Jumpin' Jack Flash.By Principal.

 この世は往々にして、キュート過ぎて眩しい人物はいる。

 この手はオベーションが送られる舞台に行くべきなのだが、業務課の俺の隣の席に荒小路華連はいつの間にかいる。

 いつからかは、異動期間外特例で来たから、そうごく自然に。


 荒小路華連の経歴は、フランス留学して帰って来た位だ。自らそこはかとなくバレエで生きていけるかなも、膝が限界で、バレエを引退したらしい。

 そう、荒小路は長い髪をひっつめにすると、ドガがのめり込み描きそうなソリストではある。ただ、それに気付いているのは、俺一人か。審美眼が美術傾向なのはまあ良い事だ。



 △



 荒小路さんは後輩も、俺と同年齢で、あの滝沢和泉とは取り分け気が合う仲だった。

 先輩も後輩も分け隔てないは、畠山精密機器販売の理念そのままだった。


 そして、俺が滝沢に、何度か告白している事を知っている。

 また、今日も滝沢にダメを貰った日には、皆に見えない机の下で、ファイトのエールを貰う。

 ここでまま目眩をする。荒小路さんの方が美人なのに、どうかしてるよ俺。と言うべきか、ドブス位の方がリプロデュース出来ると、若い俺は過信の塊だ。



 △



 そして、滝沢がやらかし、異動した事で、荒小路さんとの距離がグッと近くなった。


 盛夏のある日の東西線。毎朝の丁々満員で押し込まれていたら、国交省の指導が入る筈だが、まあそんな気配は微塵もない。

 茅場町を下車する辺りで、女性のバッグが俺の半袖シャツに引っ掛かって、第二第三第四ボタンが、豪快に吹き飛んだ。

 今日に限っては、会社にはギリ到着なので、そのまま向かった。


 そして、朝礼前に人が集まり始めると、荒小路さんが爆笑して、引き出しにあるソーイングボックスを持って、会議室へと手を引かれた。

 俺はインナーシャツ一枚に、そして荒小路さんは裁縫しながら、経緯を淡々と。


「大鳳さんの近くにいると、面白いことばかりですね。大ネタにしていいですか」

「別に、良いけど。何処まで盛るの」

「これがきっかけで、恋愛が始まるとかでしょうか」

「それ良いね」


 俺達は、不意に見つめ合った。

 この雰囲気は、唇が自然に重なる雰囲気だろうが、俺の絵画的センスが、荒小路さんの仕草をスライスし、クロッキーが重なる。


 何か違う。


 俺にとっては、途轍もない高嶺の花だ。


「ふう、今日も暑いですね」

「そうだね」


 荒小路さんがにこやかに立ち、先に会議室を後にする。

 その後ろ姿も一般人の遥か上を行く。クラシックバレエだったら、爪先重心だろうが、荒小路さんはモダンバレエ専攻か、床へと体を重く沈ませる。どんなコンテンポラリーダンスをするのだろう。

 ダンスが見たいです。その前に付き合ってくれるんですよね。そんな応酬あり得るのか。

 と言うか。付き合うより、勤務時間の方が、一緒にいる時間長くないか。何を恋愛とか、何を考えているんだ、俺は。



 △



 ボタンソーイング事件からの翌週。荒小路さんはショートボブにして、俺と同様のウエーブをサイドをジェルで固める、モダンなスタイリングで通す。

 このペアリング。周りからは、おお、大鳳一樹がやっと弟子を取ったかで、業務課の席がやたら大繁盛する。いや、そうではないのだけど。


 そして、時間が出来ると、荒小路さんが手鏡で髪型をブラシで直す。


「大鳳さんのジェルって、何処のお使いですか」

「普通に、正々堂のメンズのハードジェル。夕方迄は持つよ」

「やはり、メンズですよね。今日中日ですから、私の為にセレクトしてくれます」

「そうだね」


 それは社交辞令かと思ったが、就業後エントランスで待ち構えられ、行きましょう。そして、恵比寿駅のオシャレなドラッグストアにて。


「ああ、これ」

「これですね」と酷く感激する。


 そして、畠山精密機器販売社員が敷居が高過ぎて、絶対に入らない珈琲店で、俺達はお茶をした。

 荒小路さんは、父親以外でメンズを買うのは初めてらしい。つまり、あれなのか。まさかの尊い処女線。そこはかとなく聞いた。


「荒小路さん、まさか男性と付き合った事がないの」

「ええ、男性の友達はいますが、基本クリスチャンなので」

「へえー」

「大鳳さん、あなたはそう言う軽返事しては行けないと思います」と手厳しい言葉は言われる。


 とは言え、荒小路さんのキュートさで、ただ夕方の和やかなひと時を過ごした。



 △



 その子弟コンビが、もう定着した頃に、内線で淵野辺静香本部長業務本部部長から、高らかに呼び出された。またパソコン指南しろと同時に、人の本道とはを高説されるのだろう。


