5 さすが天才科学者ユマちゃんなのです

 その日の授業はなんとか乗り切って。

 放課後に化学室に行くと、由真は白衣を着て待っていた。……お世辞じゃなく似合っている。十六歳にしてここまで白衣が似合う女子高生も由真ぐらいじゃなかろうか。


 椅子に座った由真は、にやにやしながら言った。

「お、お二人さん揃っておいでですか」


「それよりどういうこと?」

 おっさんくさいあいさつは無視して、由真に問いつめる。


「そうね……」


 相変わらずにやにや。


「奈緒、自分の見たものを信じられる?」


 急にそんなことを言われて、私は怪訝な顔をした。


「えっと……最終的には自分の見たものを信じるしかないんじゃないかな。そうじゃないと、何も信じられるものは無いと思うし」


「哲学的な答えね」


 由真はそう言って小さく頷いた。


「でも、正解じゃないわ」


 わざとらしく人差し指を立てて、ちっちっちっと顔の前で振って見せる。


「科学的に言えばね。所詮知覚の全てなんて脳が感じる電気信号に過ぎないのよ。……つまり、逆に言えば。『そう言う電気信号』を脳に感じさせれば、それだけで奈緒の五感を偽ることができる、っていうわけ。究極のバーチャルリアリティね」


「……なんの話?」


 急にわけのわからないことを言い出した由真の顔をじっと見る私。


「つまり、そういうことよ」


「はぁ?」


 藤阪が露骨に顔をしかめる。

 そこで、由真のにやにやは明らかな笑みに変わった。


「私の実験、大成功ってわけよ」

「はぁ?」

 もう一度。今度は私と藤阪の声がきれいに揃っていた。


「実験って……どういうことだ?」


「私の大実験よ」

 全く答えになってないことを言って胸を張ってみせる。張るような胸もないくせに、と心の中で皮肉を言っておく。


「『大』って自分で言う?」

 そう言いながら、私は横に目をやった。……藤阪、こめかみに少し血管浮き出てるよ。


「うん。大実験よ。……人間の知覚をいじれるか、っという実験ね」


 そう言って、芝居がかった様子でくるっと一回転する。


「知覚をいじる?」


 私が聞き返す。


「細かいことは説明しても分からないだろうから省略ね」


 うー。反論できない。


「要するに、幻覚を見せる魔法を掛けた、とでも思って」


 言うに事欠いて魔法ですか。


「魔法って言ってもちゃんと科学的に私が研究に研究を重ねた技術だけど」


「ふーん、すごい」

 しらけた口調で藤阪が言った。


「すごいでしょ」


 皮肉と気付いてやってるのかそうでないのか、また胸を張ってみせる。……私より少しだけど大きいのがまた悔しいんだ、少し。


「さすが天才科学者ユマちゃんなのです」


 ピースしてみせる。平和なのは由真の頭の中だけだ。


「でも、意味が分からないんだが」


 由真のテンションには全く乗らずに、冷静な口調で藤阪が言う。


「いつそんなのを仕込んだんだよ。……そしてなんで、俺たち二人なんだよ」


 確かに。

 正直言って藤阪と私の間にはほとんど接点はない。

 

 しかしそこで、由真は少し残念そうな表情を浮かべた。


「でも、体質的なものがあるみたいで……人間の脳って微妙だからまだまだ全員に効き目を出すのは無理みたいね」


 私も見たかった、と悔しそうにつぶやく。


「それに、今回の実験はまだ知覚をいじり切れるわけじゃないのよ」


 そう言って、もう一度吐息。


「私には五感全部を左右することはできてないから。味覚は意味がないし、嗅覚とか聴覚をいじれるほどの力量はなかった。だから、ねこみみに話し掛けても声は聞こえない」


 そう言えばそうだ。

 自分のねこみみをつまんでみる。耳たぶであればごそごそと指と擦れる大きな音がするはずだが、感触はあるものの何の音もしない。


「その辺は限界よね。修行不足」


 ……いや、充分だと思う。


 呆れの混じった浮かない顔をしている私たちに、由真は急にあっけらかんと言った。


「大丈夫だいじょぶ。多分来週には消えてるよ」


「来週まで続くのかよ……」


『まで』にアクセントを置いて藤阪が吐息をつく。

 今日が水曜日だから、最低でも4、5日ぐらい――。


「あのさ……由真。ひとつ聞いていい?」

「なに?」


 悪びれない様子で聞き返す由真。


「なんでねこみみなわけ?」


「だって、ねこみみかわいーじゃん」

 そう言って、にやにやしながら、頭の上で手のひらをひょこひょこさせて見せる。


「あほか」

 もはや文句を言う気力も失せたような声で、藤阪が言った。

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