落ちの無い日常

Girusu

第1話




 俺が17歳の時、始めての彼女が出来た。

 彼女は4つ年下で、近所に住む子で、色々あって親公認で付き合う事になった。

 彼女は無邪気で、小さくて、可愛くて、俺に対してお姉さんぶって見せるのが好きで、優しくて、涙もろくて、元気だった。


 こう言うと怒られそうだけど、最初の頃の俺は多分そこまで彼女の事は恋愛対象としては好きじゃなかった。

 どこか妹みたいな、断って変な男に行かれるのも心配、そんな感じで接していたんだと思う。

 だから大人の、体の関係は無かったし、キスも長い間しなかった。


 時々一緒に町に出て、手を繋いで、ご飯食べて、映画見て、帰る。

 そんな関係が一年くらい続いたある日、彼女が言った。

「勉強教えて」

 俺は正直あまり頭が良く無くて、成績は中の中だったんだけど、彼女もそんな感じで、下の学年の勉強なら大丈夫かなと思ってOKした。

 でもあまりにも教えられない事が多いと恥ずかしいから、こっそり昔の教科書を引っ張り出してきて、復習したりしてた。

 でも、その復習が良かったのか、勉強を見てあげるようになってから俺の数学の成績はかなり上がった。


 ある日の学校の帰り道、彼女が待っていて、マフラーをくれた。

「誕生日おめでとう」

 そう言われて自分がその日誕生日な事に気付いた。

 俺の家はそういうイベント毎や記念日に無関心な家だったから、誕生日を祝われるなんて初めてで、しかもそれが彼女からのお祝いで、輝く様な笑顔が眩しくて、嬉しくて恥ずかしかった。

 さっそく首に巻いてお礼を言うと真っ赤な顔で彼女は照れていた。

 少し後の彼女の誕生日には、悩んだけど、手袋を贈った。

 正直後から思い返すと柄選びを失敗したと思ったが、本当に凄く喜んでくれて、愛しさが込み上げてきて、この頃には自分の中で彼女はとても大きな存在になっていた。


 俺の家庭はあまり裕福じゃなかったので、高校卒業後直ぐに就職した。

 忙しかったし、疲れていたけど、一人暮らしは楽しかった。

 ワンルームの部屋が城って感じだった。

 彼女には鍵を渡していた。

 仕事終えて家に帰ると彼女がいてくれて、おかえりって言ってくれて、ご飯作ってくれて、嬉しくて、幸せだった。


 大きなものじゃないけど、たまには喧嘩もした。

 のんびりな俺と、活発な性格な彼女の軽いすれ違い。

 その度に彼女が不満に頬を膨らませ、俺は謝りながら頭撫でて、機嫌を取っている内に俺の膝枕で彼女が眠てしまう。

 そんな感じ。


 俺は彼女の実家の直ぐそばのアパートを借りていたから、彼女はいつも入り浸ってて、何も知らない隣人から通報されてしまった事もあった。

 あの時は普段温和な彼女がものすごい勢いで怒っていて、隣人に対し怒鳴っていたのがとても印象に残ってる。

「何であんなに怒ったの?」

 後から聞いたら、

「あの人、ごめんなさいの一言も無かったから」

 って言った。

「でも、今のご時世だと仕方無い事なんじゃないかな」

 俺がそう言うと、

「普段は赤の他人なんかどんなに困っていても分かっていても無視する癖に、こんな時だけ然もいい事したんだみたいな顔して、思い出しただけでイライラする」

 そう言っていた。

 目には涙を溜めていて、普段は明るくて悩んでる様子なんかあまり見せないけど、彼女なりに悩んでいたんだなと思った。


 世間では批判されがちな中学生と社会人の恋愛。

 きっと彼女は彼女なりに一生懸命自分の恋愛に向き合って、努力して、でも周囲の反応が怖くて、不安な時もあって、いっぱいいっぱいになってしまっている部分も沢山あったんだろう。

