第42話 悩める美少年、気づく

 翔琉が目覚めると、見知った天井があった。


 慌てて起き上がり、辺りを確認する。そこは自分の部屋だった。


「あ、あれ?」


 翔琉は昨日のことを思い出してみる。


 昨日、英雄が優月にマッサージをした後、自分もマッサージを受けた。それで……その後のことはよく覚えていない。


 気絶するほど気持ちいいマッサージだった。実際、すぐに気絶してしまい、終わった後も夢を見ているような気分が抜けず、おぼろげな意識で家に戻り、そのままベッドに倒れ、今に至る。


(昨日のあれ、すごかったなぁ)


 翔琉は肩を回してみる。目覚めが良いし、体調はすこぶる良かった。英雄に対し、嫌悪感を抱きそうになっていたが、それすらも、あのマッサージでほぐされたみたいだ。


(あっ)


 昨日のぬるぬるした感触を思い出し、変な気分になってきた。血流が良くなりすぎる気配があったので、シャワーを浴びて気分を変えることにした。


 喉の渇きを覚えたので、台所によろうとしたら、リビングのソファーに座る優月の後ろ姿を見かけた。髪につやがあって、肩にタオルを掛けている。優月は先に起きて、シャワーを浴びたようだ。


(どうしよう)


 昨日、姉のいけないところを見てしまった。だから、顔を合わせることに、気まずさはある。


 それでも、声を掛けないのは、家族として不自然だと思い、挨拶することにした。


「おは――」


 優月に歩み寄り、翔琉の表情が固まる。優月はスマホを見て、ニヤニヤしていた。問題なのはその画面である。そこには、マッサージをする英雄と英雄のマッサージに悶絶する自分が映っていた。


「ゆ、ゆづ姉。その写真は?」


「ひゃあっ!?」


 優月はソファーから転げ落ちそうになり、落としそうになったスマホを宙で掴む。


 そして、ずれた眼鏡を直しながら翔琉に目を向ける。


「も、もう。驚かさないでよ」


「ごめん。そんなつもりは無かったんだけど。それより、その写真は?」


「あ、あぁ、これは。その、記事のために。そういえば、記事にするために写真を撮っていなかったなと思って」


「なるほど。そういう理由ね。ってか、起きてたの?」


「う、うん。途中から」


「そっか」


 優月に恥ずかしいところを見られてしまった。その事実に顔から火が出そうになる。


 しかし見方を変えれば、優月の恥ずかしいところを見てしまった自分が、優月に恥ずかしいところを見られたことで、お互いの関係がイーブンになった……気がする。


 だから、優月に対して抱いていた気まずさも多少は和らぐ。


「ゆづ姉も、昨日はすぐに寝ちゃった感じ?」


「うん。気づいたら朝になってた。それにしても、すごかったね、八源さんのマッサージ。今までの疲れが全て吹き飛んだ感じがする」


「そうだね。僕もかなり体調が良いよ」


「……また受けてみたいね」


「……そうだね」


 照れながら語る優月を見ていると、翔琉もつられて照れてしまう。何だか二人だけの秘密ができたみたいで、悪い気はしなかった。


 翔琉が台所へ向かおうとしたら、背中に声が掛かる。


「お姉ちゃんは牛乳が飲みたーい」


「わかった」


 翔琉はお茶と牛乳が入ったグラスを持って戻ってくる。優月の前に牛乳が入ったグラスを置くと、自分も適当な場所に座る。


 シャワーを浴びるのは、お茶を飲んでからにする。


「お母さんは?」


「お姉ちゃんのとこ。お父さんも一緒。星良は彼氏とデートだって」


 長女は一年前に結婚し、最近、子供が生まれた。家から30分ほど離れているところに住んでいることもあり、母親がよく手伝いにいっている。三女の星良は大学二年生で、高二の時から付き合っている彼氏と仲が良い。そのまま結婚するんじゃないかと思っている。


