第15話 泥酔のアリシア

俺達はギルドがある酒場から抜け、夜になった街を歩いていた。

 焦りの感情が体に現れているのか、歩く速度がいつもよりも上がっているのが分かる。分かっていても、緩めることができないでいた。

「ねぇ、これって本当に自分で書いた小説なんだよね?」

「ああ、そのはずだ」

 そのはずなんだ。この世界は俺が知っている、俺が書いた小説の世界のはずなんだ。

それなのに、俺が知らないようなことが起こっている。何もかも変わり過ぎだ。

 バタフライエフェクト。

 僅かな変化が他の系に影響を及ぼし、状態を大きく変えてしまう現象。アニメやゲーム好きの奴ならこの言葉の意味は知っているだろう。

 主人公が旅に出ない。その大きな変化は蝶の羽ばたきなんて些細なことではない。その変化は一つの街が滅ぼうとさえしている。

 そして、ヒロインまでも大きく変えてしまっている。

 俺達はギルドの人達からアリシアの場所を聞き、そこに向かっていた。

 今夜の救難要請に参加してもしなくてもいいから、彼女に顔だけは合わせておいた方がいいと言われた。

「ここか」

 街の中心から少し離れたところにある宿屋。外観はそこまで豪華ではないが、ボロボロという訳ではない。至って平均的な宿だ。

 門から離れているためか、こちら側も被害は少ないようだ。

 宿屋に入ると、受付に四十歳くらいのおばさんに出迎えられた。

「見ない顔だね」

 高圧的ではなく、驚くような物言い。面倒見がよさそうなおばさんといった印象を受ける。

 少し前までは観光客で溢れていたのだろう。それが今や街自体が壊滅的な状態。宿を訪れる客自体が少ないのだろう。

「ええ、今日初めてここに来たんです」

「今日? なんでまたこんな時期に?」

「アリシアって子に会いに来ました」

「アリシアって、あのアリシアちゃんかい?」

「おそらく、そのアリシアかと」

 おばさんに俺達が彼女の知り合いだと話すと、彼女のことをよろしく頼むと言われ、部屋番号を教えてもらうことができた。

 おばさんの心配そうな顔つきからも、彼女の現状が良い状態ではないことが見て取れる。

 二階の隅の部屋の一室。どうやらその一室以外は宿泊客はいないらしく、他の部屋は扉が開けっ放しになっていた。

 宿泊客が少ないことは分かっていたが、ここまでとは思わなかった。

 街に人がやってこないということは、宿泊客もいないということ。

 この街が経済的に破綻する日も遠くないように思える。

 アリシアの部屋の前にたどり着き、小さくノックを二つしてしばらく待つ。

 すると、少しばかり呂律が回っていない凛とした声が返ってきた。

「おばさん?」

「いや、吉見智というものだ」

「……誰?」

「新米の冒険者だ」

「新米冒険者? 何の用?」

「何の……何の用か」

 用事があるのか。そう問われると、返答に困ってしまう。

 主人公が助けに来なかったヒロインが心配で様子を見に来た。正直に言ったとしても、言っている意味が分からないと困惑させてしまうだろう。

 知らない人が部屋を訪ねてきて、変なことを言いだしたら次会ってくれることはないだろう。

 しかし、でたらめな話をでっち上げるのもマイナスだ。きっと、どこかでぼろが出てしまう。

 それならば、ある程度正直に話してしまった方がいいかもしれない。

「心配で様子を見に来たんだよ。村にいた時とは随分変わったって聞いたからな」

「村だと?」

 村という単語に反応したのか、がたっと部屋の中から物音が聞こえた。

それからしばらくすると、部屋の鍵が開けられて部屋の中から少女が僅かに顔を覗かせた。

「……知らない奴だ。村の者か?」

 はらりと揺れる肩甲骨くらいまでの長さのある赤髪。凛としている立ち姿が似合いそうな釣った目に綺麗な鼻梁。桜色をした小さくぷくりとしている唇。剣のために余計なぜい肉をそぎ落としたように細く、引き締まった体。

