第50話 白衣の勇者、諦める

 治療を終えた英雄の足元で、彩羽は顔を赤くしたまま、息を整えていた。トラップも破壊したし、彼女は自由だ。


「以上で治療は終わります。とくに問題はないと思いますが、念のため、精密検査などを受けていただくといいんじゃないかなと思います」


 彩羽クラスの人間なら、それくらいのことを簡単にできるだろう。


「……なさい」


「はい?」


「忘れなさい! さっき見たことは忘れなさい!」


 彩羽の目が怪しく光った。【洗脳】を発動している。


(そこで使うなと言ったのに)


 英雄は呆れながらも首肯する。ここは従っているフリをした方が、良いだろう。


(でも、どこまで忘れればいいんだろう?)


 質問したら、効いていないことがバレるかもしれないし、ここからは消極的に振舞い、ボロが出ないようにした方がいいかもしれない。


 彩羽が立ち上がって、ドレスについた埃を払う。


「いろいろ言いたいことはあるけど、とりあえず、ありがとう。あなたのおかげで、なんか、頭がすっきりした感じはある」


「はぁ」と英雄は困り顔で返す。この反応が正解かは……わからない。


「ああ、そこまで忘れてしまったのね。あなたが私の頭痛を治すために治療をしてくれたの」


「……そうでしたか」


 英雄は安どする。治療したこと自体を忘れたことにすれば、彼女から不審がられることはないようだ。


 しかしそれも束の間のこと、彩羽にじっと睨まれ、英雄はたじろぐ。


「あなた、本当に忘れているんでしょうね」


「……はぁ、まぁ、何のことかよくわかってないですけど。俺はどんな治療したんですか?」


「どんな治療って」


 彩羽は治療のことを思い出したのか、顔を紅潮させる。


「それを私に言わせるつもり!?」


「あ、すみません」


 英雄は平謝りを繰り返す。


「と、に、か、く。あなたが私にやった治療のことは絶対に思い出しちゃいけないし、他言無用だから」


 彩羽は怪しい光をその目に宿して言った。


(まーた使った)


 英雄は呆れながらも首肯する。従ったフリは、実はよくないんじゃないかと思い始めてきた。


(ってか、この感じだと、ダンジョン外でも使っているのかな?)


 一応、ダンジョン外での魔法の使用は禁止されているから、使っていることがバレたら、彩羽もただでは済まない。


 とはいえ、彩羽の魔法は一般人には見破れないものだし、彩羽には、魔法を使わずとも相手を従えることができる魅力があるから、立件は難しそうだが。


(どうやったら、わかってもらえるんだろう?)


 ダンジョン内外問わず、あのやり方で魔法を使うことが癖になっているんだとしたら、早急に対策する必要がある……気がする。


 英雄が悩んでいると、「夜美さん!」と慌てて駆け寄る者がいた。右目を前髪で隠した侍めいた格好の女性冒険者である。彼女の後ろには、厳つい顔の男性冒険者も二人控え、警戒に当たっていたウルフ系のモンスターも三体いる。


(あ、やべっ。モンスターのことを忘れていた)


 壁を挟んで、反対側にいた二体のモンスターは英雄が眠らせていた。早く起こさないと彩羽が疑問に思うかもしれないので、英雄はすぐに睡眠状態を解除した。


 彼女たちは、英雄が散らした彩羽の仲間であり、治療が終わりそうなタイミングでドラゴンを消したから、彩羽の位置情報をもとに、ここまで来たに違いない。


 他のドラゴンも消したし、救援隊を足止めするために集めたモンスターも散らしたので、間もなく他の仲間や救援隊も駆け付けるだろう。


「ご無事でしたか」と女性冒険者は彩羽の前に跪く。


「ええ、まぁ」と彩羽は答える。


 女性冒険者と目が合う。女性冒険者が目を細めて言った。


「こちらは八源さんですよね?」


「知ってるの?」


「はい。Elementsのマネージャーをしていたことが話題になっていましたので」


「Elements?」


「最近、伸びているディーバーグループですよ」と言って、女性冒険者は英雄の前に立って、一礼する。「はじめまして、夜美彩羽のマネージャーをしている我妻沙代里と申します。以後、お見知りおきを」


