15.暴走(1/2)
……俺は、カウンセリング部にいる人たちが抱えている悩みについては、概ね知っているつもりだった。
西田さんが先輩に酷いことをされた境遇や、東野さんが将来の夢を諦めた心中も、当人たちから教えてもらった。
だけど、北川さんのことについては、実はまだちゃんと話を聞いたことがなかった。何か悩みがあるのは間違いないんだけど、ちゃんと本人から何の悩みなのかは聞けていなかった。
「……私は、直接本人に訊いてもいいと思うな」
隣に座る東野さんが、俺へそうアドバイスをくれた。
現在、午後の14時30分。本来は数学の時間なのだが、今日は先生がお休みで自習になっていた。
だがクラスメイトたちは雑談に花を咲かせており、ほとんど休み時間のような状態だった。なので、俺はその時間を利用して、東野さんに相談を持ちかけていたのだ。
「北川さんも、一度は話そうとしてくれてたんでしょ?なら、『その話聞こうか?』みたいなノリで聞いてもいいと思うけど」
「うーん、そうだね。確かにそれが一番かもな……。ほら、あんまりこっちが『どう?悩み聞くよ?』って言い過ぎると、北川さんにとっては逆に鬱陶しく思うかも知れないと思ってね」
「あー、それはそうかもね。北川さんは少しデリケートなところあるもんね」
「まあでも、それも含めて聴いてみる。『悩みがあるなら聞くし、何か悩んでそうだなと思ったら、声をかけてもいい?』みたいな感じで」
「うん、それがいいかもね」
右手で頬杖をつきながら、東野さんはうんうんと頷いていた。
「それにしても、なんで私、北川さんから嫌われちゃってるのかな~」
「う、うーん……なんだろうね。それもちょっと聴いてみるよ」
「まあ、はっきり嫌いだと言ってくれる方が、陰口言われるよりずっといいけどね」
「そう?」
「うん。せっかく同じ部活の仲間なんだし、ちょっとずつ仲良くなれるよう、私も努力するね」
そう言って、彼女は爽やかに笑った。
東野さんの大人な対応に、俺はただただすげえやと思う他なかった。
──その時、突然教室の入り口がガラガラッ!と勢いよく開いた。
クラス全員の視線が、その入り口に集まった。
「あ、あのー!カウンセリング部の部長って、このクラスっすか!?」
その入り口に立っていたのは、見知らぬ男子生徒だった。全速力で走ってきたのだろうか、彼はぜーはーぜーはーと息を切らし、額にたくさん汗を浮かべていた。
「部長は俺だけど……どうしたの?」
手を上げながら席を立つと、彼は焦った様子で俺にこう言った。
「す、すぐ来てほしいんすけど、いいすか!?」
「ど、どこへ?」
「一年四組なんすけど!今!あの!北川がめっちゃ暴れてて!」
「え!?」
「なんかよくわかんないんすよ!突然キレたんで!」
「き、北川っていうのは、あの北川 真理さん?」
「はい!授業中なんすけど、毒島先生に椅子をぶん投げたんすよ!」
「椅子をぶん投げた!?」
「と、とにかく!ちょっとマジで来てもらえないっすか!?」
「わ、わかった!」
俺は彼に連れられて、その一年四組へと向かった。
「待って中原くん!私も行く!」
その後ろを、東野さんがついてきていた。
(北川さん……!一体、どうしたって言うんだ!?)
脳裏に浮かぶ彼女に向かって、俺は心の中でそう叫んでいた。
「……………………」
後輩の彼に連れて来られた一年四組は、すさまじく荒らされていた。
机や椅子がいくつもなぎ倒されていて、そこら中に教科書やノート、シャーペンに消しゴム、蛍光ペンなどなど、とにかくあらゆるものが散乱していた。
生徒たちはみんな教室の隅っこにいて、ぶるぶると震えていたり、呆然としていたり、女子生徒に至っては泣いている者も何人かいた。
……そんな混沌とした教室のど真ん中に、北川さんは立っていた。
赤い眼に、溢れんばかりの涙を浮かべていた。まだ興奮冷めやらぬ様子なのか、鼻息は荒く、握られた拳は小刻みに震えていた。
「……北川さん」
俺が教室の中に入り、おそるおそる彼女へ声をかけた。
俺が来たことに気がついた彼女は、一旦俺の方へ視線を向けた。けれど、何を思ったのか、またぷいっと顔を背けて、散乱した床をじっと睨んでいた。
「……北川さん、どうしたの?」
「……………………」
「何があったの?良かったら……話してもらえないか?」
「……………………」
北川さんはうつむいたまま、小さな声でこう言った。
「……怒られるから、やだ」
「……………………」
彼女の声は、かなり掠れていた。その掠れ方は、何度も大声を張り上げた後にくる掠れ方であることに、俺はうっすらと勘づいていた。
俺は一回彼女に背を向けて、俺を呼んだ男子生徒に尋ねてみた。
「なぜ、俺をここへ呼んだんだ?」
「いや、その、北川ってクラスの誰とも仲良くないんすけど、カウンセリング部の人らとだけは仲良さげにしてるの、見たことあったから……」
「……それで、部の責任者である俺が呼ばれたと」
「は、はい」
「……………………」
俺はまた彼女へ顔を向けて、ゆっくりと話しかけた。
「……北川さん、場所を変えよう。ここじゃ君も落ち着かないだろう?」
