中
ある朝、柴影は困惑していた。いや、あの日から困惑し続けていたと言った方が正しい。
対面式の日以来、柴影達は国の用意した黄昏隊の訓練施設で寝泊まりしていた。朝日で目覚め、月明かりで眠る。そんな日々を過ごす中でも、彼らの行動に驚かされるばかりだった。
朝は起床時刻の30分前には教室で座って柴影達を待っていた。それも全員の顔に少しも眠気など感じられない。猛獣のような目をした青年達がそこにはいた。朝食を食べ終わると朝のランニングが始まる。初め、柴影は物は試しにと30分間を設定した。しかし走らせてみると、彼らの息は少しも上がっていなかったのだ。手を抜いている訳ではない。彼らは春風隊の中で一番の体力自慢と同じペースで走っていたのだから手を抜いているはずがない。いくら訓練された隊員であろうと、30分間もあのペースで走れば息は上がる。しかしそこにあったのは無表情で立つ氷のような隊員達だった。柴影が彼らをよく観察すると、少しだが足が小刻みに震えていた。彼らはやはり疲れていたのだ。しかしその事を少しも表に出さず、我らは無心の振る舞いをしていた。春風隊の隊員達は呆然と彼らを見つめた。
その後も訓練は続いた。訓練と言うより、彼らの能力を知るためのテストをやらせたのだ。体力や狙撃、さらに座学などのテストを彼らに受けさせた。結果は承知の通り、優秀という他ないだろう。全ての科目で全員がハイスコアを取ったのだ。しかし結果を記した個票を返しても彼らの顔に笑顔が浮かぶことは無かった。むしろミスをした一部の科目に涙を浮かべる者までいたのだ。柴影達はますます恐怖を覚えた。
テストの後、柴影は春風隊の隊員達を集めて会議を開いた。
「彼らはやはり優秀だ。あそこまでの技術持った部隊なら並の部隊では勝てないだろう。」
柴影の言葉に隊員達は静かにうなづいた。
「では、彼らに足りないものはなにか、皆の意見を聞きたい。」
数秒の沈黙の後、1人の隊員が手を挙げた。
「私はやはり協調性だと思います。部隊というのは集団で目的を成し遂げるものです。いわば運命共同体と言えます。しかし彼らは一人一人があまりに強く、大抵の事は一人で出来てしまう。それが裏目に出て、協力ということが苦手なのではと考えました。」
柴影はもっともだと言うように頷いた。
「私も彼の言うとおりだと思う。テストの結果を見ても、各個人の能力に対して作戦の遂行時間や異常事態に対しての対応が釣り合っていない。これは部隊として非常にまずいことだ。これを改善するため、明日から黄昏隊の隊員達との積極的なコミュニケーションを取って欲しい。また、協調性を高めるためのトレーニングも入れていくつもりだ。異議や質問はあるかな?」
隊員達は小さく首を横に振った。こうして黄昏隊強化トレーニングが決まったのだ。
次の日の朝、柴影は朝礼の1時間前に教室へ入った。そして用意していたワッペンを1枚1枚、隊員達の机に置いていった。ワッペンには名前が書かれている。これまで、彼らの呼び方が分からなかったからということもあるが、この名前というのは協調性を高めるには非常に重要なものなのだ。個人の名前には意味が伴う。そのため一人一人の特徴や性格が分かりやすくなるのだ。たかしやはると、ふみおなど、柴影は彼らの個性を元に名前を決めたのだった。そして朝礼の30分前、彼らはいつものように教室へ入ってくると、既に居た柴影に驚いたのか、腕がもげるほどの勢いで敬礼をした。柴影はぐすっと笑ってしまった。彼らの目線が柴影に集まる。目の前のワッペンには気づいていないようだ。
「みんな、おはよう。今日は私からみんなにプレゼントがある。これからは朝、それを胸につけて集合するように。また、これからは君たちをそのワッペンの呼び名で呼ぶから、承知しておいてくれ。」
