【5】

「何ボケっとしてんの。アンタも隣で漕ぐの」

 一足早くブランコの座板に片足を乗せた莉が、ゆっくり歩く俺を促してくる。

 青一色の支柱から伸びる銀色の鉄鎖は、徐々に西へと降り始めた陽射しを反射して、どこか真新しい輝きを放っていた。

「傍から眺めてるだけじゃダメか?」

「いいけど点々万が一でも見たりしたら、後でお仕置きだから♪」

 もう片足も座板に乗せて、立ち漕ぎ状態でスタンバイしている幼馴染が、スカートの裾を手でつまんではヒラヒラはためかせながら、スマイル全開で脅しをかけてみせる。

 それにしても、お仕置きとは? 深く考えるのは止めよう。ただでさえ暑さで、思考回路はショート寸前なのだから。

「座って漕げばいいじゃんか。そんなに見られたくないなら」

「ダーメ。だってスカート汚れるし」

「何だよその理屈。ったくよ」

 溜め息代わりの愚痴を吐き出して、隣にあるブランコの座板に両足を乗せる。

「それじゃ、どっちがより遠くまで靴を飛ばせるか、いざ勝負!」

「やる遊びがいちいち小学生レベルなんだけど?」

「いいじゃんいいじゃん。たまには童心に返って遊ばなくちゃ、でしょ!」

 意気揚々とした声を残して、莉が全身を使ってブランコを漕ぎ始める。前に後ろにと、小学生とも見紛うほどの小さな体躯が揺れる。それでも、微か程度のものではあるけど。

 遅れて俺も漕ごうとする。しかし脚を乗せた座板を前に押したところで、ふと頭の中で疑問が生じた。あれ、ブランコってどうやって動かしてたっけ?

「いやー、感覚忘れちゃうね、しばらくご無沙汰だと」

「こんなにブランクが開いたらな。まあ、思い出しさえすれば、あとは簡単なんだけど」

「ブランコが後ろに行ったところで膝を曲げて、前に来るタイミングで膝を伸ばす」

「そうそう。乗ってる板を下から前に向けて押すようなイメージ」

「思い出した思い出した。乗ってる板が先に前に来て、後から身体が追う感じだね」

 昔を思い出しながら、膝を伸ばしては曲げてを繰り返す。ある程度前後に振れるようになれば、あとは振り子の原理や重心移動もあいまって、ブランコの振り幅が勢いよく且つダイナミックに発展するまでに、そう時間はかからなかった。

 小さい頃は無意識にやっていた動きも、こうして言語化してみると、結構複雑な動きをしているのだと実感する。というか、ちょっとした体幹トレーニングにもなってるなこれ。

「ついでにさー、思い出したんだけどー」

「別に思い出してくれなくて結構だぞー」

「通算成績。靴飛ばし勝負の。どっちが上だったか、アンタ覚えてる?」

「んなもん、とうの昔に忘れてますー」

「じゃあ今日勝って、記念すべき百勝のメモリアルにしちゃおう、っと!」

 いやいや、そんなに勝負した覚えないし。捏造止めてもらえます? そんな俺のツッコミを制する格好で、隣のブランコに乗った莉の右足が勢いよく蹴り上げた。振り切った瞬間襲ったイタズラな向かい風によって、制服のスカートがはためいてしまい、なんとも扇情的な下着との再会を果たしてしまう。が、すぐに関心は下着なんかよりも宙を舞い落ちるローファーに向けられて。

「やったー。結構飛んだんじゃない!? ほれほれリョウくん、いつまで揺られてばっかでいんのよ! こっこまーでおーいで!」

「ハッ、余裕こいてられんのも今のうちだぞ」

 申し訳程度に設けられた安全柵の遥か先に着地した幼馴染のローファー目掛けて、俺も漕ぎ続けるブランコを一層勢いづけていく。

 右靴を半分脱がしたまま、前に出たブランコの板を押し出すように脚に力を込める事、一回二回……よし、今だ!

 後ろにブランコが振れたタイミングで態勢を整えて、前の空目掛けて加速しながら下り、前へと振り始た瞬間ーーシュート!

「ぎゃっ、やっちまった!」

「あー、ふかしちゃったかー」

 蹴り上げる際に、半脱ぎしたいたローファーのつま先部分が座板に当たったせいで、飛ばすタイミングが盛大に遅れてしまった。

 靴の発射地点がブランコの最高到達点に至ってからでは、もう手遅れ。ほぼ垂直に射出された俺のローファーは、むせ返るほどの暑気を孕んだ濃い水色の空目掛けて高々と舞ったのも束の間、あれよあれよという間に地面に吸い込まれるように急降下し、ぱたと虚しい音と共に墜落を迎えてしまった。

「あらら、ホームラン狙いが一転、惨めなキャッチャーフライに」

「あーしくった。負けた負けた、素直に降参しますよと」

 安全柵の中に落ちた自らの靴に視線を落としてから、柵の向こう側へと無事着地した幼馴染みの靴へと目移りする。よく見たら莉の靴は綺麗に靴底に着地しているのに対して、こっちと来たらひっくり返った状態で着地していた。態勢含めての見事なまでの完敗に、いっそ清々しさすら感じて止まない。

