第2話

 大山上おおやまうえとおるが精神錯乱し、父親に襲い掛かったという通報があってから二日が過ぎた。



 通報自体は取り下げになったものの、任意での事情聴取を行うことになった。その間、とおるは低い唸り声をあげながら暴れようとし、まるで"悪魔に憑かれた"かのようで、仕方なく自室のベッドに拘束されていた。



 

「では最後に。念の為、再度お聞きしやすがね、息子さんは麻薬や市販薬の過剰摂取などに手を出した事はなかったってことでいいんすね?」



 煙草のせいでしゃがれた声の四十五になった男が、透宅のリビングで透の母に尋ねた。彼の名前は、三木王潤みき おうじゅん。ボサボサの髪によれたスーツとコートを纏う気怠げな刑事である。

 気怠げな三木の質問に、目を充血させた母が鼻を啜ってから答えた。


「……えぇ。透は真面目でとてもいい子だったんです。とてもそんな物に手を出す子ではありません」


 優等生にしろ、不良にしろ、どこの親もそう言う、と三木は内心に思う。少しでも捜査の手掛かりが欲しいと思い、こうして来てみたが、元々さして期待してはいなかったものの、やはりであった。

 もう成果は見込めない。切り上げる為、三木は無感情に定型の文句を返した。



「そうっすか。どうもありがとうございやした。では、失礼しやす」



 そう言って三木は赤い屋根の透宅を出た。そして、路上で煙草に火を付けてからメモ帳を開いた。路上喫煙は禁止されているのを知っているが、そんなことはどうでも良い。



 念の為に事情聴取に来たが、"この一連の事件"に関する手掛かりはなし。あまり徒労は好きではないのだが。



 三木は溜息を吐いた。



 透には、虐めなどの精神的苦痛や非行の兆候もなく、家庭にも問題がある様には見えなかった。


 強いて言うなら、部屋は受験勉強に向けて追い込む様が見て取れた。が、精神障害が現れる前に起こるストレスの限界行動みたいものはなかったと思える。



 つまり、これも原因不明の謎の発狂。

 一連の事件であるが、件数が増えただけで何も進展はない。




 ——三木はある事件を追っていた。




 最近頻発している謎の発狂傷害事件。

 ある日突然発狂し、訳の分からない言動をしながら他人を襲う事件。それが相次いでいるのだった。


 当然に麻薬や薬物の摂取による錯乱状態と推察されたが、発狂者たちからは薬物反応が出なかった。そのため、精神科治療も検討され、処置を施したが誰一人として未だ快復の兆候はない。



 そんな発狂事件がここ四ヶ月で、このX区だけで頻発していた。


 故に、二週間前に警察が事件性を見出して、"X区集団錯乱事件"として捜査本部を設けた。

 捜査方針は、大気や水質の汚染——有害物質の摂取による企業犯罪と、麻薬や洗脳による人的犯罪の二つ。三木は人的犯罪にあてがわれた。


 三木は捜査に当たり、人的犯罪の中でも"組織犯罪"と長年の勘と当たりをつけた。そうとしか言えないが、勘が外れる事はあまりなかった。


 特に、三木は新興宗教などによる洗脳を主軸として睨んでいた。

 というのも、一発で発狂させるような強力な薬物ならば、捜査に参加している麻薬捜査課が何らかの兆候を把握していないとおかしい。しかし、当の麻薬捜査課職員はめぼしい情報は無いという。


 加えて、発狂し周りに傷害を犯した犯人たち——見方によっては被害者たち——は一様に喋る事も出来ない状況であり、薬物反応や注射痕もなく、家宅捜索でも何も見つからなかった。

 麻薬なら何らかの身体的特徴や証拠が残る。




 そうであれば——。


 薬物以外で人を発狂させ、攻撃衝動を呼び起こす様な手段は洗脳以外に思い付かなかった。しかし、それほどの強い洗脳であれば、期間を要するはずである。長期的に通っている施設や場所があるはずだが、被害者達に共通して通う拠点などは見つけられなかった。



 そう、捜査本部立ち上げから二週間あまり、三木は捜査を進展させる突破口を見つけられずにいた。



 三木は思う。

 これで二十三件目になる。

 未だ何の証拠も出て来ていない。人の関与があるならば、そろそろ何らかの繋がりとなる証拠が見えないとおかしい。

 それは捜査本部の上官とて同じ思考だろう。となれば、自然そろそろ捜査本部も人的犯罪の線は消す。


 しかし、自身の勘はそれを許してくれなかった。



「おかしな事件だよ、全く」


 三木は頭をガシガシとかいてため息を吐いた。


 関連すると思われる事件のペースは早くなっている。有害物質の潜伏期間の波が来たとも考えうるが、しかし人的犯罪であればそれはつまり"自信の現れ"に他ならない。



「なめられたもんさなぁ……オレ達も」



 そうぼやきながら住宅街を歩く三木の前を猫が横切り、民家の塀を越えて行った。それを見て、ふと三木は気になる事が生まれて、もう一度透宅へ向かった。



 三木は透宅の塀の前に立った。

 三木の目の前の、腰のあたりの高さに不自然な泥の塊が付いていた。先ほど帰りがけに目端で捉えていたが、特に気にはしなかった。しかし、今猫を見た後で見れば、猫にしては泥の位置がおかしかった。


 三木は直感した。



「塀に手を掛けて、片足をここにつき、塀を登ったのか……」



 三木は壁に残る微かな足跡をただじっくり眺めていた。

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