彼らは静かな表情の奥に困惑の文字を並べた。ワッペンに書いてあるものが名前だということは分かる。しかし彼らはこれまで、番号以外で呼ばれたことなどない。そして名前など一生縁のないものだと考えていた。では目の前のワッペンに書かれたものはなんなのか。自分達の名前である。状況は理解できなかったが、隊長の命令は絶対なので、恐る恐るワッペンを胸に貼り付けた。柴影は満足そうに笑った。
「よしでは今日のスケジュールを発表する。朝のトレーニングの後、裏庭に集合だ。何をするかはその時言う。とりあえず、朝のトレーニングを頑張ってくれ。」
柴影はそういうと笑顔で教室を出ていった。彼らはますます困惑した。
朝のトレーニングはいつも通りのメニューだった。誰1人、疲れた様子は無い。しかし彼らの胸の中にはどこしれぬ恐怖が座り込んでいた。いつものように並んで行進していくと、裏庭からもくもくも黒い煙が立ち上っていた。私たちは隊長の逆鱗に触れ、これから焼かれてしまうのか。中にはそんなことを考える隊員までいた。恐る恐る中庭に目をやる。そこには声を上げて笑う柴影達の姿があった。
「お、来たな、訓練おつかれ。まぁ、座りな。」
彼らは困惑した。なんだろうか、この戦場とかけ離れた雰囲気は。これまでに体験したことの無い違う恐怖を感じていた。殴られることや飯を抜かれるような恐怖では無い。目の前にある状況がまるで別世界だったのだ。言い換えてみれば、朝起きたら名も知らぬ外地にいた時のようなものだろう。彼らは言われた通り用意された席に座った。
「ではこれより、コミュニケーション訓練を始める。皆飲み物を手に持って、乾杯!!」
隊長の音頭と共に春風隊の隊員達はグラスを高く掲げた。黄昏隊の皆も同じようにグラスを上げた。しかしその動きにまとまりは無く、これまでの無機物のような表情を感じさせない、強い困惑が表情に現れていた。柴影は嬉しかった。これでいいのだ。いや、こうでなければいけないのだ。困惑する彼らを見て満面の笑みを浮かべた。
コミニケーション訓練とは、言い換えると親睦会である。柴影達と黄昏隊が少しでも仲良くなれるよう、また、仲間同士の交流の場としてバーベキューを開いたのだ。そのため、春風隊の隊員達は積極的に彼らに話しかけた。あるかも分からない趣味のことを聞いたり、得意な訓練内容の話など、とにかく手当たり次第に会話を試みたのだ。最初こそ何も答えなかった彼らも、2時間もする頃には少しづつだが質問に答えるようになっていた。そして感情が出なかった彼らの顔に、うっすらとだが笑顔がこぼれていた。柴影はますます嬉しくなった。しかしただ1人、やはり一切の表情を見せない青年がいた。彼のワッペンにはあきらの文字が光っている。
「君は肉食べないのかい?」
柴影が彼に近づいた。するとあきらは勢いよく立ち上がり、
「隊長、私はあちらの方で体力トレーニングをしてまいります。」
そう言ってキビキビとした動きでその場から逃げようとしたのだ。柴影は彼を追いかけた。
「このトレーニングに意味を感じられないのかな?」
柴影の問いに彼は小さくうなづいた。
「我々は兵士です。いつか戦地へ出てお国のために命を捧げる覚悟でいます。恐れ多くも、この目的の為にあのトレーニングがなんの意味をなすのか分かりません。」
キッパリとした口調で答える彼に柴影は困惑よりも強い喜びを感じた。
「では君は食料が無くとも戦地で戦い続けられるかね?」
「戦地では常に食料は確保されていると学びました。」
これはかつての教官達による洗脳の一種だろう。戦地という恐ろしい場所に少しでも希望を持たせ、笑顔で戦場へ向かわせるための仕掛けだった。無邪気な子供への非人道的な発言に強い怒りを覚える。同時に、柴影は声を自然と粗げていた。
「いいか、よく聞け。戦地で食料が安定して手に入るなんて夢みたいな話は無い。戦場では何がおこるか分からないのだ。そんな地な君達は行くのだよ。」
「とはいえ肉は関係ないでしょう。」
「ではもし君が森の中で食糧難になったとする。その時君は何を食べるかね?」
