#3

「ええ、第三美術館がベタンクール展に意欲を示しているのは事実です」


 品川駅前の高層建築群の一角を占めるアルマ本社ビル、そのワンフロアに本部を置くアルマ文化財団の会議室で、白井と恵里佳はアルマ賞の運営担当者である竹川ミレイと向き合っていた。世界的な電機メーカーであるアルマの本拠地だけあって、東京湾岸を一望できる会議室は、白井たちが普段働いている外苑美術館の事務所の倍ほどの広さがあった。ショッキングピンクのフレームの眼鏡をかけ、年のころ40歳ほどに見える竹川は、単刀直入でキレの良い物言いも相まって、出品交渉の相手として相当な手練れに映った。ベタンクール展の企画に向け、なんとかアルマ側を説得しようと意気込んで来てみたはいいものの、白井は竹川の放つオーラに気圧されていた。

 

「はじめにお話を頂いたのは、弊館の矢矧だっと伺っておりますが」


 ダメ元と分かりながらも、食い下がる。第三は強力なライバルだ。少しでも苑美が有利な状況に立てるのなら、どんな材料でも使うつもりだった。

 

「仰る通りです。しかし、第三美術館と弊財団の上層部同士のやり取りを経て、国内外で知名度の高い第三での開催にも、写真賞の運営主体としてのアルマにメリットが大きいと判断されたということです」


「うちも、、弊館での開催も、引き続きご検討頂けると理解してよろしいでしょうか?」


「もちろんです。初めにお話をお持ちしたのは弊財団ですし、そこに二言はありません。ただ、第三も候補に挙がった以上、それを上回る価値をご提案頂くことが、外苑美術館さんでの開催の条件となります」


 白井は内心溜め息を漏らした。分かってはいたが、事実上、苑美は第三と天秤にかけられたのだ。隣に座る恵里佳も、いつもの陽気さは消え、ただ体を固くしてやり取りを見守っている。恵里佳をサポートに付けたのは課長の三田だが、新人にしては重すぎる案件に付き合わせてしまったと、白井自身も申し訳ない気持ちになった。


「承知いたしました。たしかに第三美術館は有名なハコですが、うちも写真と映像に特化した美術館としての強みがあります。本日お持ちした企画展のプランをご覧頂き、引き続き密に打合せをしながらアイデアを磨いていければと思います」


 肩を落としながら、荷物をまとめる。恵里佳を伴って会議室を後にしようとした時、竹川が声をかけた。フレーム越しの目が、少し笑っているように見えた。

 

「今回の件は、上のレベルで決まったこととは言え、苑美さんにご迷惑をおかけしてしまいました。私個人としては、苑美さんと第三、あくまで公平な目線で選んでいきたいと考えています。これからも一緒に頑張りましょう」

 

                 ◆      


 アルマ本社1階の広々としたロビーに降り、エントランスに向けて歩いていると、突き刺すような強い視線を感じた。待合用のソファに目をやると、濃いめの化粧を決め、体のラインを強調した服装に身を包んだ30歳前後とおぼしき女性が、こちらを睨みつけていた。知らない顔だったため、白井が軽く会釈しつつ通り過ぎようとすると、「外苑さんですか?」と甲高い声で呼び止められた。


「はあ、外苑美術館の者ですが、失礼ながらどちら様でしょうか?」


 おもむろに白井が尋ねると、彼女はわざとらしい溜息とともに立ち上がり、白井たちを見下ろすように顎を突き出した。10センチはあろうかというヒールを履くことで、高飛車感が増幅されている。


「国立第三美術館、学芸課の木場きばりんです。やっぱりアルマ財団と話してたんですね。竹川さん、外苑さんとの打合せ予定を問い詰めても、お茶濁すばっかりで教えてくれないんですよ、まったく」


 竹川は単に競合する苑美と第三を公平に扱っているだけではないかと思い、怪訝な表情を浮かべていると、木場は小馬鹿にしたような口調で続けた。


「この際だからお伝えしておきますけど、うちが動いた時点で外苑さんがベタンクール展を獲れる可能性はゼロです。はっきり言って第三美術館と、小さい外苑では格が違いすぎる。おとなしく諦めて、お得意のマニアックな写真展でも企画してる方がお似合いですよ」


 嵐のような嘲笑と中傷に面喰い、白井がしばし言葉を失っていると、横から恵里佳が反撃した。


「お言葉ですが、政治力を使って企画展を掠め取ったとしても、それは展示の良し悪しとは別の世界です。私は苑美の学芸員として、あくまで展示企画の質で勝負したいと思っています」