 常にクールでたまにデレるくらいのツンデレヒロイン。

 目の前には、この小説のメインヒロインであるアリシアがいた。

「……」

「な、なんだ?」

 俺は言葉を失くすほどの衝撃を受けていた。

だってそうだろう。自分の書いた小説のメインヒロインが目の前にいるのだ。嬉しさと高揚感で言葉を失うのは仕方がないことだ。

 でも、俺の思い描いていたアリシアとは何かが違っていた。

 アリシアの目元は潤いすぎていて、少し充血もしている。他人の助けなど必要とせず、自分の力だけで立っているとでも言いたげな立ち姿は感じられず、ドアに寄りかかることでやっと立っているといった状態。

 目が合っただけで睨まれたと勘違いされるような冷酷さはなく、威勢を張ってはいるが、どこか心配事がありそうな弱弱しい視線。

 凛々しい。その単語が薙ぎ払われたかのような、そんな変わりようだった。

「見過ぎ」

 俺が言葉もかけずにアリシアを見つめていると、隣の妹に横腹を小突かれた。痛さと引き換えに、意識が目の前の状況に向いた。

「えっと、初めまして。村の者ではないが、俺はアリシアを知っている。少しだけ話をさせて欲しいんだが」

「……隣の奴は何者だ?」

「吉見鈴蘭っていいます。初めまして」

「……まぁ、いい。入れ」

 そう言うと、アリシアは案外あっさりと俺達を部屋に通してくれた。

 少し肩透かし感はあるが、入れてもらえるのならば問題はない。

 入れてもらった部屋は、必要な物しかないといったようでシンプルなものだった。

 俺達が泊まっていたところと似ているが、大きく異なる点があった。

「うわっ、凄い酒の量だな」

 机の上には酒と思われる瓶がずらりと並んでいた。空瓶を含めて二十はあるだろうか。

 そしてその酒瓶達を見て思い出すのは、彼女に付けられた二つ名。

『泥酔のアリシア』。

 今の彼女はそのように呼ばれているらしい。その名前の由来を目の当たりにし、少々衝撃を受ける。

「様子を見に来たといったな。現状を見てどう思う?」

 アリシアは俺達に自嘲気味な笑みをみせた。複雑な負の感情がその笑みの中に隠れている気がした。

「村の連中が見たら驚くだろうなって感じかな」

「私の出身について知っているのか?」

「知っているさ。騎士団に入隊した理由も」

「私はお前のことを知らないぞ」

「それでも、知ってるんだよ」

「……私の現状を知ってどうする? 村に報告でもするのか?」

 アリシアはこちらから視線を逸らすと、少しばかり後ろめたそうな表情をした。

 俺達が誰かに頼まれて、アリシアの身辺調査でもしているとでも勘違いしているのだろうか。

「報告なんかしないさ。ただ知りたいんだよ。この街のこともアリシアのことも。両方変わり過ぎている。何が起きたか教えてくれないか?」

 俺が村から頼まれてきたのではないと知り安心したのだろうか。微かだが強張ったアリシアの表情が緩まった気がした。

 アリシアは机に向かうと、新しいコップをひとつこちらに向けてきた。

「酒は飲めるか?」

「俺は未成年だ。いや……確かこの国では十五が成人だった気がするな」

 確か中学生のころに異世界転生先で酒を飲めるように、成人の年齢を下げた気がする。そうなると、こちらの世界では俺はもう成人。酒も飲めるということになるのか。

「酒も付き合えない奴に話すことはないな」

 少しだけ演技がかったような声。わざとらしくツンとすると、こちらをちらりと見て悲しそうな笑みを向けた。

 この状況で酒を勧めてくる。初対面の俺達を迎え入れてくれているのだろう。それに、この表情を見る限り、シラフで話せる話ではないということかもしれない。

「一杯だけだぞ。この後にクエストが控えている」

「ちょっと、何普通に飲もうとしてんの」

 少しだけ嬉しそうに表情を緩めるアリシアと、それに反するような妹。その妹はどうやらお怒りの様子だ。

眉の角度がいつもよりもきつい。

「いや、だってそうでもしないと現状教えてもらえなそうだし」

「この後クエストがあるんでしょ。ダメに決まってるじゃん」

「いや、逆だな」

 俺達のやり取りを見ていたアリシアが会話に割って入ってきた。

「この時間に行くクエスト、応援要請だろ? あのクエストにシラフで向かう奴の方が稀だ」