あきらは少し考えてから口を開いた。
「動物がいればその肉を食べます。しかしいなければ昆虫などを食べます。」
「ではその時に使う火はどうするのかね?」
「マッチを使います。」
「ではマッチも使えなかったら?」
「では木の摩擦を使って火を出します。」
「それは練習済みかい?」
「いえ、一度もありません。」
柴影は呆れるような様子をして見せた。
「いいか、火を起こすのにも技術はいるのだ。その技術も持たずして火を起こそうとしても、起こるのは寒気と空腹だけだぞ。そしてだ、肉というのは加熱しなければ食べられない。仮に火があっても、生焼けの肉を食べて腹を壊すことでもあったら、それこそ戦地では邪魔者たぞ。このような訓練を開いたのは、食事のありがたみを知り、戦地でも安全な食事を取れるようにするためだ。わかったかね?」
そう言って柴影は彼を見ると、彼の目には涙が浮かんでいた。そして勢いよくその場に膝を着いた。
「申し訳ありませんでした!隊長殿のそのような考えを無視し、身勝手な行動を取ってしまったこと、心から反省します。どうかこの私に重い罰を与えてください。この隊からの除名でも構いません。どうか私に罰を!」
力強い言葉に柴影は少し圧倒されてしまった。少し考えた後、柴影は彼の肩を優しく叩いた。
「では君への罰として、今の訓練に戻ることを命ずる。そしてしっかりと成果を上げなさい。」
少し黙った後、あきらは小さく口を開けた。
「…それで良いのですか?」
「あぁ、それでいい。さっき言った君の考えも一理ある。しかしだね、戦地は君達が思うほど安定した環境では無い。そんな中にいつか入らなければならないんだ。それならひと時ぐらい楽しんでもいいんじゃないか?」
そう言って柴影は、鼻歌交じりで戻って行った。あきらも意味のわからぬ命令に困りながらも、彼の背を見ながら訓練場へと戻って行ったのだ。
その後も積極的なコミュニケーションを図る訓練を多く取り入れた。散歩やレクリエーション大会など彼らが心から笑えるようにするためのトレーニングは数ヶ月にも続いたのだ。そして、彼らの表情や行動は少しづつ変わっていった。訓練中は一心不乱に作業を全うし、休憩ともなると彼らの顔には笑顔が浮かぶようになったのだ。さらに作戦中も状況に合わせてコミュニケーションを取り合い、より効率的に作戦を実行できるようになった。春風隊の隊員達も日常的な彼らとのコミュニケーションを取るようになり、彼らは日常的に笑顔を見せるようになった。柴影は胸を撫で下ろした。かつての人形のような彼らでは作戦も上手くいくはずがない。しかし今の彼らならどんな任務にも貢献できるだろう。柴影はそう考えていた。
しかし同時に新たな心配がでてきた。入隊直後の彼らは死を恐れぬ目をしていた。しかしこの訓練によって彼らの心境に変化があり戦地へ行くのを拒んでしまうのでは無いかと考えたのだ。この心境の変化は柴影本人にとっては嬉しいものだ。平和に生きたい、死にたくないというのは人間本来の持つ当たり前の考えである。その感情こそ大事だと考える彼にとって、彼らにその感情が芽生えたことはこの上なく嬉しいものだ。しかし戦地へ行くことの出来なくなった彼らを国の奴らが許すはずがない。恐らく黄昏隊を他の隊により調教しなおさせ、再び動くマネキン人形のようにするだろう。それだけは何としても防ぎたかった。どうすればいいのか、どうすれば彼らを守れるのか。そんなことを考え続けたある日、ある届け物が送られてきた。見覚えのある赤い紙。柴影はゾッとした。1枚1枚めくっていく。丁寧なことに一人一人へ書かれている。
「ついにきてしまったか…。」
ため息混じりの声で言った。外からは何も知らない彼らの笑い声が聞こえてきた。
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