第119話 【12月28日】
いつものように会社に着き、働き、昼食を食べ、少しの時間同僚と話をして、時に数時間のサービス残業も厭わず、電車で家路に着く。この当たり前の日常がいつの間に当たり前になったのだろう?
ボクは生来他人の決め事にアレルギーがあった。反抗的ということではない。むしろ生真面目に従うのだが、そのうち周りから「そこまでしなくていいよ」と揶揄交じりに諭され、理由が分からないでいると今度は「大人になれ」と言われる始末。不器用と言ってしまえばそれまでだが、決まり事を作った側の器用さ(?)には恐れ入る。それが大人、ということなのか?ボクにはずっと不可解だった。
昔ささいなことで父親と口論になり、父親が「全うなことを口にするなら、まず自分で自分の身を立ててみろ」と言い放った。その言葉は当時のボクにとって最大の弱みだった。自分がまだ未成年で、社会を知らず自分を知らないでいるのは明白だったから。
今大人になってあの言葉はずるいと思う。子どもは子どもだからこその思いや考えがある。それを「お前はまだ子どもだから」の論理で裁断されれば、子どもは黙って従うか自分を見失うしかない。だって子どもは子どもであることに間違いないのだから。そしてそれを望んでいるのはむしろ大人の側ではないのか?
正直になりたいと思う。ボクは今や「立派な大人」の側に立っているのではないか。しかしそれは本当に大人に値することなのだろうか?
地下鉄のいつも不機嫌そうな駅員の顔を眺めていた。彼はずっと不機嫌なのだろうか?駅員でいる事が嫌なのだろうか?気がつけば彼のような大人ばかりが街を大人顔でうろうろしている。
みんな頑張って生きてるのだろうな。自分を殺して、我慢して、本当の自分をどこかに置き去りにして、それでも日々を積み重ねている。仕方なく、果てしなく…。
でもボクは違和感を覚える。それで誰が一体得をするのか、一体誰が幸福になるのか。分からない。ボクはやはり、正直でありたいと思う。
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