第4話
三木はその日の夜、シャンソン・バーに足を運んだ。馴染みと言うほど足繁く通うわけでもなく、シャンソンが特別好きというわけではないが、飯が美味い。
店内に入り、カウンター席に向かう折、三木の目に一人の男が留まった。黒シャツに黒スーツに、白髪の七三ツーブロック。
当時とは違う風貌になっているが、あの顔は……。
三木は自然と微笑み、黒スーツの男に話しかけた。
「
ウィスキーのストレートを味わうその男が目線を寄越して、眉をピクリと動かした。
「……三木か」
男が渋く低い声を少しだけうわずらせた。身体を三木の方に向け直して、無愛想な顔のまま、少しだけ口角を上げた。
「久しいな」
東地の言葉に三木も笑って答える。
「おう!何年振りだ?まぁ、いい。お前もこっちに来たのか?しかし、まさかこんなところで会うとは思わなかったぜ。エルビスしか聞かないと意地張っていた男が、まさかシャンソン・バーにいるとは!」
三木は奥の小さなステージに目を向けてから、東地に視線を戻してニヤけてみせた。
三木と同郷東京都Y町の出身で、寡黙で芯の強い男だった。三木とは小学校から高校までの付き合いで、大学で三木は都心に出て来て、東地は仏教系の大学に行ってから疎遠になっていた。共に、同窓会に行く様なタイプでは無いから、三十になる頃に知人の葬式で顔を合わせて以来、ずっと会うことがなかった。
東地は、四十五だが三木と比べてもより高齢に見える。原因は白髪と深い皺のせいだろう。しかし、外で焼けたのであろう浅黒い肌と軍人の様に脂肪の薄い実戦的な肉体から、学生時代同様に力強さが感じられた。
東地が穏やかに微笑み答える。
「それだけ月日が流れた」
「まぁ、そうだな」
三木は白髭の混ざり始めた無精髭を撫でてから、東地の隣は腰掛けた。
「あっ、マスター。ナポリタンとなんか適当に合うワインくれ」
マスターがコクリと頷く。東地がウィスキーを口で転がしてから、三木に尋ねた。
「夜にナポリタンか」
「あぁ、ここのは絶品だ。ナポリタンなんて大差ないと思っていたが、ここのを食べてからはコンビニのでは満足できなくなった」
「そうか。今度昼に食べてみるとしよう」
「夜食は食わないタイプか?」
「あぁ」
「はは、歳とったな。昔は昼にも三時にも飯食っていた癖に」
「あぁ、歳をとった。最近は精進料理が身体に合う」
「じじいかよ。ははは」
「寺の息子だからな」
三木は出された食前酒を一飲みしてから、嬉しそうに東地と話し始めた。
「ところで、こっち来たのは仕事か?」
「あぁ」
「なんて言ったか。あの映画エクソシストの神父みたいなやつ、まだやっているのか?」
「あぁ。仲間内では
「そうか。オレはオカルトは信じないから分からんが、それで救われる人もいるんだろうな」
「まぁな。救えないことも多いが」
「そうか」
三木は霊や悪魔などという存在を信じていない。故にそういう類の話をする者は詐欺師とみなし軽蔑するきらいがあるが、東地のことはそう見ていなかった。
東地は寡黙で何を考えているか分からない事も多かったが、昔から信頼に足る人間だったし、東地の実家も寺だからそういう仕事をしなくてはならない事情も理解できた。
三木はそれで今日の昼間のことを思い出した。冗談として東地に言うことにした。
「ははっ、そういや最近、この街でも悪魔に憑かれたような人間が相次いでいてなぁ。もし、祓ってくれるなら是非祓ってほしいものだな」
「そうか。警察にも迷惑をかけたな。すまなかった」
「なぜ東地が謝る?」
「前任が亡くなってから、この街の我々の仕事が滞っていたからな」
「祓師とやらがいないことで何の影響が?祓わないと変な奴が増えるのか?」
「あぁ。我々は普段事件化する前に手を打っている」
「ほぅ。なら……お前たちのせいか」
「すまない」
「ははは、冗談だよ。所詮、世の行いは人によるもの。お前ら神聖な者たちには無縁の話さ。多分麻薬や洗脳だろう」
「そうか。一応言っておくと、私は聖職者じゃない」
「オレから見りゃあ、どっちも変わらんさ」
「そうか」
それから二人は昔話に花を咲かせた。そして、ナポリタンを食べ終えた三木と東地は散会となった。
「悪りぃな。明日早いもんでね。ちぃとでかい山を抱えていてな。明日は監視カメラをアホほど辿らなきゃならん」
「警察らしいエピソードだな」
「ははは、そうだな。お前もこうやってパッパッって聖水とか撒いたりするんだろう?」
「まさか。私は聖職者ではない」
「ははは。今度はちゃんと覚えておこう。オーメン!」
「それも聖職者だ」
「はははは。悪りぃ、悪りぃ。じゃあ、そろそろまじで行くわ」
三木が席を立つと、東地が呼び止めた。そして、胸の万年筆を取り出して自分のコースターに何かを書いて、三木にフリスビーの様に投げて飛ばした。三木が慌てながらなんとか受け取り、東地に問うた。
「なんだよ、おい」
東地も微笑む。コースターには電話番号が書いてあった。三木が東地に視線を戻すと、東地は真剣な顔をして告げた。
「三木、お前の言うところの"悪魔"は実在する」
東地の迫力に三木は生唾を飲んだ。東地は続ける。
「気を付けろ、三木。この街にそういった類の何らかの良くない者が潜んでいる。それは私の番号だ」
三木はじっと見てから、茶化す様にコースターをひらひらと振り、一言ぼやいてから店の戸を開けた。
「そうならんことを神様に祈っていてくれ」
そして、残された東地が鼻で笑い、ひとりごちた。
「だから、聖職者ではない」
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