 階段で上がると、淵野辺本部長が、おお大鳳と、来客ソファーに促された。この手は部員を調査内定しろか。


「それで、どうなんだ、大鳳」

「どうって、誰の何がですか」

「そう言う鈍感さは武器だ。私が聞いてるのは、大鳳一樹は結婚する気になったか。荒小路華連は、マルチメディア部から引き抜いて来た、私の一押しだ。花嫁さん候補、次の駒は当分見当たらんよ」

「俺、そう言うの聞いてませんよ」

「私が、付き合えてと言って、素直に応じるかね。そもそも畠山精密機器販売の成り立ちとは、社員が家族として支え合って、日々邁進して行く。大鳳の生涯独身主義は、より強い絆の戦力が見込めなくなる。例えれば、前言撤回、いい言葉だ。世界を大いに救う言葉は、いつだって使用して良いんだよ。大鳳すぐに結婚しろ」

「何ですかね。彼女、荒小路さんは、そう言うの承知なんですか」

「私が投げっぱなしの阿保に見えるかい。当然言い含めている。仕事は大鳳が穴埋めするから、伸び代が有る大鳳一樹をどうか頼むと。くれぐれもお願いはしておいた」


 いや、俺を好きになれなんて、そんな業務命令あり得ないだろう。俺は呆れながら世間話に促した。

 互いに重い話は道なりなので、そこだけは気が合う。



 △



 月末を乗り切っての、月初二日目。社内交流掲示板に、あるデジカメ写真が載った。


 荒小路さんが、お台場の鶴丸ホテルのビュッフェで、相当なイケメンと談笑している連続写真。コメントには、よう、お熱いね。

 投稿者は恵比寿支店支店三課の井筒新次郎。

 俺は出勤してパソコンの画面をチェックしてさてだが、支店に入って不思議な雰囲気はこれかと、かなり気を使われている。


 そう、ナイスコンビも傍目から見ると、良いパートナーでしょう扱いは何処かにあったって事だ。

 そして、懇意の4年先輩営業3課の磯貝謙十郎が側に立つ。


「空気全く読めない井筒課長。梨木部長に会議室に放り込まれたよ。とまあ、時折聞こえる怒声は気にせずにな」

「どうしようかな、荒小路さんが来る前に、情シスに言っても削除してもらうか」

「それ、昨日先手打ったけど。土曜深夜にアップされ、荒小路さんも日曜の夜に自宅から閲覧したみたいだね。消したら不自然だよ」

「それだと、荒小路さんが、」

「ああ、違うな。俺が言いたいのは、大鳳が不憫って事だ。全社でお前ら、師弟コンビは轟いている。真実か勘違いか、この写真のカットだけ取られたら、噂っていうのはそっちに流れる。大体師匠が袖にされたら、何かを改めないとな」

