第23話 閑話-知略ステの高い兄弟子
天文17年(1549年) 2月 蟹江港
橘屋 庄兵衛
堺港を発ち、紀州雑賀、熊野、伊勢に立ち寄りここ尾張蟹江港に辿り着いた。長旅のようだが、潮の流れもありそこまで苦労はすることはない。
もっとも、帰りは流れに逆らう為に多少の時間は掛かるのだが、俺の弟弟子である彦九郎との商い量が今後増えることを考えれば多少の手間は仕方がないだろう。
彦九郎がこの蟹江の領地を得たばかりと言うことで、まだ建築中の蟹江館の一室に俺は居る。蟹江港を見渡せる丘の上にあり、いずれは城として使うつもりか、空堀などの縄張もしているようだ。
とは言え、港と言うより漁村と言った方がいいのではないかといった有り様の蟹江港を見れば分かる通り、彦九郎の懐に余裕がある……というわけではないのでそこまで立派なものを作るわけではないようだが……。
此度の商いも彦九郎と行うものというより、彦九郎を通して織田弾正忠家と取引をするためと言った方が適切かもしれない。
「わざわざ尾張まで橘屋番頭・庄兵衛殿が直々にやってくるとはねぇ」
「おぉ鈴木家の
「弾正忠家若様の嫁取りがあってな。彦九郎は那古野に掛かりきり故、俺がな」
かつて甲賀の武家から廃嫡され、堺で鉄砲鍛冶をしていた弟弟子が、今や武家として新たに御家を興したと言うのだから驚く。さらにはいきなり主家の鉄砲差配を任されると言うのだから驚きもひとしおだ。
「なるほど、それは目出度いことで御座います。しかし、鈴木様が改役で助かりました。此度の荷はほとんどが硝石や鉄砲鍛冶に使う物ですから、雑賀衆棟梁家の鈴木様以上に適任は居りまぬ」
「あぁ、織田家の鉄砲の購入も含めた差配は滝川家の役目となった故な。今後も商いは鉄砲関係が主だろうがよろしく頼む」
「いえいえ。手前共の成り立ちは鍛冶屋で御座いますから。それに途中で寄港する雑賀での商いでも取扱う品故助かっております」
雑賀衆の方々とはもとより長い付き合いだ。お客様であり、同じ鉄砲鍛冶という競い合う仲でもある。武具を扱う商屋としては、棟梁である鈴木三太夫様と嫡男・孫六郎様、二代続けての弓、鉄砲の名手の家との繋がりは重要だ。
「雑賀の港か、懐かしく感じるな……。そういえば、俺も尾張では鈴木ではなく、雑賀を名乗る事としたぞ。鉄砲撃ちとして、郷の名前を広める為にな」
「おぉー! そうで御座いましたか。では、これからは雑賀様とお呼びしなければいけませんねぇ。今も畿内で雑賀の鉄砲撃ちを知らぬ者は居りませぬが、直に逢坂関以東でも雑賀の名を聞く事となりましょうな」
「いずれそうなるようにしてみせよう」
火縄銃の扱いならこの孫六郎様に勝る御仁はいない。当代の孫一の異名を持つ父親の三太夫様でさえな。
いずれこの方が孫一を継ぐ頃には、雑賀の名は尾張一帯に広まっているだろう。
「楽しみにしておりますよ。ところで、弟弟子から頼まれた新しい鎧も此度持って参りましたよ。雑賀様と馬廻の方々の分もお待ちしたので後ほどご確認くだされ」
「あぁ、例の南蛮具足とかいうやつか?」
「はい。堺にもまだない珍しい具足で御座います。
「ほぉ、それは楽しみだ。忍衆によると近く戦があるようでな。すぐに使うことになるだろうぜ」
弟弟子といえば火縄か鍛冶の印象だが、実家が忍を束ねる御家であったな……。家業は忍びで、さらには堺にて商人に奉公した彦九郎であれば、情報の有用さはよくわかって居るはず。
戦があれば物の値は上がるし、田畑が荒れれば翌年の食い物に響く。民、百姓と近い商人はその機微に聡いが、御武家様は時々その情報を蔑ろにされる方も居るがな……。
「確かにこの頃、東海から紀伊、伊勢にやってくる米の荷が細く、高くなってきております。戦の兆しかと……。しかし、東海といえば今川
「三河を巡って弾正忠家と今川家は長く争っているらしいからな。那古野城も今川
「それはそれは。治部大輔様の御一門から城を奪ったとなれば恨まれましょうな……」
東海の弓取りの異名を持つ今川治部大輔様が一門の城を、それもたかが守護代の奉行家に奪われたままにしておくわけにはいかないだろう。一方で、かつて遠江の守護でありながら今川家にその座を追われた斯波家も今川家を許し遠江を奪われたままというわけにはいかぬ。
