【3】

「へっへーんだ! わかったでしょ? 悪は最後には必ず滅びるってね」

 莉に腕をギュッと掴まれたまま、今俺はしぶしぶ駐輪場へと連行されていた。

 直射日光がもたらす茹だるような暑さのせいで、足取りは十分過ぎるほどに重い。

 前を歩く幼馴染の不遜な笑みを聞くと、ますます泥濘に捕まってしまったかのような心地だ。

「つうかあり得ないだろ、予め廊下を水浸しにしておくとか」

「早起きは三文の得。ぐっすり夢心地に アンタが悪いの。でもお陰で、上半身スースして、気分良いでしょ?」

「そうだな。お礼にほら、おんぶしてやろるよ。今の気分をお裾分け出来るぞ」

「全力でお断りします。てか何考えてんのよ、この変態」

 無理くり振り解く事だって叶わなくはない。けれども、正直そんな真似をしたところで、その先に何が起こるか概ね見当が付いてしまう。

 この暑い中で叫んで逃げてを繰り返す気力なんて、とうに残ってはいなかった。

 要するに、俺はこの低身長幼馴染のバイタリティの前に根負けしてしまったというわけだ、悔しいけど。

 テンションだだ下がりな俺と、対称的にバク上がりな莉。北風と太陽が左右に肩を並べながら昇降口を後にする。

 猛る日照りが晒した肌を容赦なく焼いていく。早く自転車に乗って移動したいのに、駐輪場までの距離が長く思えてならない。

「あっ、見えた見えた、駐輪場」

「とっととチャリ乗って、少しでもシャツを乾かしたいんだけど……って、あれ?」

 普段は無数の自転車の山でひっきりなしに敷き詰められているはずの駐輪場も、夏期補修が終わった今はすっかり閑古鳥が鳴いている。おかげでお目当てである俺の自転車はあっさり見つけられた。

 そこまではいい。問題はその自転車の状態にあった。

「おい日向、これもお前の仕業か?」

「ソレ、アタシのセリフなんだけど」

 色の籠もってない莉の返事を聞いて、声の向けた先へと視線を伸ばす。そこに見えたのは、青いフレームのシティサイクル。確かに莉がいつも登下校の際に跨っていた自転車だ。

 なのに今、その両輪のタイヤは、接地面に対して萎え萎えと潰れている。一目見てパンクとわかる状態だった。しかもよく見たら、

「……イタズラにしては、度が過ぎてねぇか?」

 風が吹く。相変わらずの暑熱を乗せた風なハズなのにどうしてだろう、すっとした涼みを感じられるのは。

「なあ日向……おい日向、聞いて――」

「アハハハハハッ!」

 心配そうに声をかけた僕の声は、幼馴染の高笑いに一蹴された。

「フフッ、何そのサドル? それどう見てもさぁ……クススッ、アハハッ!」

「笑い事じゃねぇぞマジで」

「いや笑うしかないって! というか何? サドルの代わりにズッキーニって! そこは普通ブロッコリーでしょ!」

「ブロッコリーも違うから! そもそも野菜挿す場所じゃねぇ!」

 幼馴染の爆笑の元凶となっていた黒色のシティサイクルから生えていたズッキーニを引き抜く。周りを見回してみるが、元のサドルが転がっている形跡はない。

「ったく、この状況で立ち漕ぎ縛りとか勘弁してくれよ」

「しょうがないよ。多分この暑さに頭やられちゃってるんだって」

「だな。若気の至りだと思って、笑い飛ばさないと」

 莉の言う通りだなと思い直して、無理やり鼻で笑っておく。この程度のイタズラに馬鹿正直に反応してしまう事こそ相手の思うツボだ。

「どうすんの? 探すなら手伝うけど?」

「やるだけ無駄だって。ったく、何の因果か知らないけど」

 ああ、考えるのは止め止め。暑さで参っているのに、考え事までしたら、それこそ頭が溶けてしまう。

 サドル探しを早々に断念し、ズッキーニ一本をカゴに入れてペダルに足をかける。

「ねぇ、ちょっと。アタシはどうすればいいのよ?」

「どうすればって……親にもらった脚があるじゃん」

「そこはさ、普通か弱い女子に自転車を譲らない?」

 か弱い女子を自らアピールする女子に、ロクなヤツはいない。情けない人生を送ってきた自負はあるけど、これだけは確かに言える。

 でも今は、口を真一文字に結んで、反射的に言いかけた言葉を呑み込む。理由は単純、いい加減涼めるような場所に移動したいから。それだけだ。

「後ろ空いてるだろ? ケツ痛くなるかもだけど、我慢出来るなら」

「うーん、ずぶ濡れのアンタに掴まるのもねぇ」

「自分で撒いた種だろ。何ならチェンジする? むしろ大歓迎」

「下心見え見えでキモいんですけど。この変態」

「ないない。そんな貧相な身体に性欲を掻き分けられたり……って、ちょわっ!」

「発言はよーく考えてからしようねー」

 背中を撫でるような声を発しながら、リアキャリアに跨った莉が脇腹を遠慮なしにくすぐってくる。

 コイツ、俺の弱点を知っててわざとやってるな。というか、ずぶ濡れの制服に触るの全然平気じゃないか。

「頼むから、くれぐれも漕いでる途中にソレやんなよ?」

「それはアンタが口を滑らせなければいいだけの話」

「じゃあお前もナビゲートに徹してくれ。指示には従うから」

「オッケー、それじゃあ出発進行!」

 莉の明るい合図と共に、ペダルに乗せていた足に力を込める。後ろに人を乗せている事もあって、初めこそ鈍重だった車輪の動きも、漕ぐ回数を増すごとにスムーズになっていった。

 校門を出てすぐ、通学路である二車線の県道に突き当たったところで。

「リョウ、信号渡ってそのまま真っ直ぐ行って。あの細い道」

「あっちって……まあいいけど」

 指示に従うがまま、通りから外れた一本道へと自転車を漕ぎ進めていく。

 小さい頃から過ごしてきた街だ、この時点で向かう場所の見当はついた。

「だいぶ乾いてきたんじゃない」

「おかげさまで。着替えに帰るつもりだったけど、これなら大丈夫そうかな」

「ところでさ……今アタシ、アンタの背中にくっつけてんだけど?」

「……それが?」

「当たってるんだよ!? いやむしろ、当ててるんですけど!? あえて!」

「何回やってきたよ、この二人乗りシチュエーション。ちっちゃい頃から知ってるんだ、さすがに賞味期限切れだよ」

「あーあ、これだから幼馴染は! 夢も希望もない!」

「わかったなら、大人しく風でも浴びておけ、よっ!」

 幼馴染の悲痛な嘆きを背に浴びながら、立ち漕ぎ続きのペダリングを加速させていく。

「おっ、やるじゃん! それなら、もっとスピード上げてこー! 何ならムチで打ってあげよっか?」

「馬じゃねぇぞ俺は! つうか、何つうモン忍ばせてんだよ!」

 グダグダと話しながら、田園に囲まれた小道を目一杯駆けていく。

 車も滅多に通らない一本道。視線の遥か先には、青空の下に山々の頂が威厳高らかにそびえたつ。そこから下りてきた風が吹く度に、伸び盛りな稲穂の集まりがサーッと爽やかな音を鳴らしながら、頭を揺らしていく。

 毎夏散々と見続けてきた、飽き飽きしたはずの光景。なのに今は、その風景に目を凝らさずにはいられなかった。

 だって、そう。出来る限り、少しでも。

 背後に捕まった幼馴染の感触に対する意識を逸したかったから。

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