#6

 アルマ文化財団でのプレゼン当日は、気持ちの良い五月晴れとなった。午前中に行われる理事会に出席するため、朝の品川駅に着いた白井は、駅ビル内のカフェでプレゼン内容を見直し、それでも時間が余ったので、駅から放出された人々が各々の職場に向かい、ビル街で新しい一日が始まる景色を眺めた。学芸員としてこれまで培った知見を最大限つぎ込み、苑美としてベストな提案内容を作れたという自信はあったが、第三美術館を相手に勝算は限りなく薄いことは分かっていた。しかし、白井自身にとってプレゼンの結果はもはや、大した問題ではなくなっていた。

 

 忙しい朝の風景の中で、不思議と穏やかな心持ちとなっていた白井は、思いついたようにスマホを取り出すと、ある番号に電話をかけた。コール音が数回続いた後、聞き慣れた美祢の声が聞こえた。

 

「了くん、おはよう。どうしたの?」


「上山さん、朝からごめんね。実は今から、例のベタンクール展関係で大事な会議があって、、ちょっと上山さんの声が聞きたくなったんだ」


 朝の雑踏を背景にした沈黙がしばらく続いた後、美祢が静かな声で答えた。

 

「そう、、頑張ってね。了くんが、大事な時に私に連絡してくれたのが嬉しい」


「ありがとう、、それと、また会えるの楽しみにしてるよ」


 電話越しに、美祢がふわっと微笑んだような気がした。電話を切ってから時間を見ると、恵里佳とアルマ本社前で待ち合わせる時刻が迫っていた。白井は残りのコーヒーを飲み干すと、静かに席を立った。

 

                 ◆      


 アルマ本社ビルの1階ロビーに着くと、スーツ姿の恵里佳が駆け寄ってきた。いつになくフォーマルな装いの後輩を珍しそうに見ていると、恵里佳は恥ずかしそうに目を逸らしながら、「緊張してるんで、あんまり見ないでください」ともじもじした。理事会の時間が近づいていたので、いよいよ文化財団本部に向かおうとした矢先、ヒールの音を高く響かせ、濃い化粧をばっちり決めた女性が近づいてきた。言わずもがな、第三美術館の学芸員、木場凛だ。

 

「あら、外苑さん早いですね。まあプレゼンの順番は本命のうちが先ですので、張り切って先乗りしても無駄なあがきですけど」


 甲高い声で威圧してくる木場に、一瞬ひるみそうになったが、間髪を入れず恵里佳が割って入った。

 

「この間も大したご挨拶でしたけど、正直うちとしては第三さんの順番がどうだろうが、私たちが自信を持って作り上げた展示企画をアルマ財団に伝えるだけです。第三の学芸課で実績を上げたい気持ちは分からないでもないですが、焦りを他人にぶつけても何にもなりませんよ」


「な、、!この、、小生意気な小娘がっ!!」


 まだ30代と思しき木場の口から姑のような言葉が飛び出し、白井は不覚にも失笑した。それが火に油を注いだのか、木場は阿修羅のような表情を浮かべると、「フン!」と周りの人々が振り返るほどの音量で鼻を鳴らし、大股でエレベーターホールにずいずい歩いていった。

 

「木場さん、あいかわらずパワフルだな、、」


「あの人の扱い方、私だいぶ分かってきた気がします」


 二人して呆れながら、木場が見えなくなったのを確認して彼女の後を追う。空のエレベーターに乗り、いよいよ最終ボスのダンジョンに突入する勇者のような気持ちになっていると、隣に立っていた恵里佳が白井の腕にそっと手を触れた。

 

「白井せんぱい、、私、、実はこの間先輩がタクシーで送ってくれた時のこと、、覚えてるんです」


 顔を真っ赤にして、柄にもなく恥ずかしそうに顔を伏せる恵里佳を前に、白井は言葉に詰まった。恵里佳の気持ちに答えるような言葉を、仕事にかまけて伝えてこなかったことの後悔が、今更ながら湧き上がってきた。

 

「武藤さん、あれって、、」


「いいんです。急に憧れとか、パートナーとか、一方通行で気持ちを伝えた私が悪いんです。もう一回ちゃんと言うと、私、、キュレーターとして先輩の隣で走っていられることが一番の幸せなんです。だから、今日のプレゼン、ぜっったい勝ちましょうね、先輩!」


 涙をこらえながら精一杯の笑顔を浮かべる恵里佳を、今までで一番眩しいと思った。かわいい相棒に白井が頷くと同時に、エレベーターの扉が開いた。

 

                 ◆      

 

 青天の下、東京湾岸のビル群を一望する会議室。広々としたテーブルを囲む形で、アルマ文化財団の理事十数名が顔を揃えていた。重々しい空気の中、白井と恵里佳は竹川ミレイから紹介を受け、木場からの差すような視線を感じながら理事たちに一礼し、下座に置かれた折り畳み式の椅子に腰を下ろした。竹川も竹川で、ピンク色の眼鏡フレームに頻繁に触れて落ち着かない様子で、アルマ側で本件を担当してきた彼女にとっても正念場であることが伝わってきた。

 

「それでは。国立第三美術館より改めて、ベタンクール展の企画についてご説明いたします」


 ぴったりしたパンツスーツに身を包んだ木場が、早口に口火を切った。第三のプレゼン資料が映し出されたスクリーンに、理事たちの視線が集中する。

 

「皆様ご存じの通り、我々は国内はもとより世界的にも比肩するもののない大規模美術館として、広大な展示スペースをフルに使った展示をお約束いたします」


 白井の予想通り、木場・第三美術館の提案は横綱相撲と呼べるものだった。苑美の全展示スペースを合わせた面積の何倍もある専用の展示区画を活かし、ベタンクールのカラフルな作品群を、色彩バランスを考慮しつつ壁一面にずらりと並べる。展示室に立った鑑賞者は、鮮やかな色の海に浮かんでいるように感じるだろう。木場個人はさておき、第三の学芸課の底知れない力量に、白井は内心舌を巻いた。ただ、壮観な展示室イメージの陰で、作者ベタンクールの面影が伝わってこないような印象を、白井は抱いた

 

 木場は一気呵成にプレゼンを終えると、自信満々な表情で席についた。竹川から、目で合図がある。「せんぱい、頑張ってください!」恵里佳から小声で激励され、白井は意を決して理事室のテーブルの前に歩み出た。

 

「外苑美術館でございます。私たちは、ニコラ・ベタンクールの写真家としての来歴に焦点を当て、あまり知られていない彼の幼少期から学生時代までの作品を含め、ベタンクールの写真たちが辿ってきた道程を、複数の展示フロアにわたって一つの物語として提示します…」


 理事たちの視線が集まるのを感じながら、白井は最後の訴えを始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る