「あ、はい。Elementsのマネージャーをしている八源英雄です」


「それで――他事務所のマネージャーがうちの夜美に何の用でしょうか?」


 沙代里の視線が鋭いものに変わる。明らかに警戒している様子。これがあるから、他の人がいる状況で会いたくはなかった。


「えっと、それは」


「ちょっと私がトラップに引っかかってしまって。それで、助けてもらったの。そうだよね?」


 どこか威圧を帯びた表情であったから、英雄は「はい」と素直に頷く。


「ああ、そうでしたか。ありがとうございます」


「あれ? そういえば」と彩羽が思い出したように言う。「残りの子はどうしたのかな?」


 そのとき、残りのウルフ系のモンスターが彩羽の元へやってきて、英雄に対し敵意を露わにする。


「すみません。そのモンスターは気絶させていました。まともに戦ったら苦労しそうな相手だったので」


「ふぅん。そうなんだ」


 彩羽は納得してくれたようだ。


 しかし、ほっとしたのも束の間のこと、沙代里から鋭い質問が飛んでくる。


「そういえば、八源さんはどうしてここに? 仲間の冒険者とかいないんですか?」


「いや、それが迷子になっちゃいまして」


「迷子になった? なら、すぐに仲間に連絡して帰還した方が良かったのでは?」


「それはまぁ、そうなんですけど、『帰還の結晶』も忘れてしまいまして。すみません、最近、冒険者を始めたもので、その辺、慣れていないんです」


「最近始めたばかりなのに、この階層に?」


「ええ。そういったトラップを踏んでしまったみたいで」


「ふぅん。そういうトラップですか」


 めちゃくちゃ怪しまれていることは沙代里の視線からわかる。面倒な人に捕まってしまった。詰めが甘かったことを認め、反省せざるを得ない。


「まぁ、いいじゃない」と言ったのは彩羽である。「今日は、このフロアにいないはずのモンスターにも遭遇したし、そういうイレギュラーが発生しやすい日だったんじゃないの」


「いや、でも」


「それより、今日はもう探索する気分じゃなくなったから、さっさと帰りましょう」


「夜美さんがそうおっしゃるなら」


 沙代里は不服そうだったが、引き下がる。英雄は彩羽が天使に見えた。


 それから他の仲間や救援隊がやってきて、現場がにわかに騒がしくなってきた。


 英雄はへらへらしながらその場をやり過ごし、他の人の『帰還の結晶』に相乗りする形で、地上へ帰還することができた。


 夜美彩羽が謎のモンスターに襲われたことは地上でも大きな話題になっていて、騒ぎになっていた。


 英雄はさっさとその場から去ることにした。が、最後に彩羽へ挨拶することを考えた。しかし彼女のそばには沙代里がいて、彼女の前だとボロが出かねないから、クールに去ることにした。


 英雄は喧騒に紛れてその場から去り、レンタル品を返した後、啓子と合流し、啓子が借りていたレンタカーに乗り込む。


「なんか、いろいろと大変だったみたいね」


「ええ、まぁ」


「もしかしてだけど、夜美ちゃんを襲ったモンスターって、ヒデ君?」


「……まぁ、はい」


「そう。どうして?」


「彼女を治療した方が良さそうだったんですが、普通に近づいたら、警戒されかねないと思ったので、彼女を治療しやすい状況を作りだしたって感じです」


「そっか。悪い男ね」


「そんなんじゃないですよ」


「治療はうまくいったの?」


「はい」


「流石だね。でも、どうして助けてあげたの?」


「まぁ、夜美さんはかなり特殊な存在ですから。それに、ここでつながりを作っておけば、将来、役立つかもしれませんし」


「なるほどねぇ。確かに、夜美ちゃんほどの知名度があったら、妹さん探しも捗るかもね」


「はい。今回は、頼めるような雰囲気では無かったですけど」


「それは残念ね」


「でも、大丈夫ですよ。彼女とはまたすぐに会える気がします」


 英雄の脳裏で、夜美彩羽の目が怪しく光った。

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