「はぁ? 酔っぱらってクエスト行く人がいるわけないでしょ」

 馬鹿にするなとでも言いたげに反論する妹に対して、冗談を言っている訳でもないアリシアの表情。

 昔、戦地に向かうときはその恐怖を和らげるために酒を飲んで戦いに臨んでいたこともあったと聞いたことがある。

 まだそれならいいが、この街の状況を考えるともっと別の理由がある気がする。

「絶対に勝てないってことか?」

「勝てないね。騎士団が向かって返討ちになったんだ」

「返り討ち? そんなはずはないだろ。村を襲ってきたのだって、中型のモンスターが数体いたくらいのはずだ。アリシア一人だと厳しいかもしれないが、騎士団がいれば負けることはないだろ? 大型でもいない限り、負けることはーー」

「いたんだよ。大型がな」

「大型が? いや、そんなはずは……」

「ちょっと、大型とか、中型って何?」

 俺達の会話についていけなくなった妹が服の裾を引っ張り、説明を要求してきた。

 急に大型とか中型と言われても理解できなかったのだろう。

「ここに来る途中で倒したモンスターが小型。俺達人間と同じ大きさのモンスターが中型で、それを優に超えるのが大型だ。中型から大型では知能、能力、腕力どれもが数段階跳ね上がる」

 冒険を始めたばかりの初心者が遭遇したら確実に殺されるモンスター群。それが初心者が多いこの土地周辺にいるとでもいうのか。

「村を襲ってきたのは最大でも中型だったはずだ」

「よく知ってるな、そうだよ初めに襲ってきたときは最大は中型だった。ただ村を襲ってきたのは様子見で送られてきた雑魚どもだったのさ。雑魚どもで組んだ隊が生還して帰ってきた。それも、どうやら勝ったらしい。その情報が本隊に伝わり、本隊を引き連れて再びこの街を襲ってきたのさ」

 アリシアの話を聞いて、現状に少し納得するものがあった。

 一戦目をほぼ互角くらいの戦いができれば、相手が引いてくれるか、同じくらいの力の奴らと再戦をするものだと思っていた。

 だから、アリシアが少しの間堪え抜けば、後からやってくる増援の騎士団が合流をすることができる。合流をすることができれば、その後は負けることはないと考えていた。

 それが違ったのだ。

 様子見で送ってきた最初の軍を主人公である悟が壊滅させる。そうすることで、この街には強い奴がいるから手を出さないといった認識を持ち、モンスターがこの街を襲うことがなくなる。それが本来のシナリオだったのだろう。

 しかし、初戦を完全勝利に収めることができなかった。

 そこが大きな分岐点になっていたということだ。

「それの本隊は騎士団が手も付けられないほど強い。だから、騎士団は見切りをつけて軍を引いたってことか」

 困っている人がいれば助ける。道徳では分かっていても、実際に多くの人を動かすとなるとコストが発生する。

 そのコストをどうにかできない限り、動くことはできない。結果、軍が撤退をすることになった。

 これについては非難を浴びせることはできないだろう。

「アリシアはもう戦わないのか?」

 俺の言葉を聞いて、アリシアの肩がピクリと動いた。

 そう、普通の団員ならお金がもらえないのに助けようとはしないだろう。

 それでも、似たような境遇を味わったアリシアなら別だ。

「住んでいた村を焼かれ、魔王を倒すために騎士団に入れるくらいまで強くなった。村がモンスターに襲われるという似ている境遇の村が目の前にあるのに、戦わないのか? もう剣を持たないのか?」

 ギルドがギリギリの状態でモンスターを追っ払おうとしているのに、それとほぼ同時刻で酒を飲んでいる。たった一人残った騎士団の副団長が、なぜこんな所で油を売っているのか。

 彼女の過去を知っているがゆえに、黙っていることができなかった。

「随分と私のことを知っているんだな」

「まぁ、ある程度はな」

「そうか。……なぜ私に剣を持たないのかと聞いたな?」

「ああ」

「持たないんじゃない。持てないんだ」

 そう言い、アリシアは腕をまくって見せた。

 その右腕には大きすぎる縫い跡が残っていた。

「利き腕をやられた。もう剣士としての私の人生は終わったんだよ」

 そんなことを悲しそうな笑みと共に打ち明けた。

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