つまりはそんな斯波を守護として奉じる織田の諸家は、今川家の三河侵攻、これ以上の増長を許すわけにはいかぬ立場というわけだ。
「彦九郎の見立てではいずれ今川家は尾張を目指して出兵してくるそうだ」
「もしそうなれば、一大事ですな。しかし今川家との間にはまだ三河があるのでは? 」
「三河もいずれ今川の手に渡るだろうとさ。あんまり大っぴらには言えねぇがな」
駿河の隣、相模の国には北条家がある。その出自がかつて、今川被官の伊勢家ということで今川家と北条家は折り合いが悪く何度も戦をする間柄。後方に憂いのある状況で尾張侵攻まで行うとは思えないが、北条家がなんらかの状況で駿河に手出しできないとなればあり得るか。例えば、かつての関東管領殿との戦(第二次河東の乱)の時のようにな。
「ふむ……。そうなれば今川は駿河・遠江・三河の三国を治める大国。尾張半国の弾正忠家で抗えましょうか」
「そりゃあ普通に考えれば無理だろうさ」
あっけらかんとそう言い放つ雑賀様。
銭雇で戦う雑賀衆なら負ければ撤退すればよいだけということで楽観的なのはわかるが、今は織田被官の滝川家に属する身。負ければ御家が、もしくは命が亡くなるというのにこの御方は……。
「だが、きっと負けねぇ。彦九郎がそう思っているんだ。俺はあいつについていくぜ」
「ほう……」
その自信はいったいどこから……と聞きたいところではあるが、聞いたところで私にはわからないだろう。彦九郎は堺で弟弟子として橘屋で働いていたころから、私には理解できない物の見方をする男だったしな。
そして勘が鋭いというか、未来を想像できるというか……。この弾正忠家に仕えることもなにか訳あっての事なのだろう。
大旦那様も彦九郎の成すことには意味があると信じておられるようであったしな。これまた私には理解できないのだが……。
「堺の大店・橘屋もわざわざこんな尾張までやってくるのは、彦九郎が居るからだろう? いくら奴が又三郎殿の弟子とはいえ、それだけが理由でここまで商いに来ないはずだ。奴には先見の明がある……、そう睨んだから商い相手として扱っているわけだ」
「ふふふっ。さて、どうでしょうかねぇ。大旦那様の考えまではわかりませぬが……、少なくとも私は可愛い弟弟子のために今後も商いを続けてゆくつもりで御座いますよ」
凡人の私には理解できなくとも、堺でも有数の実力を持つ大旦那様や雑賀孫一を継ぐような御方達が彦九郎を信頼して期待しているのだ。
それならば私は、たとえ理解できなくとも、弟弟子のために商いで支えてやろうというもの。
「そうかい、そうかい。まぁ、筆頭番頭さんがそう言ってくれるなら安心だねぇ。今後もお互いに得のある取引をお願いしますよ」
「こちらこそ、宜しくお願い致します」
だがしかし、孫六郎とそんな会話をし、船の荷下ろしを眺める橘屋庄兵衛は知らなかった。
自らの”知略ステータス”が
なぜ周りの人間が無条件と言っていいくらいに簡単に滝川一益を信頼するのか……。どうして自分だけが一益の思想を理解できないのか……。
それは橘屋庄兵衛が”知略ステータス:92”という高ステータスだから。
自らが敬愛する橘屋の主人・橘屋又三郎と雑賀孫六郎の知略ステータスは60前後。一益の”政治ステータス:85”というステータス差による説得効果があるからこその信頼なのだ……。
彼が尊敬し、自分より遥かに優秀なはずだと信じている主人や孫六郎より、実は一番”まとも”な感覚、優秀なステータスを持っているのは庄兵衛自身だということを彼は知らなかった。
彼は凡人などではなく、知略ステータスだけなら大旦那の橘屋又三郎や武士の孫六郎を遥かに凌ぐ傑物なのだ。
ついでに言うと、一益からはステータス差による説得ゴリ押しが効かない厄介な兄弟子として、苦手意識を持たれていることも知らず、一益のために奔走する不憫な兄弟子であった。
そんな庄兵衛はその後も滝川家と取引を続け、主人・橘屋又三郎の跡を継いで2代目橘屋又三郎となり、その知略を活かし、日本有数の商人にまでのしあがるのだが、それはまた別のお話……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます