16.暴走(2/2)






……あたしは、内に溜まっていた鬱憤をすべて爆発させる勢いで、暴れまくった。椅子はぶん投げ、机は蹴飛ばし、雄叫びを教室に響き渡らせた。


こんなこと、今までなかった。毒島を殺したいほどムカつくことはあったけど、それでも「殺そう」と思うことはなかった。


でも、あの時は間違いなく、殺そうとした。このババアを殺さなきゃならないと思った。


理性だとか、合理的だとか、そういうことを考えるのは、あたしは全然得意じゃない。いつも衝動的に行動してしまうし、そんな自分を止められなくて、嫌な気持ちになることなんてたくさんある。


自分がADHDであることが、本当に嫌でたまらない。なんでこんなものを抱えて生まれてしまったんだろう。もっと中原みたいに落ち着いて話をしたり、西田みたいに優しい言葉を口に出せないんだろうか。


「あの……北川さん」


西田があたしの顔を覗き込みながら、話しかけてきた。


「具体的に、毒島先生は中原くんのことを、どんな風に言ってたの……?」


「……なんか、まず最初に、自分の入ってる部活のことについて話せ的な授業だったわけ」


「うん」


「それで……カウンセリング部について話したら、なんか………………あれ?毒島は何て言ってたっけ?」


「え?」


「よく分かんなくなった。えっと……あれ、どうだったかな……」


「……………………」


西田は、開いた口が塞がらないと言った感じで、ぽかんとしたままあたしを見ていた。


そう、あたしはいろんなことを簡単に忘れてしまう。本当に大事なことでさえも、いとも容易く頭から抜け出てしまう。そのせいで、宿題を出さなきゃ!って学校にいる内は覚えていても、家に帰るとあっさり記憶から消えてしまう。そんなことが、あたしの人生にはたくさんある。


「え、えっと……あの、なんだったっけ……。も~~~!なんであたし……いつもいつも!」


自分に対してのイラつきが抑えられなくなって、髪をぐしゃぐしゃと掻きむしる。


あたしがかろうじて覚えているのは、毒島を殺そうとしたことと……こんな風に暴れて、クラスメイトに申し訳ないっていう罪悪感だけだった。そういう感覚的なことはよく覚えているのに、具体的な言葉や文字、数字とかが全然覚えられない。


