第78話 少女、思い出す

 葛子かつこに再会してしまったことで、菜々子は前のグループにいたときのことが蘇る。


 前のグループは、女の子四人のグループで、学年は葛子が一個上だったが、他の二人は菜々子と同じ学年。


 歳が近いこともあって、すぐに打ち解けられると思ったが、その陰口が聞こえてきたのは、加入して三日後のことだった。


『土井ちゃんってさ、つまんないよね』


『あーわかる』


『えーそんなことないよ。何か、必死にウケようとしている感じが、滑稽で最高に面白いじゃん』


『ぷっ、それは悪口じゃん』


『ってかさ、あの子、何か私たちを見下している感じがあるよね』


『やっぱり、そうだよね。うちも同じこと思っていた』


『可愛くて、運動もできるからって、あんま調子乗んなって感じ』


『だよね』


 菜々子がトイレに行っている間に、彼女たちは自分の陰口で盛り上がっていた。


 言いがかりめいた言葉に、悲しくなる。


 彼女たちを見下してなんかいないから、飛び込んで否定したかったが、怖くてできなかった。


 この時点で、菜々子は事務所を辞めたいと思う。


 しかし、自分の背中を押してくれた両親のことを考えると、辞めたいとは言い出せず、その場は我慢する。


 陰口はその後もたびたび聞こえてきて、わざと言っているんじゃないかと思うときもあった。


 その度に、社会勉強だと自分に言い聞かせ、我慢する。


 本音では辞めたいけれど、やはり両親のことが気になって、自分の本音を出すことができずにいた。


 我慢し続けること、約一年。葛子が他事務所へ移籍することになり、グループも解散。


 菜々子はそれを機に、事務所を辞めようと思ったが、社長に説得され、もう少しだけ頑張ることにした。


 そして、絵麻たちと出会い、今は充実した毎日を送れている。


 だから、昔のことなんか、思い出したくなかったのに――。


「まだ続けていたんだ。ディーバー」


 葛子は菜々子を傍目に、着替え始める。


 菜々子は逃げるチャンスを失ったことに気づき、努めて明るい表情で頷く。


「え、うん」


「ふーん。何か、調子がいいみたいね。土井ちゃんのグループ。土井ちゃんが休んでから」


 葛子の物言いに、菜々子は息がつまる。彼女がその言葉に滲ませた毒が、菜々子の心を蝕む。


「……そうだね」と絞り出すので、精いっぱいだった。


「何で休んでたの?」


「まぁ、いろいろあって」


「そうなんだ。私、心配していたんだよ?」


 嘘つき。一度も連絡をしなかったくせに。その本音を隠して、菜々子は努めて平静を装う。


「ありがとう。ごめんね、心配させちゃって」


「ん? ああ、私が心配していたのは、土井ちゃんじゃないよ。他のメンバーの子たち。だって、可哀そうじゃん? リーダーが率先して足を引っ張るとかさ」


 その言葉で、菜々子は頭が真っ白になった。


「土井ちゃんってさ、そういうところあるよね。真面目だけど、空気を読めていないと言うか、周りに歩調を合わせるのほんと下手くそ」


 菜々子は言葉を失い、俯く。その目じりにじわっと涙が浮かんだ。


 葛子が菜々子の様子に気づいて、微笑む。


「ああ、ごめん。べつに、土井ちゃんのことを悪く言うつもりはないの。ただ、一緒に活動した仲間として、アドバイスしてあげようと思っただけ」


 葛子は悪びれも無くそう言った。


 菜々子は頬を引きつらせ、何とか声を絞り出す。


「……そ、そっか。ありがとう」


「良かった。土井ちゃんのためになったみたいで」


 葛子は眉を開く。その口元に嘲笑を浮かべながら。


 ――それから、菜々子は集合場所の近くにあるベンチに座って項垂れていた。


 どうやってそこまで来たかは覚えていない。ただ、葛子に言われた嫌な言葉だけが頭の中をぐるぐる巡っている。


「……土井ちゃん? どうしたの?」


 啓子の声がした。顔を上げると、啓子が心配そうに自分の顔を覗き込んでいたので、菜々子は努めて明るい表情で言う。


「ちょっと考え事をしていただけです。でも、元気なんで、任せてください!」


 しかし啓子は、心配そうに、じっと自分の顔を見つめる。


「さっき、葛子ちゃんを見かけたんだけど、もしかして――」


「ちょっと、トイレに行ってきます!」


 菜々子は啓子の言葉を遮ると、立ち上がって、トイレに走る。


 個室に飛び込んで、鍵を閉めると、思わず泣いてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る