第6話:母親
一級ダンジョン『A142』を攻略して、家に戻ったのは午後七時半頃だ。妹の
「お兄ちゃん、お帰りなさい! 早かったわね」
綾香がニコニコして出迎える。まるで見えない尻尾を振っているみたいだ。ホント、こいつもすっかり素直になったよな。
俺が
「遥斗、帰ったのね」
アッシュカラーのセミロングの美人が、キッチンから顔を出す。彼女は綾香の母親で、遥斗の義母の
もう直ぐ四十歳になるそうだけど、見た目的には二十代って言っても通用するな。
静香は見た目だけじゃなくて、仕事の方もやり手だ。綾香を産んで直ぐに離婚したのに、遥斗まで引き取って。何不自由のない生活をさせるだけ稼いでいる。ちなみに職業は弁護士だ。
「母さん、ただいま」
普通に挨拶しただけなのに、いきなり静香が涙ぐむ。
「遥斗……何度呼ばれても、母さんって呼んでくれるのは嬉しいわね」
俺が遥斗になるまで、遥斗はずっと『静香叔母さん』と呼んでいたそうだ。まあ、遥斗の気持ちも解らなくはないけど。
俺としては、静香が母親なんて感覚は全然ないけど。空気を読んで『母さん』って
呼んでいる。
騙しているようで、申し訳ないけど。そこは目を瞑るしかないな。
「もう、お母さんは毎回大げさなんだから。そろそろ慣れないとダメだよ」
「別に良いじゃない。本当に嬉しいんだから」
静香と綾香は、本当に仲の良い母と娘って感じだけど。この二人の関係も、俺が遥斗になったばかりの頃は、ちょっとギスギスしていたからな。
「遥斗。夕飯ができるまでに、もう少し掛かるから。先にお風呂に入って来たら?」
「じゃあ、そうするよ」
俺が風呂からか上がる頃には、夕飯ができていて。家族三人で夕食のテーブルを囲む。
今日のメニューは唐揚げに、クリームシチューに、サラダ。俺の皿だけ、唐揚げが山のように盛られていたけど、十分で完食する。
「ホント、遥斗はたくさん食べるようになったわね。探索者をしていると、そんなにお腹がすくものなの?」
静香は俺が探索者になるのを、反対しなかったけど。心配はしているようだから、ちょっと心苦しい。
「ああ、動くから腹が減るのもあるけど。母さんの料理は美味いから、幾らでも食えるよ」
「遥斗……また、そんな嬉しいことを……」
「もう、お母さんはそこで泣かないでよ。ほら、ティッシュ!」
「綾香、ありがとう……」
『
アリウスは子供の頃から冒険者をしていたから、両親や双子の弟と妹と接する時間はそこまでなかったけど。家族はみんな仲が良かった。
だからだろうか。静香と綾香を見ていると、家族のことを思い出す。
「ねえ、お兄ちゃん。サラダは私が作ったんだから。ドレッシングは市販のじゃなくて、お母さんに作り方を教えて貰ったのよ」
「へー、綾香が作ったんだ……うん、美味いよ。味がしっかりしていて、俺好みだな」
「ホント、お兄ちゃん!」
綾香が物凄く嬉しそうな顔をする。仕事と家事の両方で忙しい静香の手伝いをするのは、良いことだし。綾香は褒めて伸びるタイプだから、きちんと褒めておこう。
食事が終わると三人で後片付けをした。俺が片づけを手伝っていたら、綾香も手伝うようになったんだよ。
後片付けが終わると、俺は自分の部屋に戻って勉強を始める。
俺が通っている市浜学院は、結構偏差値が高くて。上位層は一年生から大学受験の勉強をしている。だけど俺はそこまで頑張るつもりはない。
いつかは『
俺は前世で、それなりのレベルの理系の大学院を卒業しているから。理系と英語の授業は今さら感があるし。国語も理系のわりにできる方だから。
だから俺に足りないのは、俺が知っているのとは違うこの世界の歴史や、ダンジョンに関する知識で。ネットで情報を調べるにしても、ベースの知識が必要だから。社会科の勉強は真面目にやっている。
俺はスマホを見る習慣がないから、気づかなかったけど。いつの間にかメッセージアプリに着信があった。相手は同じクラスで一応友だちの
今日新作のケーキが発売される店に誘われたけど。結局一人で行ったらしく、ケーキと自撮りの写真が送って来た。
『今度、絶対に付き合いなさいよ。また断ったら、あんたが陰キャじゃないことを、バラすからね♡』
内容とハートマークが合ってないと思うけど。まあ、琴乃は俺にやたらと構う変な奴だからな。ケーキを食べに行くくらい付き合っても良いか。
そんなことを考えているとき――『
『索敵』は効果範囲内の魔力を感知するスキルだ。俺は『索敵』を常時発動していて、効果範囲は半径五kmを超える。
効果範囲が広いから、常に誰かの魔力を感知しているけど。今反応した魔力は、他の奴とは桁が違って。しかも俺の方に真っ直ぐ近づいて来る。
このまま家にいると、最悪、綾香と静香を巻き込むことになるから。俺は『
『認識阻害』と『透明化』を発動したのは、相手というよりも他の奴に見られないためで。『単距離転移』は距離に制限があるけど、『
このまま待っているよりも、先手を打った方が有利に進められるからな。俺はこっちに向かって来る魔力の方へ移動する。
そいつも空を飛びながら、『認識阻害』を発動していたけど。俺の方がレベルが高いから通用しない。
つば広の帽子を目深に被って、季節に合わないトレンチコート。絵に描いたような怪しい奴は、俺に気づいていないようで、目の前を素通りする。
「なあ、俺に用があるんだろう?」
俺が『認識阻害』と『透明化』を解除して姿を現すと。
「いきなり魔力が消えたので、そうかとは思いましたが。
そいつが帽子を取ると、現れたのは昆虫のような複眼。複眼以外は人間の顔で見えるけど、人間の筈がないな。
「さすがはアリウス・ジルベルト――いいえ、今は
複眼の男がニヤリと笑うと、口の中の鋭い牙が見える。
俺の正体を知っているってことは、こいつが俺を遥斗にしたか、あるいは俺を遥斗にした奴と繋がっているんだろう。
「おまえの目的は何だよ?」
素直に答えるとは思わないけど。腹の探り合いは好きじゃないから、ストレートに訊く。
「私は貴方に忠告をしに来たのです。せっかくこの世界に連れて来たのに、貴方は慎重過ぎるので、もっと大胆に行動すべきだと。
貴方の力があれば、大抵のことはできるでしょう? 私たちをもっと楽しませてくれないと、いつまで経っても、貴方の大切な人たちがいる世界に戻れませんよ」
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