目が覚めるのはどんなとき

 俺が『人殺し』という言葉を使ったせいか、それとも以前俺に殴り返された苦い思い出がよみがえったせいかは知らないが、そこで一瞬西田がひるんだ。


「で、なんでこんなことになってんだよ?」


 俺が倒れている苗木さんを指さすと、西田がしどろもどろになって答えてくる。


「べ、べつに俺は……今日、ようやく紗羅が戻ってきたから、今後のことで話をしていただけだ」


「今後のこと……? なんで話をしていて、こういう状況になる?」


「い、いや、行き違いがあって……俺はさすがに愛想つかされたかと覚悟して、今までのことを謝罪しようと思っていたんだ。だが、紗羅は『別れることはしない。でも、ギャンブルから足を洗って、真面目に大学に通うなり大学辞めて働くなり、ちゃんとしてほしい』ってあれこれ言ってきたもんだから、つい……」


 なるほど。この様子だと、どうやら苗木さんは本当に妊娠していたようだな。母の自覚が生まれたからか、今まで甘やかしていた態度からの180度転換すごい。

 だが、この西田の話にうそがないのであれば、まだ苗木さんは西田の子供を妊娠したということは話してなかったのだろう。


 そこでちらっと苗木さんのほうを見てみたが、顔が青ざめていることしか確認できなかった。脇では慌てて真尋が救急車を呼んでいて、手毬が心配そうに苗木さんを介抱している。

 そっちはまかせとこ。


 というわけで俺のするべきことは、ちょっとだけ私怨もこめて西田を罵倒してやることだ。


「ひょっとして、おまえ苗木さんのおなかの中に新しい命が宿ってるかもしれない、って気づかなかったのか? 心当たりくらいいくらでもあるんだろうに、おまえのやったことは一発でも妊娠だけじゃなく産前でも予後不良までいっちゃったな。誤解でもろくでなし確定だぞ」


「……なん、だって?」


 俺は、あれだけひどい目に遭っておきながら、苗木さんが西田のところへ戻っていった理由をおぼろげながら推測していた。

 母子家庭であることをおもんばかって、好みのタイプでもない俺に対してわざわざ弁当を作ってきてくれた苗木さんのことだもの、おなかの子を父なし子にしたくなかったんだろう。


 だが、このままじゃ家なき子とか金なき子になることは想像余裕だもんな、そりゃ西田にそのくらいは要求するわ。つーか甘やかすばかりで、今までそうしなかったのかね?


「すごいよなあ。この前俺が苗木さんを保護した時、そのままいくらでも西田から逃げることなんてできたはずなのに、苗木さんは俺に『ごめんね』って言っただけで結局お前のところへ戻ってきたんだよ。これも愛の形だわ。まあ、おなかの中にいる子供を父なし子にしたくないだけだったとしても」


「……」


「そういう愛がなきゃ、苦労を承知の上で、わざわざこんな目に遭う可能性が高いと知っていながら、誰がこんなところへ戻ってくるんだよ。少なくとも俺が女で苗木さんの立場だったら、絶対にそのまま出奔するぞ。その愛をいともたやすく行われるえげつない行為で踏みにじりやがって、このおたんちんが」


「……」


「さてここで問題です。新しい命が苗木さんに宿ったと仮定して、だ。今、苗木さんの愛情の比重は、西田とおなかの中の子供、どちらに傾いていると思う?」


「……そ、れ、は……」


「本当に救えねえ。『この子のためにももう一度やり直してみよう』と思って戻ってきたであろう苗木さんがやり直す理由がなくなったな、これで。どうせお前のことだ、苗木さんが戻ってきて安心したからいつものように自制しなかったんだろうが、かかり気味に暴力に訴えるようじゃ成長も反省もしてないことまるわかりじゃねえか。自制心というスキルを習得しやがれってんだ」


「そ、そんな、ばかな……」


 西田の顔は青梅のような色になった。さすがは腐れチ〇ポ梅毒(仮)野郎である。かっこかり、が許されるのはガールフレンドだけだと思っとけ。


「今度からおまえのことを『金色の暴君』と呼んで……いや、オ〇フェに失礼だし、『金色の人殺し』の間違いだな。なんてったって生きようとしていた新しい命を暴力で踏みにじるんだもんな人殺し。いやー、本当に人間失格だな人殺し。一生消えない罪をどうやって償うつもりだ人殺し。あとついでに性病科行って脳梅毒も治療してもらえよ人殺し」


「……」


 もう反論する気力もない様子の西田であった。ひざを折った姿勢のまま硬直している。


 本当なら物理でボコボコにしたいところだが、もう西田との勝負付けは済んでいるわけだし、カマボコ板の上の鯉みたいな弱い者をいじめちゃうと同じところまで俺が堕ちてしまうので、やめとこ。

 ま、さすがに『人殺し』という称号は西田には重かったらしい。もう少し早く、DVの果てに何が待っているのか想像できればよかったのにな。


「優弥さぁ……」


 少しして救急車が到着した後に、手毬がひそひそと話しかけてくる。


「ん? どうした」


「言い過ぎ。あんなに人殺し連発する必要ないでしょ。逆にあの言葉で追いつめられてあのダメ男が自殺しちゃったらどうするのよ」


西田あいつが病んで自殺するわけないだろ」


「なんでそう言いきれるの」


「例えば、いじめられてたやつが自殺したとしよう。その時、いじめていた人間が『人殺し』となじられたとして、そいつはなじられたことを苦にして自殺したりしようとするか? そんなことで自殺するようなやつはそもそもいじめなどしないし、せいぜいが罪の意識にさいなまれないようにと、どこかへ逃げ出すくらいが関の山だ。自分に甘いやつは、自分が悪いとすらも思わない」


「……」


「だから、自分に甘い西田に、犯した罪の重さを自覚させなきゃならん。それが俺の役目なんだよ」


 ここに論破王がいたら論破されてそうなこじつけ理由。西田のおかげでいろいろな事件に巻き込まれた俺ができる合法的な罵倒だ、そのくらいやらせろ……などと思ってそう言い訳したが。


「そっか……優弥は、曲がりなりにも自分の友人が腐ったまま生きるのをよしとしなかったんだね」


 なぜか、手毬は少しだけ考え込んだ後、感心したようにしみじみとそう漏らす。


「……は?」


「なんだかんだいって友達思いなんだよね。優弥のそういうとこ、あたしは割と好きだよ」


「いや待て何を曲解してんだ手毬」


「照れなくていいってば」


「……解せぬ」


 ぽんぽんと笑顔で背中をたたいてくる手毬が、俺の理解できない生き物に進化してるんですけど。そしてわけのわからない美談にされてしまった。


 そんなつもりは毛頭どころか乳頭、いや亀頭すらもないぞ。そんな美しい友情の妄想なんてしてないで、救急車で運ばれた苗木さんの心配でもしてくれや。

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