「……………………」
「怪我はない?もし怪我をしてるなら、保険室とかどう?」
彼女は黙って、首を横に振った。
「なら、どこがいい?君が落ち着けるところへ行こう」
「……………………」
「……あ、そうだ。部室はどうだい?カウンセリング部の部室」
「……………………」
鼻をすすり、肩を動かすほどに大きな呼吸をしながら、静かに頷いた。
「よし、じゃあ部室に行こう。東野さんごめん、俺は今から北川さんを部室に連れて行って、事情を聴いてみる。だからしばらく俺は、授業に出られないかも知れない。そのことを先生方へ伝えてもらえるとありがたい」
「うん、分かった」
「それから、もし何かあったら、部室へ訪ねる前に、俺へ電話をかけてほしい」
「うん、了解」
「ありがとう」
諸々を彼女へ託した俺は、うつむく北川さんを連れて、部室へと歩いていった。
「……さ、北川さん。君の好きなおしるこを買ってきたよ」
そう言って俺は、机の上に自販機で買ってきたおしるこの缶を置いた。
北川さんはそれを手に取って、ゆっくりとふたを開けた。でも、一口も口にすることなく、ただ開けただけでそのまま彼女は固まっていた。
「……北川さん、君にさっき事情を尋ねた時、『怒られるから話したくない』と、そう言ったね?」
「……………………」
「確かに、自分が良くないことをした時は、人に話すのは難しいかも知れない。でも、自分の気持ちを話さないでいるのも、苦しくないかい?」
「……………………」
「俺は君が暴れたことを、責めるつもりはない。ただ、どうしたんだろう?って、心配なだけだ」
「……………………」
「俺を呼んだ人が言っていたんだけど、毒島先生に椅子を投げたみたいだね?またあの先生に嫌なことを言われたのかい?」
「……………………」
「……もし俺に話すのが難しければ、他の人を呼ぶけど、どうする?」
「……………………」
北川さんは、じっと手元にあるおしるこを凝視するばかりで、俺に返事をしてくれることはなかった。
どうしたものか困っていたところに、俺のスマホに着信が入った。
「ごめん北川さん、ちょっと出てくる」
彼女に一言断りを入れ、部室を一旦出てから、その電話を受けた。
「はい、もしもし」
『あ、中原くん。東野だけど、今大丈夫?』
「どうかしたの?」
『あのね、他の先生たちがね、北川さんに会わせてほしいって言ってるの』
「いや、できることならそれは止めてもらいたい。今、変に北川さんを刺激するのはよくない。北川さんが落ち着いて話せる相手だけ、そばにいるのがいいと思う」
『そうだよね……。私もそう言ったんだけど、なかなか納得してもらえなくて……』
「わかった。先生、そこにいる?電話を代わってもらっていい?」
『うん、ちょっと待ってて』
「……………………」
『……もしもし、中原くんっていうのは君か?』
「……あなたは、確か石橋先生ですね。一年四組の担任をされている」
『ああ、そうだ』
「北川さんは今、精神的に不安定な状態です。彼女が安心して自分の気持ちを話せる相手だけが、彼女のそばにいるべきだと考えています」
『中原くん、今は授業中だ。君もクラスに戻って授業を受けなさい。北川さんは俺が引き継ぐから』
「では先生、また北川さんが暴れてもいいとおっしゃるのですね?彼女の心を追い詰めてもいいと」
『そうは言ってない。ただ、君たち生徒で解決する必要はないというだけだ。ここは大人に任せておきなさい』
「それを決めるのは、北川さんです。北川さんが誰を頼りたいのか、それを確認しないことには先生へ引き継げません」
『授業中に勝手な行動をするのは、よくないと思うが』
「俺の前にまず、毒島先生へそのことを話してはどうですか?あの人は授業中であるにも関わらず、生徒を必要以上に叱責し、大事な授業の時間を潰しています。これは“勝手な行動”にはならないんですか?」
『……中原くん、後輩を気にかけたい気持ちは分かるが、それでも限度がある。授業に戻りなさい』
「勉強なら、後からいくらでもできます。取り返しがつくことなんです。でも、今ここで北川さんの気持ちを蔑ろにしたら、取り返しがつかないことが起きるかも知れない。どっちが合理的かは明白ですよね?」
『……………………』
「先生、俺に少し時間をください。今の彼女は、俺の言葉はとりあえず聞き入れてくれます。だから今の内に、北川さんが誰になら自分の気持ちを話せるか聞き出します。それが石橋先生だったなら、先生へ引き継ぎます。それ以外の人であったならその人へ、そして俺だったなら、俺がそのまま引き続き彼女の話を聞きます。それが、事態をおさめるためには一番手短な方法でしょう?」
『……………………』
「先生にとって最も大事なことは、この事態をいかに早く終わらせるか……そうですよね?早く終わらせる方法があるなら、生徒だろうと先生だろうと関係なく、この一件に協力すべきですよね?これを断る合理的な理由は、先生にはないはずだ」
『……わかった、そこまで言うなら、君に任せる』
「!」
『北川さんが誰になら落ち着いて話せるか、それが分かったら俺にも教えるように』
「……了解しました。石橋先生の方は、毒島先生から状況を詳しく聴いてみてください。二人の証言を合わせて、事実を照らし合わせましょう」
『わかった。それじゃあ、また東野さんに代わろう』
「……………………」
『あ、もしもし?ごめんね中原くん、先生を説得してくれて』
「いや、いいんだ。とりあえず俺は、しばらく北川さんのそばにいるよ。何かあったら、また連絡してほしい」
『うん、ありがとう』
そうして、彼女からの電話は切れた。
俺はスマホをポケットに入れて、また部室へと戻る。
「遅れてごめんよ、北川さん」
「……………………」
「君の気持ちを、急かしてしまうのはすごく申し訳ないんだけど、誰になら……君が今日毒島先生へ怒った理由を、話すことができる?」
「……………………」
彼女は相変わらず、じっと貝のように押し黙っていた。
頬には涙の跡がついていて、目元もなんだか腫れていた。
俺もこれ以上急かすのはよくないと判断して、それからは何も言わなかった。
……しーんと、何の音もない静かな時間が、何分か過ぎていった。
彼女が何を考えているのか、俺にはまだわからない。だが、少なくとも彼女は「自分でも悪いことをした」と自覚していることではあるのだ。
でなければ、「怒られるから話したくない」って言葉は出てこない。
「……………………」
……彼女の言葉を待ってから、おおよそ二十分ほどした頃。北川さんはぼそりと、ある人の名前を口にした。
「…………西田を」
「え?」
「西田を、呼んでほしい」
「西田さんを?」
「……………………」
「……彼女になら、話すことができるんだね?」
北川さんはこくんと、静かに頷いた。
……中原くんが私のクラスを尋ねにきたのは、授業と授業の間にある休み時間の時だった。
「すみません、西田さんいますか?」
そう言って彼は教室の扉を開け、中を覗き込んでいた。
すぐに席から立ち上がって、彼のそばに駆け寄った私は、「どうしたの?」と彼に告げた。
「申し訳ないんだけど、至急カウンセリング部の部室へ来てもらえないかな?」
「え?カウンセリング部に?」
「北川さんが今、ちょっと大変なことになっててね」
中原くんから事の顛末を聞いた私は、驚きのあまり「えっ!?」と声を張り上げてしまった。
「北川さんが……教室で暴れた?」
「なんで癇癪を起こしたかは、北川さんは話してくれないんだ。西田さんにしか話したくないんだと」
「わ、私に……」
「西田さん、授業が始まる前で申し訳ないんだけど、良ければ彼女のそばにいてやってもらえないかな?」
「……………………」
「何が彼女の逆鱗に触れたのかはわからない。でも、このまま北川さんを放っておくわけにはいかないと思って」
「……………………」
……授業を欠席するのって大丈夫だろうか?と、そんなことが頭を過ったけれど、私は中原くんの問いかけには、「うん」と言って了承していた。
北川さんが私にしか話せないと言うなら、私が聴くしかない。そう思ったから。
「……あの、北川さん。私だよ、西田だよ」
カウンセリング部の扉の前へとやって来た私は、扉越しに彼女へ声をかけてみた。
だけど、中からは返事がない。
「……えと、とりあえず、中に入るね?」
そうして扉を開けて、部室へと入った私は、北川さんと目があった。
彼女の目は、なんだか不思議な切なさを含んでいた。すごく寂しそうにも感じるし、すごく悲しそうにも感じる。
「……北川さん」
「……………………」
私はとりあえず彼女の隣に座って、少しずつ話をしてみることにした。
「事情は、中原くんから聞いたよ」
「……………………」
「私で良ければ、北川さんのお話聴くけど……一体、どうしたの?」
「……………………」
北川さんはもじもじと恥ずかしそうにしながら、本当に……耳をすまさないといけないくらいに小さな声で、こう言った。
「……中原のことを、バカにされたから」
「……え?」
私がそう聞き返すと、北川さんは私の方へと眼を向けた。
「……毒島が、中原のことバカにした。だから、許せなかった」
「……………………」
「こんなこと、中原に言えない。怒られると思うし……それに、恥ずかしい」
「……………………」
思いもよらない返答に、私は思わず固まってしまった。
「……ねえ、西田」
「な、なに?」
「西田は恋をしたこと、ある?」
「恋……?」
「あたし、中原だけは、そばにいても大丈夫な男子」
「……………………」
「今日、中原のことをバカにされて、すごくいやだと思った。自分がバカにされるより、ずっとずっといやだと思った」
「……………………」
「ねえ、西田。あたしどうしたらいい?自分で自分が、よくわからない。自分の気持ちが恋なのか何なのか、全然わからない」
「北川さん……」
「西田、あたし……あたし……」
──おかしくなっちゃったのかな?と、そう北川さんは呟きながら、小さな涙を流していた。
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