自分のダメさ加減に、またもやイライラが募る。


「だ、大丈夫大丈夫。北川さん、落ち着いて?」


「う~ん……」


「無理させちゃってごめんなさい。覚えてないなら、仕方ないよね」


「……………………」


西田に慰められて、あたしはようやく呼吸を整えることができた。


それでも、この無様な自分へのムカつきは、途方もなく終わりそうにない。


「……ねえ、北川さん」


「なに?西田」


「北川さんは、その、中原くんへの想いが、どういうものなのか分かんないって言ってたよね?」


「……うん」


「えっと、じゃあ……たとえば、中原くんとキスできるとしたら、してみたい?」


「!?」


あたしは西田から言われたもしもしの話を、リアルにその空想をした瞬間、顔が一気に熱くなった。


近づいて来る中原の顔や、唇が触れる感覚……。そんなことを一秒でも思うだけで、身体中が燃えるみたいに熱くなる。


「ムリムリムリムリ!!」


首を何回も横に振って、その妄想をかき消した。


「あたしにはムリ!そんな……あ、あたしには、そういうの似合わない!」


「そ、そうかな?そんなことないと思うけど……」


「あたしみたいな奴がそういうことやってたら!きっと笑われる!バカにされる!」


「……………………」


両手で顔を覆って、眼をぎゅっと瞑る。目蓋の裏の真っ暗闇が、あたしの前に広がる。


……その時、あたしの背中が、ほんの少しあたたかくなった。それは、手の平の感触だった。


きっとそれは、西田の手。西田があたしの背中を、優しく擦ってくれていた。


「北川さんのその気持ち……私にも、分かるよ」


「……………………」


「自分なんかが隣にいていいんだろうか?自分なんかが一緒にいたいと言っていいんだろうか?って、そんなことばかり思うよね……」


「……………………」


あたしは、ゆっくりと顔から手を離し、西田のことを見つめた。


「……西田」


「うん?」


「西田って、好きな人いるの?」


「!」


「もしかして……それ、中原?」


「いやいや!わ、私はその……何て言うか……!」


西田は、最初そのことを否定していた。苦笑混じりにあたしへそう言って、首を横に振っていた。


……でも、あたしがしばらく黙っていると、西田の表情が、苦笑だったのが切ない笑顔になって、そのまま眼を伏せてしまった。


「…………ねえ、西田」


「な、なに……?」


「あたし、今まで全然、友だちとかできたことなかった。どこに行っても居場所がなかったし、どいつもこいつもみんな嫌いだった」


「……………………」


「でもあたし……あたし……」


「……………………」


「……ああ、ダメ。全然うまく言葉にならない」


「う、ううん。大丈夫」


「……………………」


「……………………」


……そうしてあたしらの会話が途切れてしまった時に、校内でチャイムが鳴った。ちょうどこれは、放課後になったことを知らせるチャイムだった。


「……もう、今日も終わりか」


「そうだね、北川さん」


「ごめん、西田。あたしのせいで、授業休ませちゃって」


「ううん、気にしないで」


「……………………」



コンコン



部室の扉が、音を立ててノックされた。西田が「はーい」と言って答えると、扉の向こう側から声が聞こえた。


「俺だよ、中原だ。今、入っても平気かい?」


「あ、中原くん」


西田は目配せをして、あたしの反応を伺った。それを受けて、あたしは黙って頷く。


西田はあたしの様子を確認して、「いいよ、入っても平気」と、扉の向こう側にいる中原へそう言った。


そうして、ゆっくりと中原は扉を開けて、中にいるあたしたちの様子を伺った。


「北川さん、大丈夫かい?」


「……うん」


「そっか、西田さんありがとう。北川さんのために、話を聴いてくれて」


「ううん」


中原は部室の中へと入り、扉を閉める。そして、あたしの前にしゃがみこむと、言いにくそうにしながらも、こんなことをあたしへ告げた。


「北川さん、今の君になら、俺がこれから話すことを聞き入れてもらえると思う」


「……なに?」


「君は、毒島先生と激しい喧嘩をした。でも、今はとりあえず、その喧嘩に口を挟む気はない。だけど、大暴れしてクラスメイトたちをびっくりさせちゃったのは、ちょっとやりすぎだったかも知れないね」


「……………………」


「もちろん、クラスのみんなと深く親しくなる必要はない。だってクラスのメンバーなんて、ただの寄せ集めなんだから。趣味も違えば好きなものも違う。怒るポイントだって、人それぞれだ。無理して仲良くならなくてもいい」


「……………………」


「でも、それでも一応、近くにいる人間たちではある。その人たちは、今回君と毒島先生との喧嘩には、全く関係がない」


「……うん」


「自分たちの国の近くでさ、戦争している国々があるとするじゃん?その戦争の爆弾が、無関係な自分たちの国へ降ってきたら、『さすがに止めて!』ってなるでしょ?」


「……………………」


「だからもし君がよければ、クラスメイトたちへ一言、何か謝ってあげると良いかも知れないね」


中原は、あたしが傷つかないように、柔らかい言葉でそう話していた。


確かに、あたしは毒島を殺したかっただけで、クラスメイトたちのことは何も考えてなかった。暴れに暴れて、気がついた時には、辺り一面がぐちゃぐちゃだった。みんなからドン引きされてたし、気味悪がられてた。


「やだ……謝りたくない」


あたしは弱々しく、中原へそう言った。眼に涙が浮かんで、今にも溢れそうだった。


「あたし、どんな顔して謝ったらいいか、わからない。恥ずかしい。みんなの前に行きたくない」


「……………………」


「北川さん……」


西田の心配そうな声が、あたしの耳に届いた。あたしは目の下に溜まった涙を拭って、鼻をすする。


「でも……もし、あたしが謝らなかったら、中原はあたしのこと、嫌いになる……?」


「!」


滲む視界の先で、中原が困ったように顔をしかめているのが、ぼんやりと見えた。


「……嫌いになんてならないよ、北川さん」


でも、その顔は次第にほぐれて、いつも中原が見せてくれる、優しい笑顔が現れてきた。


「ほんと?」


「そうさ、嫌いになんてならない。だから心配しないで、北川さん」


「……ほんと?ほんとにほんと?」


「うん、もちろん」


「……………………」


「さっきのはあくまで、俺の意見ってだけだ。君がどうするかは、君に任せたい」


「……じゃあ、あたしがみんなに謝ったら」


「うん?」




「中原はあたしのこと、好きになる?」




……あたしは、自分でその言葉を口にしておきながら、自分で驚いていた。


なんでいきなり、そんなこと。バカ、バカバカ。また暴走してる。なんでいっつも、衝動的になっちゃうの。


「……………………」


さすがの中原や西田も、あたしの台詞には眼をまん丸にしていた。


やだ……どうしよう。もし「好きにはならない」とか言われたら。


なんか、やだ。そんなこと言われたくない。中原の口から、そんな言葉聴きたくない。


「……俺は」


中原が口を開いてあたしの言葉に答えようとした時、あたしは自分の耳を塞ぎ、「やっぱいらない!」と叫んだ。


ドッドッドッて、心臓が鳴る音が聞こえる。胸の奥が焼けるように熱い。


「い、いらない!あたし、やっぱりいい!答えなくていい!」


「そ、そっか。わかった」


中原はそう言って、ふうと安堵のため息を吐いていた。


「……えっと、北川さん。話が変わっちゃって申し訳ないんだけどさ」


「……うん」


あたしはゆっくりと耳から手を離し、中原の話を聞き入れた。


「俺ね、毒島先生のこと、他の先生に相談してみる」


「毒島のことを?」


「毒島先生は、普段から北川さんを始め、いろんな生徒に嫌味を言う。北川さんがあれほど怒るくらい、毒島先生は君を追い詰めた。必要以上に暴れた君にも、全く落ち度がないわけじゃないとは思うけど、それでも毒島先生に否がないなんて、絶対言わせない」


「……………………」


「もう俺はね、いよいよ我慢ならなくなってるんだよ」


「我慢ならない?」


「ああ。俺の大事な友だちがこれ以上傷つくのは、もう嫌なんだ。もっと早く動くべきだったって、後悔しているよ」


「……………………」


「あの先生と、きっちり戦う。俺はそのつもりだ」


中原は優しそうに微笑みつつも、その眼の奥は、ギラギラとナイフのように光っていた。








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