 そんな事にも気付かなかった自分を少し恥じた。

「今だけだよ、2人とも社会人になったら4歳差なんて誰も気にしなくなるよ」

 そう言って頭撫でてたら、不意に唇にキスされた。

 彼女が15歳の誕生日を迎えて数日後の出来事、これが初めての唇と唇のキスだった。


 受験前になると流石に少し彼女が家に来る頻度が減った。

 久しぶりに自分で料理を作ったけど、上手くいかなかった。

 包丁の使い方だとか、そんなレベルじゃなかった。

 いつの間にか何処に何がしまってあるのかすら分からなくなっていた。

 彼女がもう完全に自分の生活の中の一部として在る事を感じた。


 受験初日、彼女が朝から家に来て、

「合格したらご褒美ちょうだいね」

 と言った。

「うん」

 と頷くと彼女は少し頬を赤く染めて、でも嬉しそうにしていた。


 受験最終日、家に帰ると彼女が来ていて、いっぱい甘えられた。

 小さくて柔らかい体を駆使して、まるで猫みたいな甘え方をして来る彼女が年相応に感じられてとても可愛らしかった。

「ご褒美の約束覚えてる?」

 不意に聞かれて動揺したけど、なるべく平静を装いながら答えた。

「うん、覚えてるよ」

 何が欲しいとは一言も言われてないけど、彼女の表情とか、最近の行動とかで何となく要求内容が分かっていて、内心焦っていた。


 合格発表の日。

 どうしても落ち着かなくて、全く仕事に集中出来なくて、結局仕事早退して見に行った。

 近場の駐車場に車停めて見に行くと、彼女が俺の姿を見つけて全力で抱きついて来た。

「合格したよ!」

 嬉しかったし安心したけど、彼女の同級生達の生暖かい視線がちょっと恥ずかしかった。

「バレちゃうよ?」

 って言ったら

「同級生は皆知ってるよ」

 って返されて焦った。

 彼女曰く、

 私のものだから手を出すな、という意思表示を兼ねて公言しているんだとかなんとか。

 女の世界は複雑だなって思った。


 車に乗り込むと早速ご褒美をねだられた。

 予想通り、ねだられたのは大人のキスだった。

「まだ早いんじゃない?」

 とか言って抵抗してみたけど、彼女の意思は固くて、俺も初めてで緊張したけど、なんとか出来た。

 互いの唇の形を確かめ合うようなキス。

 終わった時、彼女は暫く蕩けた表情をしていたし、俺は俺で下の馬鹿息子の暴走を宥めるのに必死だった。

 それからは時々大人なキスをするようになった。

 頻繁にするのは、俺が我慢できなくなるから断ってた。

 彼女は、

「いいのに」

 なんて言っていたけど、そこは俺の彼女に対する気持ちが本物であるという事を世間に証明する手段としてもう少し待ちたかった。

 ただの自己満足かもしれないけど。


 彼女が高校二年生になった頃、俺の周囲、環境が大きく変わり始めた。

 俺の両親、祖父母、たった半年の間に相次いで不幸が降りかかって来た。

 悲しむ暇も無く時は過ぎて、気付けば俺は憔悴しきっていた。

 俺達が付き合っている事をよく思わない親戚はやっぱり一定数いて、そんな連中の相手をしなければいけないのはとても苦痛だった。


 そんな時、兼ねてより俺達の体を心配してくれていた彼女の両親は彼女に1週間程学校を休ませた。

 俺も有給を使って休みを取って、彼女の両親のご厚意でお金を出してもらって温泉旅行へと出かけた。

 初めてのお泊まり旅行。

 なんだか妙に気恥ずかしくて、行きの電車の中では顔を見合わせる度にお互い照れ笑いしていたと思う。


 行き先は別府の温泉旅館で、かなり高級な旅館だった。

 料理は美味しく、温泉も最高、彼女は何かを見つける度に小動物みたいに動き回って可愛くて、はしゃぐ彼女を見ながらながら後ろをついて回るのが楽しかった。

 

