下①
赤紙の届いた日の夕方、柴影は皆を集めた。重い雰囲気を感じ取ったのか、部屋に入るなり皆静かになった。空気が重い、声が出ない。そんな中、柴影はかすれた声を絞り出した。
「皆、疲れている中ですまない。よく集まってくれた。この空気を読んでくれればわかると思うが、良い話では無い。」
この場にいた全員の鼓動が早くなるのを感じる。それは柴影も同じだった。大きく息を吸い、勢いよく吐く。もうここまで来た。逃げることは出来ない。覚悟を声に変え、思いのままに叫んだ。
「率直に言おう。ついに我ら黄昏隊に赤紙が来てしまった。我々が呼ばれたということは戦地はかなり厳しいものだと思われる。生きて帰れるか分からない。しかし、これまで厳しい訓練をしてきた君達なら生きて帰れるはずだ。いや、生きて帰らなければならない。しかし、もしこの場で戦地に行きたくないという者がいるのなら、素直言ってくれ。その者は私がなんとしてでも行かないよう交渉しよう。」
ハアハアと息切れする柴影に鋭い目線が送られた。頼む、誰か手を挙げてくれ。いや、全員手を挙げてくれ。柴影は心からそう願っていた。しかしそこにあったのは夕焼けに焼かれる若武者達であった。そして僅かな恐怖すら許されない空間が広がっていた。永遠とも思える沈黙の後、1人が手を挙げた。手を挙げたのは、あきらだった。
「隊長、1つよろしいでしょうか」
「どうした…。」
あきらは一呼吸置いたあと、後先考えぬように一息に声を出した。
「正直、我々はこの日が来ないことを願っていました。それはこの隊に入隊した後に生まれた考え方です。入隊前、我々に希望なんてものはありませんでした。それと同時に私達は戦地にのみ生きる意味が存在すると考えていました。しかし隊長達は僕達に幸せを感じさせると共に、存在意義があるはずの戦地に行きたくないという考え方を生み出してしまいました。敵を殺せ、ひたすら進め、死ぬ事が最大の名誉である。そんな事を言われ続けた私達が、いつの日かを境に生きろと真逆のことを言われて、困惑とともに喜びを感じてしまったのです。しかし今、この瞬間で思い出しました。私達は戦地にのみ生きることが許された戦士であると。この事実は揺るがすことが出来ないと…。皆もそう思わないか。我々は戦地にのみ生きる価値を生み出すことの出来る戦士であると。」
あきらの問いかけに、皆はバラバラと頷き始めた。それを見てあきらは、目を輝かせ赤紙を掴み言った。
「これは我々の意思です。どうか受け入れてはくれませんか?」
あきらは深々と頭を下げた。それを見た柴影は開いた口を塞ぐことが出来なかった。彼らは戦地に行くことを望んでいる。それは彼らの意思であり決意である。この事実が柴影の心をきつく縛り付けた。彼にできる事はただ1つ。ゆっくりと頷くこと、それだけだった。
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その後の事は覚えていない。ただ無情に時は過ぎ、気がつけばヘルメットを片手に隊列の先頭に立っていた。そして海に浮く大きな鉄の塊に乗り込んでいたのだ。
あの日以来、柴影は黄昏隊の皆の顔を見ることが出来なかった。柴影の視界に少しでも彼らが映ると、腹の底から強い怒りを覚えるのだ。それは彼らに対してでは無い。彼らの意志を打ちくだけなかった自分に対してのものであった。なぜ止められなかった、なぜ彼らを地獄へ導かなければならないのか。その後悔が彼の心の臓を貫いて抜けることは無かった。
船旅の際、黄昏隊の皆に言葉はなかった。緊張や不安、そして微かな希望。入り交じる気持ちの中でも、隊長の好意を無げにしてしまったという罪悪感はかなり大きかった。しかし彼らの中に後悔という気持ちは無いに等しかった。いや、後悔しても遅いという諦めが彼らの中に居着いていたのだろう。彼らの見る鉄の地面は黒く汚れていた。
2日の船旅の後、彼らはある小さな島に降り立った。黄昏隊はこの地に降り立った瞬間、何も言わず現実を知った。空気に混ざる土と血の混ざった匂い。四方八方から聞こえる銃と砲弾の音。そして、曇った空に響き渡る兵士達の叫び。彼らは今ここで事実を知ったのである。習ったものは全て嘘だった。最強であると教えられた日本の兵士が無様にも喚き、死んでゆく。しかし彼らは目を背けた。ここだけだ。きっと他のところは違うのだと。そんな彼らの葛藤も気にとめず、柴影はゆっくりと歩き出した。そんな中でも柴影の顔つきは変わらなかった。むしろ船旅の最中よりもどこか生き生きしているように見えたのだ。
「基地はこっちだ。」
それ以外は何も言わなかった。鉛より重たい足をなんとか運び、やっとの思いでついた先は小さな馬小屋のような作戦基地であった。黄昏隊は愕然とした。これが我々の過ごす基地なのか。単純だが意味のわからぬ感情が彼らを襲った。
「今日はここで寝る。明日の明朝から作戦に参加するぞ。皆、体を休めたまえ。」
そういうと柴影はいち早く部屋の角に陣を取り寝てしまった。黄昏隊の皆も続々と床へ寝転ぶ。外ではまだ砲弾の音が鳴り響いている。恐怖などという甘い言葉では表すことの出来ないものが彼らの心には焼き付いていた。例えるならば何も見えない闇と言ったところだろう。しかし少年たちは必死に目を瞑り、醜い現実から逃げようと必死になった。そしていつの間にか死んだかのような深い眠りについたのである。
真夜中の2時頃、あきらは不意に目が覚めてしまい、細く目を開け部屋の角を見た。するとそこには、ぼんやりとした光の中で島の地図を睨みつける柴影の姿があった。あきらがゆっくりと立ち上がる。その瞬間、柴影は地図を見たまま、あきらに話しかけた。
「眠れないのか?」
妙に優しい口調の隊長にあきらは驚いた。
「いえ、少し目が覚めてしまっただけです。すぐに寝ます。」
そう入ったものの何故かこの場から体が動かなかった。昼間に聞こえた砲弾や兵士の叫びは聞こえない。ただ明かりによって白みを帯びた深い闇が広がっていた。
「怖いのか?」
「いいえ」
食い気味に答える。それを見た柴影はふっと微かな笑みを見せた。
「そうか。私は怖いぞ。」
「あまたの戦地を駆けてきた隊長が何をおっしゃられますか。今回も隊長により大きな手柄が上がるよう、我々は尽力します。」
堂々としたあきらの姿を見て柴影は大きくため息をついた。
「お前達は私のために命を張るのか?」
あきらは戸惑った。しかしその意志とは反して、彼の口からは言葉が流れ出ていた。。
「はい。それが最大の恩返しだと考えております。」
「そうか…。とにかく明日は朝早い。早く寝なさい。」
あきらは軽く会釈をし、床に転がった。
柴影は改めて地図を睨んだ。そしてあることを決意したのだった。
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