「てか、見てよ向こう。蜃気楼が見えちゃってるし」

 靴を飛ばした遙か遠くを指し示した莉が、目を丸くしたまま言葉を止める。後を追って久方ぶりにお目にかかった山麓の揺らめく風景を見つめながら、改めて思う。

「ホント変わんないよなぁ。この辺の風景も、お前のその髪も」

「えー? アンタねぇ、ソレ今更だから」

 頭の右側に結わえられたサイドテールを指で弄りながら、莉が一笑に付してみせる。降り注がれる日光に当てられ、金髪の輝きがより一層増して見える。

「残念だけど、もうその程度のクレームでへこたれたりしないって」

「わかってるよ。ただ眩しく感じたから言っただけで、普通に似合ってると思うぞ。あの頃と違って。性格も髪色に追いついたし」

「そこはアンタの言う通りかも。立場が逆だったもんね、あの頃は」

 余計な言葉を滑らせてしまったかとも思ったけど、当の相手はしみじみとした口調で返事すると、特にツッコむ事もせず遠くの景色を見つめるばかり。

 それならばと、俺もまた蜃気楼揺らめく山間の遠景を見つめてから、やがてそっと目を瞑った。


 いつまでも変わらない景色だった。確かに駅前周辺は再開発などによって多少の変貌は遂げたりしたものの、ここの風景だけは、幾年経てどもほぼ不変であり普遍のまま。そう思っていた。

 一方で、俺はどうだろう。そして隣の莉はどうだろう。そもそも俺と莉の出会いって、一体どういう形だったっけ。

 小学生の頃は、いつも髪色や低身長でからかわれては泣いてばかりでいた莉。クラスメートに何か言われても言い返せず、いつも口をモゴモゴさせてばかり。

 そんな幼馴染を、ご近所ーー向かいの家に住む間柄だったクラスメートの俺が、確か見るに見かねたからだったかな、下校の道すがらでかち合う度、もっと自分に自信を持てやら言い返せるようにならなきゃダメだなどと叱咤激励を繰り返すうちに、いつしか普通に会話を交わす間柄になったのだ。つまりはなし崩し、そう言っても差し支えはないだろう。

 それが今ではどうだ。こんなイケイケで明るい、生意気に片足突っ込んだような性格に様変わりして、俺はといえば、自分で言うのも何だが、全体的に受け身な性格に丸まってしまった。


 閉じた目蓋の裏に映し出された回想を止めて、現実の山麓風景を瞳に収める。ふと山から流れて来る雲の色が鈍くなっている気がする。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」

「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし……授業で習ったなソレ、懐かしい」

「ねぇリョウ……この景色も、いつかは様変わりする日が来るのかな?」

「どうかな。少なくとも俺らが死ぬまではほぼ変わらないんじゃないか。石油が湧き出たとか、よほどの事が起きない限りは」

 正直この街含めた一帯に、何か特色やら特徴があるわけではない。

 良くも悪くも、田舎中の田舎。きっとこのまま何も変化がなければ、今の若者達は確実に都心部へと流出する。そうなれば街の人口は徐々に減少の一途を辿り、待ち受ける果ては恐らく限界集落化。そんな悲観的な未来が思い浮かばれ、首元に涼しさを感じてしまう。

「まあ、アタシ達がブランコ漕ぎながら考えたとこで、どうしようもないんだけど」

「街の未来を憂う前に、まず自分自身の将来の事で精一杯だしな。みんなそうだよ、昔から……知らんけど」

「うわ出た、責任放棄のマジックワード」

「しょうがないだろ。そんな世間を断言できるほど、偉ぶれた人間じゃないし」

「フフッ、ホント不思議。昔はあんなにあーだこーだ言い切って、引っ込み思案なアタシの事引っ張ってたのに」

 先にブランコから莉が降りる。片足は靴下のままだが、そんな事はお構いなしに柵向こうに飛ばした靴を取りに歩きだす間際。

「それがいつしか、こーんな根暗メガネに変わっちゃって。名字通り影になっちゃって」

「悪かったな、根暗メガネで」

「中学に入って、急に真面目クンに変貌だもん」

 サイドテールをふわっとなびかせながら、莉が振り向いてみせる。

 残念そうに口を尖らせて、それでも目の前の少女は微笑んでいた。

 懐かしみの色と、嬉しさとは違う何かを交ぜた、胸の苦しくなるような笑みを。

「それ言ったらお前だって、急に中学デビューして、一気にメスガキっぽくなって」

「ほほう、メスガキ……へぇ~リョウってば、アタシをそんな風に見てたんだ」

「えっ!? その単語地雷だったの!? てっきり狙って……って、あれ?」

「何をアタシの気を逸らそう、と……」

 莉もようやく気付いたのだろう、俺が言葉を止めて空を見上げた理由を。

 ついさっき目に入った山から流れてきた鈍色の雲の連なりは、他愛のない会話を重ねている間に、もくもくと分厚く且つ黒々と変色を果たしていた。

 さっきまではあんなに蒸し暑く感じられた肌に当たる風も、今では一転して冷たさすら感じる程に。やっぱりさっき首元を触れた涼しさは、気のせいでは無かったという事だ。

 ポタポタと雨粒が腕や頭に当たり始める。あっという間に分厚い雲に覆い尽くされた上空に、切れ目などは一切見当たらない。

「これってやっぱり、土砂降りになるパターン?」

「そう思うなら、全力疾走で自転車に向かうんだな!」

 お互い急いでブランコから離れて、蹴り飛ばした靴を拾い上げる。そして駐輪場目指して必死に駆け出してから程なくして頭上を雷鳴が轟き、あっという間に土砂降りとなった雨に、俺達は為す術もなく打ち晒されるのだった。


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