 そうして3日目の夜、その時はやって来た。

 お互い初めてで、ちょっと変な失敗したりもしたけど、何とか最後までする事が出来た。

 俺の肩に頭を乗せて幸せそうな顔で眠る彼女が愛おしくて、心から満たされながら眠った。

 次の日の朝、目を合わせる度に照れ笑いをしていたけど、少しだけ今までと変わった距離感が心地よくて、2人して浮かれてた。


 旅行から帰ると彼女の母親は直ぐに察したらしく、彼女に根掘り葉掘り色々聞いていたみたいだ。

 父親の方は諦めた様な悲しいような嬉しいような複雑な表情で俺の肩を叩いて一言、

「酒付き合えよ」

 って言って、その日はしこたま飲まされた。


 彼女の高校の卒業式。

 俺が車で迎えに行くと直ぐに彼女とその友達がやって来て、歳上の車持ちの彼氏羨ましいとか、絶対あげないとか、進展状況とか、女子高生ならではのテンションで騒いでいた。

 結局、全員を車で送って2人きりになるのに凄く時間がかかった。

 あの温泉旅行後に決めていた事。

 俺達はその足で婚姻届を出しに、2人で市役所に行った。


 俺達の我儘を通した事、田舎特有の世間体も考慮して式はせず、写真だけ撮って、地元から少し離れた場所で暮らし始めた。


 結婚生活一年が経つ頃、子供ができない事に悩んだ俺達は、2人して検査を受けた。

 後日、俺は普通より精子少なめ、彼女も卵子が少ないとの結果が出た。

 情けなくも少し落ち込み気味だった俺に彼女は言った。

「いっぱい出来るね」


 その日から食事療法だとか、いろんな事を調べて来ては実践する彼女の姿に触発されて俺も頑張った。

 行為の内容も、工夫したりして、少し変な事にも手を出してみたりした。

 そして念願のその時は結婚5年目の春に訪れたのだが、問題は起きた。


 母体が持たないかもしれない。

 そう医者に告げられた時、俺は直ぐに反対した。

 もし無事に子供が産まれたとしても彼女がいなくなってしまっては意味がない。

 だが、どんなに説得しても、彼女は産むと言って聞かなかった。

 人生であんなに喧嘩したり、泣いたり、心から懇願したのは初めてだった。

 でも、彼女の産むという意思は変わらなくて、最終的には折れざるを得なかった。


 その日からは安産の情報を集めて実践する日々が始まった。

 少しでも情報が入れば、やれる事は何でもやった。

 彼女は、

「きっと大丈夫だよ」

 なんて言って笑っていたけど、俺にとっては彼女がいなくなるなんて頭を掠めるだけでも気が狂いそうな程の恐怖だった。


 出産の日、俺はずっと彼女の手を握って情けないくらい涙を流しながらお産に付き添った。

 ついに産声が響いた時は、安堵と同時に気が抜けて床にへたり込んでいた。

 子供を抱かせてもらった時は、そのあまりのか弱さに壊れてしまわないか少し怖かったけど、今度は嬉しさの涙が溢れて止まらなかった。

 彼女に頑張ったな、ありがとうと何度も繰り返して伝えた。


 お産による彼女の消耗は酷くて出産後も俺の心配は続いた。

 時間はかかったし、少しだけ耳に障害が残ってしまったけど、何とか彼女自身も回復し退院する事が出来た。

 赤ちゃんを抱いて子守歌を歌っている時の表情は本当に幸せそうだった。


 月日は流れて1人娘が中学に上がった。

 俺と出会った頃の彼女にやっぱり似ている。

 少し反抗期。


 娘がもし彼氏を連れて来たらどうする?

 寂しいなと答えると何も言わずに隣に座ってくれて微笑んでいた。


 俺はずっと彼女の笑顔を見ていたかった。

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