「皆いないし、昼食はお姉ちゃんとどこかに食べに行こうか。何か食べたいものある?」


「今はないかな。あ、この間、友達に教えてもらったって言ってたお店はどう?」


「ああ、あそこね。ちょっと待って、確認する」


 スマホで確認する優月を見て、翔琉は一抹の寂しさを覚える。いずれ、優月ともこういう時間を過ごせなくなるかもしれないと思うと、少し切ない。


「今日やってるみたい。10時になったら行こう」


「10時ね。OK」


 さっさとシャワーに入ろうと思い、お茶を飲み干したところで、優月が言った。


「翔琉は、八源さんと一緒にご飯へ行ったりしないの?」


「……行かないけど。どうして?」


「とくに理由はないけど。ただ、二人はどんな関係なんだろうと思って」


「マネージャーとタレントだけど」


「それはそうだけど。ほら、友達のように仲が良かったり、ビジネスライクな付き合い方をしているとかあるじゃん」


「ああ、それで言うと、ビジネスライクなんじゃないかな」


「そうなの? なんかもったいないね。だって、異性ばかりの職場で、唯一の同性でしょ?」


「そうだね。でも、最近、マネージャーになったばかりだから、まだそこまででは」


「ならさ、今度三人で一緒に出掛けたりしようよ。昨日みたいに。そこで仲を深めたらいいんじゃない?」


「え、まぁ、僕はいいけど」


「決まりだね。タイミングを見て、お姉ちゃんも誘ってよ」


「う、うん」


 翔琉は戸惑いながら席を立ち、浴室へと向かう。


 シャワーを浴びながら、優月の言葉について考える。


 翔琉にとって、優月があんな提案をするのは珍しかった。というか、初である。優月は、基本的に他人への興味が無い人だから、そんな優月が積極的に人と会おうとしていることに驚きを隠せない。


 昨日の件だって、記事のことが無かったら、英雄とは絶対に会わなかっただろう。相手が世間を騒がせた有名人であっても。


(でも、どうして急に……)


 翔琉は灰色の脳細胞を働かせ、一つの結論に至る。


(もしかして、英雄さんのことが好きになった? まさか、あのゆづ姉が)


 それは、翔琉にとって――喜ばしいことだった。


 正直、優月からは一度も浮ついた話を聞いたことがなかったから、心配していた。


 今の時代、恋愛や結婚をすることが幸せだとは思わないが、とはいえ、二人の姉が素敵なパートナーを見つけて、幸せそうにしているところを見ると、優月にも同じような幸せを手にし欲しいと思う。


 しかし、優月に恋愛に興味が無いか聞いたとき、「興味が無い」とはっきり言われた。


 また、優月は次のように言った。


「恋愛は、人の話を聞くだけでお腹がいっぱいになるから、わざわざ自分のお金と時間を消費してまでやりたいとは思わないな」


 その言葉を聞いた時、優月が恋愛に興味を持つことは無いと思ったが、まさか、こんな形で興味を持つとは。


(いや、でも、まだ好きになったと決めつけるのは早いか)


 それでも、確実に興味は持っていると思う。このチャンスを逃したら、今後、優月が異性に興味を持つことは無いかもしれない。


 もちろん、優月との時間が減ることに対する寂しさはある。だが、それ以上に、優月の幸せを願う気持ちが勝る。


(それに、相手が英雄さんっていうのもいいね)


 英雄とは一緒に仕事をしている。だから、優月に助け舟も出しやすい。


(でも、あの二人がいるんだよなぁ)


 翔琉の脳裏に一花と絵麻の顔が浮かぶ。二人の態度が急変したことに疑問を抱いていたが、その理由が昨日の件で何となくわかった。二人も英雄から何かしらのことをやってもらったに違いない。


 翔琉から見たとき、二人は優月の強敵になりうる存在だった。二人とも可愛いし、性格も明るく、英雄に対して積極的である。一方の優月は、ビジュアルでは二人にも引けを取らないが、性格に関しては少し難がある……かもしれない。優月のマイペースな性格は人を選ぶ。また、二人よりも英雄に会いにくいという点で不利だ。


 それでも、優月には自分がいる。だから、自分が優月を幸せにする。その決意を胸に、翔琉は浴室から出た。


 その足で、優月の前に立った。


「ど、どうしたの?」


 髪が濡れたままの半裸の弟を優月は心配する。


「……ゆづ姉。僕がゆづ姉を幸せにするからね」


「え、あ、うん。それより、早く着替えたら?」


 翔琉は爽やかな笑みを残し、優月の前から去った。


「どうしたんだろう、急に? あっ」


 優月は思い出したようにスマホのカメラを向けるが、すでに翔琉の姿は無かった――。

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