「そう言う、深刻な話をしないで下さいよ」

「そうか、この恵比寿支店で、どちらか取るかと言ったら、戦力の大鳳一樹を取るさ。まあ中大手の商社だったら、そういう決裁権さ」


 俺は、まずいなと、速攻で淵野辺静香本部部長に内線すると。0.3秒で三柴瀧子本部課長が出て、下の階に向かったわよと置かれた。


「井筒!お前は!」


 淵野辺本部部長がブルブル震えながら怒鳴り込むと、恵比寿支店全員が会議室を指差した。こりゃ、ダメだ。


 そして、会議室は怒声がまま続き。業務課の朝礼に入った。長倉淳士課長が。もう春だけど、気を引き締め安全第一にと、朗らかに健康的に締める。


 そして普通の日常業務に入る。受注システム画面は、金曜時間外に上がった膨大な帳票のチェックがある。まあ、締め時間には間に合うかだ。

 そして速攻で、チャットメールのコメントが、俺の画面に浮かぶ。


【見たと思いますけど、フランス留学時代のバレエ仲間です。私の好みとは違うので分かりますよね】

【そういうの、ちゃんと聞いてたから】

【大鳳さん。男性なら、そういうの打ち消せる言葉があるんですよ】

【まあ、今週末には皆忘れてるんじゃない】


 隣の席の荒小路さんが、初めて舌打ちして、受注システム画面の荒小路さんの担当エリアが次々開封されて行く。

 よく出来た弟子だ。育てた甲斐はある。なんてさ。



 △



 それから、丁度1週間が経つ。案の定お台場疑惑は忘れられた。

 ただそれは、支店三課の井筒課長が子会社のコールセンター緊急支援の名目で異動となったからだ。これも左遷ルート。もう触れるなの暗黙の了解だ。

 例の写真は、井筒課長の転籍でアカウント抹消となった為、疑惑写真も体良く消えた。


 しかし、変化はあった。隣の席の荒小路華連のスタイリングが、垂らしたままのナチュラルボブに変わった。そこについては、チャットメールがポップ音と共に来た。


【私、縁故入社なので、両親から、そろそろ家庭に入ってはです。止まっていた、教会コミュニティの見合い写真を、どっと渡されました】

【まあ、年頃だしね】


 荒小路さんは堪らず、席を立ち上がり、女子トイレに向かった筈だ。

 宙に涙が流れる軌跡を、俺は見届けたからだ。

 酷いとは思うが、俺は普段から結婚には向いていないとは、折に触れている。



 △



 荒小路さんの涙の軌跡を見てから、俺は何処か虚ろだ。

 真っ直ぐに寮に帰れば良いのだが、何かと同期に気を使われて、寮の俺の部屋は飲み会の場になる。同じ言葉を吐くのに疲れる。師弟。男女の間でそれを言い続けるのはうんざりだ。


 俺は、恵比寿の馴染みの店を巡り、それなりに時間を潰しまくる。そして、オシャレなドラッグストアで、正々堂のハードジェル今週持つかどうかなで逡巡してると、しなやかな手が、3つ全て奪った。


「お愛想様です」と視線を移した先には、荒小路さんがいた。

「それ、使うの」

「ええ、勿論」

「まあ、見合い、気合い入るし」


 ここで、俺達の今迄潜めていた沈黙が、爆笑に包まれた。


 そしてその流れから、言葉を交わさず、恵比寿ガーデンプレスのベンチに辿り着いた。そしてやっとの言葉を繰り出した。


「好きか嫌いかなら、好きだと思う」

「私もそうです」

「でも、未来は分からない」

「大丈夫です。私、大鳳一樹師匠を一番知ってますから。それと今月一杯で退社して、見合いをこなす羽目になりそうです。大変ですよ」

「分かってる。きっと、何となく」

「師匠は、それで良いと思います」


 いつもの恵比寿の重鎮、ストリートジャズピアニスト多部さんが、十八番のThe Rolling Stonesのメドレーへと向かうと。


 荒小路さんがベンチから立ち上がり、照明の強いスポットに立ち、バレエのスタンドを保つ。

 普段の足音から感じる重さは、そのモダンバレエに溢れ出る。

 初めて見る、ソリスト荒小路華連だが、その骨格と筋肉から、その重力は察して取れていた。訪れる蠢動。


 荒小路さんに刺激された、多部さんのピアノスタイルが、ジャズコードを多用した地を這う音になる。


 荒小路さんは尚も、俺を魅了させようかと、舞踏には言葉以上の敬愛が溢れていた。

 荒小路さんにあって、俺にまるで足りないのは、その踏み込んだ愛情だったと思う。


 そして、自然に頬に涙が伝った。その二人がバイブスが繋がり、果たして、荒小路さんのモダンバレエは昇華へと軽やかに変化する。


 まずい!と俺は思わず立ち上がり、荒小路さんへと詰め寄る。

 その同じタイミングで、荒小路さんは大きなターンを繰り出し、無事決まる筈が、やはりの膝の故障有りか、バランスを大きく崩す。

 俺は間に合う。図らずも荒小路さんを抱きとめる。俺よりやや小柄も、且つこんなに華奢だったかと、思い知った。


 不意に、恵比寿ガーデンプレスは拍手喝采に包まれる。多分俺達カップル込みだろう。


 俺は、荒小路さんを抱きとめたまま、頬を右、そして左と、チークキスを照れながら交わす。

 荒小路さんは最高の破顔のままで、俺の額を2度撫でる。


「やり直しなさい」


 俺は照れ無しで、右、左と、チークキスをやり直す。


「実によろしい」


 そして俺の額に、程長く、荒小路さんのキスが当てられる。


 さらに広場は拍手喝采が送られる。敬愛のクライマックスとしては最上等な筈だ。


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