見栄というより男の沽券

 犯しい。

 いや苗木さんだけを呼んだつもりなのに、なぜ真尋が先導して女三人が俺の部屋に入ってくるんだ。しかもシンガリをつとめるのはジト目の手毬。


 ひょっとして、部屋に苗木さんを呼んでスケベなことでもしようとか思われてるのかもしれない。まあその疑惑は、俺が手にしている救急箱ですぐ晴れると思うのだが。

 当然ながら救急箱の中にゴム製品は入ってないからな。避妊具の存在は否認させていただく。


「……貸して」


 だが、そのエッチスケッチワンタッチ疑惑を晴らすために説明する間すらも与えてくれない。真尋は部屋に入るなり救急箱を俺から取り上げて、すぐさま苗木さんに向かい合った。


 そして脱脂綿と消毒液の『マシロン』を取り出す。

 ちなみにマシロンとは真っ白に濁った消毒液で、とろみがついていて患部にとどまるので消毒効果が持続する、という優れものである。もちろん誤飲対策に苦みまでつけているというパーフェクトぶり。


 しかし、真尋がなぜ苗木さんを率先して手当てするんだ? 初対面だろ?


 とは思ったが、保健委員も真っ青な手際の良さで苗木さんの擦り傷を消毒する真尋は、なぜか様になってる。なんだよ、『奉公の魔女』から『奉公の天使』にジョブチェンでもしたんかな?


「いたっ……」


「あ、ごめんね。しみるかな?」


「い、いいえ……ありがとう、ございます……」


 俺がやるはずの仕事を取り上げられてしばし呆然としていたが、ちょいちょいと手毬にシャツの裾を引っ張られて我に返った。これはあれだ、話があるからちょっとトイレ裏に来い、という手毬の誘いだな。

 だが、残念ながらトイレ裏の庭は我が家に完備してないので、廊下で我慢してもらおう。


「……で、優弥と付き合ってるはずの彼女が、なんで別の男に暴力を振るわれてるわけ?」


「ぐはっ!!」


 案の定、廊下そこで待っていたのは言葉のヤキ入れだった。


 やべ、そういえば手毬には『大学でできた彼女』の名前として苗木さんのことを報告してたわ。そらすぐにピンとくるわけだわなあ。

 いや言えるわけねえだろうがよ、実は付き合ったと思ってたら秒で、いや一日でフラれたとか。


 だが、なんか知らんが真剣な手毬に気おされ。

 冷静に考えれば、手毬にいまさらかっこつける必要もないと気づき、観念した。


「えーとな……告ってOKもらった直後に、俺は手毬に自慢したんだが。実はそのあとすぐ、他の男も苗木さんに告ったんだよ。で、彼女がどっちがいいかと悩んだ末、俺はフラれた。それだけだ」


「……は?」


「すまん。訂正しようにも切り出しづらかったし、さすがに俺のプライドが許さなかった」


「……あ、い、いや、まあ、嘘は言ってないんだろうし、そのあたりはあたしに謝られても……というか、彼女、ひどくない?」


「ま、仕方ないだろう。俺のことが一番好きなわけでもないのに、ただほんの少し先に告白しただけで彼氏でいるほうがつらいしな。そんな状態で付き合い続けても、未来に待っているのはすぐの別れかNTRだけだ」


「うん、まあ、そうね……それで性的な興奮を得られるなら別だけどさ」


 隠したエロ本の内容がNTRものの同人誌だ、ということは黙っていよう。


「でもさ、それって初めからフラれるよりダメージ大きくない?」


「……そりゃ、まあな」


 その通りだ。枕を涙という液体で濡らしたのは本当に久しぶりだったぞ。奴らは股間を体液で濡らしてたっていうのになあ!!

 改めてそう言われると、怒りと悲しみがミックスされた感情がよみがえってくる感覚がある。


「……やっぱり、もっと厳しく言ってやればよかったよ」


「ん? なんか言ったか?」


「いや、べつに。苗木さんって子に同情する気持ちがなくなっただけ。でも、優弥はそんな格好悪いフラれ方しても、苗木さんを助け出したんだね?」


「ああ……」


 ま、あれはあれ、それはそれ、これはこれ、恋の奴隷は奴隷だ。まさしくアソコど、いや、こそあど言葉の世界。助け出さなきゃ大惨事になるだろうが、どう考えても。

 というかすぐさまフラれてショックでかかったのは事実だが、それ以上のハートブレイク案件はもう高校時代に経験してるぞ。正直、仲が良かった幼なじみにまでヒョロガリ扱いされてたほうがよっぽどこたえた。


 とはいっても、このことを今みたいなまじめな雰囲気の時に漏らしたら、また手毬が気に病んでしまうことは間違いない。手毬は心から謝罪してくれたはずだし、俺はいったんそれを許したんだから、今さらそれを責めるのはガチな気持ちでやっちゃいかんのだ。

 そのあたりはわきまえてる俺。


 ま、許した代わりに、手毬に『せんぱい』呼びをさせるという希望もあるしな。等価以上の交換だろう。


 それでもなんというか、やはり自分に対しての劣等感はぬぐえない、んだよなあ。困ったもんだ。


「……優弥?」


「……なんでもない。このままにしてはおけないな、これからどーすべ、と悩んでただけだ。まったく、西田のやつも救いようがない……」


「……西田?」


「ああ、苗木さんの今カレだ。西田海斗という、ただのパチンカス野郎」


「……西田、海斗……なんか、どこかで聞いたような名前ね……」


「ん? 手毬の知り合いか?」


「いや、そういうわけじゃないけど……あたし、他人の名前を憶えるの苦手で、仲良くなった人の名前しか記憶に残ってないから」


 なるほど。

 高校時代、たぶん真尋の幼なじみじゃなかったら、手毬に苗字すら認識されなかったことだけは理解した。



 ―・―・―・―・―・―・―



「ねえ、本当に、警察に行かなくていいの?」


「うん……彼も、そんな悪い人じゃないはずなの。だから、もう一度、向かい合ってみることにするよ」


「そう……でも、身の危険を感じたら、とにかく逃げてね」


「あ、ありがとう……吉川さん」


 手毬との会話が終わって部屋に戻ったら、なぜか真尋と苗木さんが仲良くなっていた。手当てしたことで、スキル・シンパシーが発動したか。まあその効果は微々たるものだとしても。


 なんつーか、俺と苗木さんが付き合ってた世界線では、おそらく俺がダメ人間化してもここまでされなかったんだろうな。


 うん、もうあきらめついた。


 そうして、とりあえず苗木さんは我が家を去っていったのだが。

 玄関先から歩き出そうとした苗木さんが、振り向いて俺のほうへと。


「中西くん……」


「ん?」


「ごめんね」


「……」


 それだけ告げて、軽くお辞儀をした。


 なんだろう。モヤる。

 どうせなら、俺にも『ごめんね』じゃなくて『ありがとう』って言ってほしかったわ。


 ああ、繊細なる間男心よ。

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