 一見して年下の恵里佳に言い返されたのがよほど癪に障ったのか、木場は鬼のような形相を浮かべると、踵を返してヒールの音を響かせながらエレベーターホールに去っていった。第三の担当者として、竹川と話しに行くのだろう。


「第三側のベタンクール展の担当者か、なかなか強烈な人だったな、、それにしても武藤さん、とっさに良いこと言ったね。感心したよ」


 嵐が去って白井が胸を撫でおろす傍らで、恵里佳は完全に戦闘モードに入っていた。


「なんなんですか、あの女。初対面の白井先輩に喧嘩売って言いたいことだけ言って、ほんとあり得ない!服もメイクも無理しまくりで全ッ然似合ってないし、絶対に友達になりたくないタイプですよ」


「まあまあ、僕らは自分の仕事に集中しようよ。第三は大手だし、ああいうプライドの高い人も一定数いるんだろうね」


 苑美に戻る道すがら、白井はすさまじい剣幕の恵里佳をなだめ続けつつ、居丈高な木場に一矢報いてくれたことに密かに感謝していたのだった。


                 ◆      


「そりゃ災難だったなぁ、白井君。お疲れさま」


 白井から一部始終を聞いた三田は、お茶を啜りながら形ばかりの労いの言葉をかけた。この上司は、本当に自分たちを助ける気があるのだろうかと、白井は苛立ちを覚える。しかし、三田の次の一言は、予想外のものだった。


「実は、第三はぼくの古巣なんだよ。5年ぐらい前に矢矧館長に誘われて、苑美に移ってね。今風に言うとヘッドハンティングかな、はは。木場君は、当時から第三の学芸課でも目立っていたよ」


「課長、第三美術館にいたんですか?しかも、木場凛のこともご存じなんですね」


 第三美術館は、大手だけあって学芸員の採用は極めて狭き門だ。木場が立場を鼻にかけるのは気に食わないが、第三が界隈で一目置かれているのは事実。何より、ぱっとしない三田が、国内最高峰の現場で経験を積んでいたとは、白井はこれまで露知らなかった。


「木場君は、その何というか、いつも必死だったね。美術系の大学じゃなくて、有名私大の法学部から採用された異色の経歴でね、美術の素養はあまり無いけど事務作業とか調整の能力は高くて、それで重宝されたんだよ。「大企業で活躍する大学の同期に負けないために、私は学芸員として上に行く」っていうのが口癖で、そんなに生き急がなくてもって、ぼくは思ったけどねえ」


「はぁ、そうだったんですね。ただ、木場という担当者を差し置いても、第三は強敵です。現にアルマの竹川女史も、うちか第三か、本気で選びにきている感触でした」


「そうだねえ、僕もOBとして内実を知ってるけど、国内屈指の美術館として、学芸員の実力だけじゃなく、カネと政治力も沢山持ってるからね。生易しい出品交渉にはならないけど、白井君の企画提案はよく出来てると思うよ。今が踏ん張り所だから、もう少し辛抱しよう」


 そう言いうと三田は立ち上がり、お茶を淹れ直しに給湯室に消えていった。新たな一面を知り、白井は三田を見る目が少しだけ変わった。


                 ◆      


 その日も、恵里佳と共に遅くまで企画展のプランを練り、帰路についたのは夜中だった。一緒に駅への道を歩きながら、いつもの調子を取りした恵里佳が白井に絡んできた。


「私たち毎日毎日、夜遅くまで頑張ってるんだから、たまには息抜きが必要ですよ。今日だって第三のむかつく女にあんなこと言われたし、居酒屋でぱーっとやりませんか?ね、先輩」


 積極的なサポートに何度も助けられ、恵里佳を同志のように感じ始めていた白井は、彼女の提案に心が動いた。しかし、直後にスマホが鳴り、白井は恵里佳に手で合図をすると、少し離れた場所で電話に出た。電話は、美祢からだった。


「了くん、また遅い時間にごめんね。次回の話だけど、今週末の日曜夜で都合がついたから、よければまたアトリエ神宮前で話さない?」


「ああ、こっちも大丈夫。それじゃ、また日曜に」


 電話越しとは言え、美祢と話すとき白井は無意識に緊張していた。ほっと息をついて顔を上げると、恵里佳の物言いたげな視線が刺さった。


「白井先輩、いまの、女の人の声でしたけど、彼女さんとかいるんですか?」


「いや、高校時代の友人だよ。最近久しぶりに会ったんだ」


 事務的に伝えたつもりだったが、恵里佳は釈然としない顔をしたまま、駅に着くまで黙り込んでいた。

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