第22話 安祥城の戦い(2)
天文18年(1549年) 3月 那古野沖
滝川 左近将監(一益)
「しかし、左近殿。このような嵐で船を使う献策をなさるとは……」
「いやぁ、すまない。志摩守殿」
「いえ、我らは別にこの程度なら大丈夫ですが。陸の方々はどうだか……」
「ここまでひどいとは思わなくてなぁ……」
俺がいるのは風雨にさらされ、荒れる波が打ち付ける九鬼海賊衆の船上。両隣には、荒れ狂う船上で絶妙なバランス感覚で身じろぎ一つない九鬼
林秀貞を無視した信長さんの評定後、佐久間信盛を大将に那古野勢は蟹江からやって来た九鬼海賊衆の船に熱田で分乗。
知多半島の水野家緒田城、刈谷城を目指して出発した。昼間だというのに暗く、頭上では雷鳴轟く海上を進み、もう少しで知多の上陸地点が見えようかというところだ。
九鬼淨隆くんの心配そうな目線の先には船のヘリをがっしりと掴みながらもなんとか気丈に振る舞おうとしている信盛さんが居た。
「噂に聞く九鬼海賊衆の船に乗れるということで浮かれておったが、ここまで船上が揺れるとは……。志摩守はわかるが、左近殿もよく平気でいられますな」
そう言う佐久間信盛殿は、顔が青白く、風雨で乱れた髪も相まって、まるで幽鬼のような姿だ。彼は乗船して、しばらく後に船が大波にぶち当たった衝撃から落ちそうになって以降、今掴んでいるヘリから一度も手を離していない。
本当であれば、船酔いで苦しむ照算ら諸将と共に船底で休みたいのであろうが、大将という役の手前そうもいかないのだろう。
とはいえ、今の信盛さんの見た目はお世辞にも勇敢な大将とは言い難いが……。まぁ、佐久間家家臣たちはほとんどが船底でダウンしているため、信盛さんの情けない姿が見られることはないのが救いだ。
定期的に手で口を押えては、「ゴクッ」っという何かを飲み込む音が隣に立つ信盛さんから聞こえてくる俺としては、「頼むから吐くときは海に」としか掛ける言葉がない…。
「熊野灘などに比べればまだ穏やかな湾で御座いますから、これくらいの風雨ならお任せくだされ。滝川家の方々も尾張に向かう船旅である程度は慣れたようですしね」
「照算など、何度乗船しても慣れない者も一部居るようだがな」
相変わらず津田照算は船に弱いようで今日も船室でダウンしている。他には信盛の従弟で佐久間久右衛門(盛次)や佐久間家与力・寺西治兵衛(秀則)が寝込み、池田恒興も乗船早々にダウン。前田利久はなんとか順応していて、諸将の介抱をしている。
一方で、舟が身近な熱田の大宮司・千秋加賀守(季忠)殿とその配下は九鬼海賊に混じって船上を忙しく働いていた。同じ船乗りとして、九鬼家に対抗意識があるらしく少しでも技術を盗もうと励んでいるようだ。
滝川家からは雑賀孫六郎、津田照算、木全又左衛門が乗船しているし、与力衆の青山与左衛門、荒川喜右衛門、下方九郎左衛門等も一緒だ。照算以外は皆で九鬼家の操船を手伝っている。
ちなみに小姓の津田喜六こと、織田喜六郎様は屋敷で篠岡平右衛門らと留守番だ。
流石に若様の御弟をこんな荒れ狂う
代わりと言ってはなんだが、新たな小姓・側廻として寺西清左衛門(之則)を連れてきた。彼の兄は信秀家臣で今は佐久間信盛与力となっている寺西秀則だ。ちなみに今は、兄弟仲良く船酔いで寝込んでいる。
なんだか部下が織田家中の縁戚だらけになってきてややこしいけど仕方がない。この時代は縁故採用が多いし、御家の繋がりを重視しているからね。
「この揺れには儂も慣れそうにはないがな……うっぷ…」
「出羽介殿、あまり我慢しない方が楽になりますよ」
「お気遣いありがたい、志摩守……」
そんなこんなで信盛さんが吐こうかどうか迷い始めたしばらく後、暗かった船首の先に灯りが見えてきた。
どうやら知多の水野家が明かりを灯して迎えてくれているらしい。出航が決まってすぐ、水野家当主・水野下野守信元へ忍衆に馬を飛ばして書状を送ったのが届いたのかもしれない。
「おっと、志摩守殿。あれは陸地じゃねぇか? 」
「たしかに!あと少しです!出羽介殿! あれに灯りが……」
「オロロロロォォォ……」
「「……」」
俺の問いかけで灯りに気づいた浄隆くんが、あと少しの辛抱だと信盛さんを元気付けようと振り向いた瞬間。
信盛さんの”アレ”が盛大に海に向かって放出された。
「で…出羽介殿……」
「うーん、あと少しだったんだけどなぁ。志摩守殿、とりあえず、出羽介殿は今はそっとしておいてあげよう……。大将にも面子があるからね」
もうちょい我慢できれば陸地だったのになぁ。半端に我慢するくらいなら最初にしてしまった方がこういう時は楽だったのに……。
もはや青白い顔の落武者ヘアーだけでなく、酸っぱい匂いも漂わせ、もはや完全に大将の威厳がなくなってしまった佐久間信盛さんを1人にしてあげるべく、俺は志摩守を遠ざけたのだった。
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