするものの、みんな怪訝《けげん》な顔をして去っていく。

 無色の魔力クリスタルを持つ人間になんて、決して誰も声をかけてはこないから。


───別にいい。いつもの事だよ……


 身体もドンドン冷えていく中、ノーティスはうずくまったまま瞳を閉じて思う。


───今はせめて、この冷たい雨が早く止んで欲しい。もう俺には、流す涙すら無いから……


 けれど、その時だった。


「ねぇキミ、大丈夫? こんな所で濡れたままだと、風邪引いちゃうよっ♪」


 その声にハッとしたノーティスが、座ったままその声の方をサッと見上げると、その瞳に映った。

 濡れた自分に片手でハンカチを差し出し、優しく微笑んでくる少女の姿が。


 歳は恐らくノーティスと同じぐらい。

 綺麗なショートヘアからクリっと可愛い目を覗かせる、少しボーイッシュな恰好の女の子だ。

 片手には可愛らしい傘を持っている。

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「キミは……」


 あまりにも突然の出来事に上手く言葉が出てこなかったノーティスは、その少女を思わずジッと見つめてしまった。

 すると少女は、そんなノーティスに軽く叱るような口調と共に、片手でハンカチをさらにグイッと差し出してきた。


「ほら、何してるの? 早くこれ受け取って♪ ちゃんと拭かなきゃ風邪引いちゃうでしょ」


 そう告げられたノーティスは、頭が混乱したまま少女を見つめている。


 普通に考えたら、親切にハンカチを差し出してもらっただけかもしれない。

 けれどノーティスにとっては、信じられないぐらい特別な出来事だったのだ。


「あっ……あの……」


 無色の魔力クリスタルだと皆に知られてから、人から声をかけられた事はもちろん、何かを善意で差し出された事も、体調を心配された事も無い。

 また、何とかタダ同然で清掃の仕事をさせてもらってる店の皆からも、薄気味悪がられているから。


 その為ノーティスはこの出来事に脳の処理が上手く追いつかなかったが、少女の綺麗な優しい瞳に導かれるかのように、ゆっくり手を伸ばしハンカチを受け取った。


 すると少女はノーティスを見つめたまま、ニコッと嬉しそうに笑った。


「よしっ。じゃあ、これでちゃんと拭くんだよ♪」

「あっ……あぁ」


 ノーティスは不思議そうな顔をしてそう零しながら、顔をハンカチでそっと拭いた。

 その瞬間、ハンカチから心に染み込んできた温かさに、ノーティスは思わず涙が溢れそうになってしまう。


 あれ以来、無色の魔力クリスタルだと判明して以来、こんな温かさに出会えるなんて、もう二度と無いと思っていたから。


「うっ……くっ……」


 けれどノーティスは、女の子の前で泣くのは恥ずかしかったので、しばらくハンカチで顔を覆って涙を隠し涙を止めた。


 そして、ハンカチを顔からサッと外して少女に微笑もうとしたのだが、微笑む事が出来ず心とは逆に無愛想に片手で渡してしまった。

 あまりにも辛い日々が続き、笑い方を忘れてしまったから。


「あ……あっ……」


 ありがとうと言いたいのに、その言葉が出てこない。

 まるで呪われてしまっているように。


 けれど、その少女はそんな事は気にしない。


「どーいたしまして♪ ホント良かった。ボクのハンカチが役に立てて嬉しいよ。風邪引かないでね♪」


 自分の事をボクと言う少女は、ノーティスにニコッと優しく明るい笑顔を向けてくれた。


 けれど、その時だった。


「何してるの!」


 少女の後ろから、叱りつける声が飛んてきたのだ。


「お母さん……!」


 少女がハッとして振り向いた先にいたのは、その少女の母親だった。

 少女は母親から怒鳴られた事に納得がいかず、思わずちょっと顔をしかめた。


「何って……濡れてる子がいたからハンカチを渡したんだよ」

「ハァッ、全くこの子は……バカな事して!」


 その言葉にカチンときた少女は、少し口調を強める。

 母親の事は大好きだが、今の言葉に納得なんて出来ないから。


「何がバカな事なの?! この子、雨に濡れてるんだよ! あのままじゃ風邪引いちゃうと思ったし、お母さんだって、いつも人には優しくしなさいって言ってるじゃない!」


 少女の訴えを受けた母親は一瞬目を見開くと、フウッとため息をつき、うんざりした顔を少女に向けた。

 そして、諭すように話をしていく。

 間違ってるのはアナタなのよという顔で。


「確かに言ったわね。でもダメなの。あの子はボロボロだし……それに、魔力クリスタルの色が無色でしょ!」

「お、お母さん……!」


 少女は、哀しい瞳で母を見つめたままガクッと肩を落とし、瞳に涙を滲ませうつむいた。

 自分が良かれと思ってやった事を、母親から全否定されたからだ。


 その姿を見たノーティスはバッと立ち上がり、両拳にギュッと力を込めると、その母親の方へバッと顔を向けた。

 遂にキレたか? いや違う。

 むしろ真逆だ。


「ごめんなさい! その子を叱らないでください! アナタが言う通り、悪いのは俺なんです!」

「えっ……」


 少女の母親は、何を言ってるの? と、いう怪訝な顔をノーティスへ向けてきた。

 てっきりノーティスがキレて、自分に怒鳴りつけてくると思っていたからだ。


 そんな風に思っている彼女に、ノーティスは本当にすまなそうな顔を向けて謝罪する。

 自分の為じゃない。

 少女を母親の怒りから守りたいからだ。


「こんなボロボロで、無色の魔力クリスタルなんかである俺がいけないんです……心配させちゃって、本当に……ごめんなさい……!」


 ノーティスが深く頭を下げると、少女の母親はバツが悪そうにフンッと息を吐いた。

 まるで自分が悪者で、矮小な存在に感じてしまったから。

 そして少女を呼びつける。


「ほら、サッサと行くわよ! まったく、気分悪いわ」


 少女にイラッとした顔でそう言うと、少女の母はその場から逃げるようにさっさと歩き始めた。

 けれど少女は母親には付いて行かず、頭を下げているノーティスにそっと近寄ると、顏を覗き込み優しく微笑んだ。


「ねぇ、顏を上げて」


 でも、ノーティスはそのままの姿勢を崩さない。

少女の母親が歩いて行った方へ、ずっと頭を下げたままだ。

 無色で無力な魔力クリスタルの自分には、少女の母親に頭を下げる事しか出来ないと思っているから……


「このままでいい……俺なんかと関わるな。キミを心配するお母さんの気持は間違ってないし、俺は……キミがまた怒られちゃうのを見たくないんだ」


 少女にそう答えると、ノーティスはそのままハンカチをそっと差し出した。


「ただこれ、本当にありがとう。グシャグシャにしちゃってごめん……」

「そんな事……」


 少女は悲しい顔でノーティスからハンカチを受け取ると、それをギュッと握りしめた。

 そしてそのままノーティスの顔を覗き込み、涙を我慢しながら口調を強めていく。


「いいから、顔上げてよ……」

「このままでいい。俺は……何の価値もないんだ……」

「ねぇ……いいから顔を上げて」

「頼む。早く、早く行ってくれ……!」


 ノーティスが懇願するような声を零した時、母親が少女に振り返り、再びその少女の事を大声で呼ぶ。


「何してるの!? 早く来なさい! いつまでそんな子に関わってるの!!」


その瞬間だった。


「うるさーーーーーーーーーいっ!!!」


 少女は母親に振り向き大きくギュッと顔をしかめ、大声で叫んだ。

 もう耐えきれなかったから。


「お母さんは何を見てるの?! この人の魔力クリスタルだけ? 魔力クリスタルが無色だから……魔力が無いからって……それが何なのよ!!」


 少女はその可愛く綺麗な瞳から涙を零し、母親へ訴えるような眼差しを向ける。


「この人は、お母さんにあんな事言われたのに怒るどころか……私の事を心配してくれたんだよ! それに、お母さんに謝ったじゃない! この人……何も悪い事してないのに!!」

「アナタ……」

「この人が、この人が……お母さんに何をしたのよっ!!!」


 少女は喉が枯れるぐらい思いっきり叫ぶと、ハァハァと息を切らして再びノーティスの方を向いた。


「ねぇ、キミが顔上げないからボク、お母さんにあんな事言っちゃったよ……」


 ノーティスは、再び涙が零れそうになるのをグッと耐えた。

 無色の魔力クリスタルを持つ呪われた子だと、皆からさげすまれ迫害され続けてきた自分の事を、少女は愛を持って心から守ろうとしてくれたらだ。


 「キミは……!」


 顔を上げて少女を見つめると、少女はノーティスに向かいニコッと嬉しそうに微笑んだ。


「やっと、顔を上げてくれたね♪」

「すまない。俺のせいで……」

「いーの♪ ママはああ言うけど、ボクはそう思ってないから。だってキミは優しいし、瞳が綺麗だもん」


 少女はノーティスにそう言って優しく微笑むと、握ったハンカチをノーティスの胸にグッと押し当てた。


「それとね、このハンカチはキミにあげる♪」

「えっ、いやそれは……」

「いいから♪ ボク、キミに覚えといてほしいの。自分の味方もいるんだって事を」


 ノーティスに天使のような微笑みを向けると、少女はサッと背を向け母親の元へ駆けて行った。

 その後姿を見ながら、ノーティスはしばらくジッと立ち尽くしていた。


 そして、少女の姿が見えなくなった後、ハンカチを感謝と共に見つめ綺麗に折り畳むと、自分の胸のポケットそっと大切に入れた。

 すると、胸にその女の子の優しさが染み渡り、ノーティスの心から自然に言葉と笑みが静かに溢れてくる。


「ありがとう……」


 瞳を閉じ、温かさを心に染み渡らしていくノーティス。

 また気付けば雨も止み、まるでノーティスの心を現わしているかのように、温かい日の光が差し込んできた。


 が、その時だった。


 ドガンッ!! という大きな爆発音が耳を貫き、ノーティスがハッ! と目を開けた瞬間その瞳に飛び込んできた。

 今いる場所から100メートル程離れた場所で、巨大なモンスターが街を破壊している光景が!


 まさか! と思ったノーティスは、逃げ惑う人に思わず尋ねる。


「すいません、アレは何ですか?!」


 すると男は足を止め、ノーティスにチラッと振り返った。


「決まってんだろ、フェクターだよ! 魔力クリスタルが故障すると、魔力の暴走でバケモンになっちまうフェクターだ!」

「えっ?」

「あの野郎……魔力クリスタルの、定期検査を怠りやがったに違ぇねえのさ!」


 男はそう答えると、そのままダダッと一目散に走り去っていった。


「あれがフェクター……!」


 それについてはノーティスも実は研究していたので、存在自体は知っていた。

 ただ、実物を見たのは初めてだったし、何より魔力クリスタルの故障が原因という点は、今の自分とある意味近しい存在にも感じてしまう。


───きっと、なりたくてなったワケじゃないよな……


 けれどノーティスは、それより遥かに重要な事をハッ! と思い出した。

 あの怪物がいる場所は、さっきあの少女が母親と一緒に歩いていった方向だったのだ。


───まさかっ!


 そう思った時、ノーティスはフェクターのいる方へ向かい全速力で駆け出していた。

 寒さと飢えと疲れで、身体は完全にボロボロである事も忘れたまま……!

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