第2話 先輩、お借りします

 バレンタインデー。


 それは俺、大神士狼の日常が地獄絵図へとミラクル☆チェンジする、悪魔のような狂った日の名称だ。


 鏡の前でいつも以上に身だしなみに気をつかっている弟を、遠巻きに見守る姉ちゃんの不愉快極まりない生温かい視線。


 チョコを貰った男たちが放つ優越感に押し潰されそうになりながら帰宅すれば、貰ったチョコの数を無神経に聞いてくる、母ちゃんのナイフよりも鋭利な質問。


 そして今、自分がこうして1人部屋でダラダラしているときも、俺の大好きなあのはクラスメイトのアイツと……そんな風に考えて身悶えする己の情けなさ。


 そんなまともな精神なら気が狂いそうになる状況でも、穢れを知らない中学時代の俺だったら、




『はっはーん? さてはバレンタインデーにチョコをくれる女の子が居ないこの状況は、いずれ真に愛する女の子と結ばれたときの喜びを何倍、いや何百倍にまで跳ね上げさせるための神様が俺に課した試練に違いない!』




 とか、バカ・ノンストップな事をのたまっていたコトだろうが……今年の俺は違う。


 いや、理解したという方が適切かもしれない。


 そう、バレンタインデーにチョコを貰うなんぞ、フィクションの世界だけの話なのだ。


 ドキドキ☆ も、ワクワク♪ も、クソもない。


 何なら去年のバレンタインデーが終わった次の日には、もう悟ったくらいだ。


 来年もないな……と。


 結局、去年は一縷いちるの希望を賭けて放課後、教室に残る男子生徒や、何度も狂ったように下駄箱にチョコが入っていないか確認するアマゾン達の脇を抜けて、何ら躊躇ためらいなく家に帰ってやったのを覚えている。


 その迷いのないスピーディーかつ迅速な行動はきっと、見る者すべてに1940年のナチスドイツのフランス侵攻を彷彿ほうふつとさせたに違いない。


 こう言ったら語弊ごへいがあるかもしれないが、別に俺が『諦めがいい』からさっさと帰れたとか、そういうワケではない。


 むしろ足掻あがいたさ。


 この世に生を受けて17年と5カ月。


 しこたま足掻き、苦しみ、苦汁を舐め続けてきたさ。


 その結果、俺は悟ったね。


 今さら、どこぞのクソラノベのラブコメよろしく、いきなり美少女が俺に惚れることもなければ、簡単に股も開かない。


 貞操観念がゆるっゆる♪ の頭お花畑の女の子たちが迫ってくることなど、まず無い事くらい、さすがに分かる。


 もうガキじゃないんだ。


 荒唐無稽な夢想を将来のビジョンだと信じ、それにすがる時間はもう終わったのだ。


 そう、終わったハズだったのだが……




「どったし、シロパイ? そんなにジロジロとウチの顔を見て?」




 キョトン? と、可愛らしく首を傾げる我がプチデビル後輩。


 それは俺が生徒会室で反省文をしたためた、次の日の放課後に起こった。


 お昼休み。いきなりラインで我が愛しのラブリー☆キ●ガイな後輩に呼び出された俺は、彼女との逢瀬おうせの際に頻繁に仕様する例の空き教室へとやって来ていた。


 そこで俺は、プレゼントと称して彼女から差し出された謎の物体Xをマジマジと凝視しながら、意味が分からず大和田ちゃんに問い返していた。




「あの、大和田ちゃん? つかぬ事をお聞きしますが……このタッパ―に入っている黒い物体は、一体なんでしょうか?」

「もちろんチョコに決まってんっしょ?」




 何を言ってるし? と、さも当然のようにそう口にする後輩に、さらに俺の優秀な頭脳は混乱してしまう。


 チョコ、CHOKO、ちょこ……えっ?




「えっ、チョコッ!? ウソっ! なんでチョコっ!?」

「いや嘘じゃないし。驚き過ぎっしょ」




 大和田ちゃんから受け取ったタッパ―が、小刻みに震える。


 大神士狼史上、はじめて女の子からチョコを頂くという、ファンタスティックな現状を前に、脳が許容限界値をアッサリと超えてしまう。


 お、女の子からチョコ……だと!?


 俺はいつからフィクションの世界の住人になったというんだ!?


 驚きと興奮からひざまずきそうになるひざを必死に叱責に、なんとかいつものクールで知的なナイスガイな先輩を装う。


 そんな俺を見て、プリティ☆キュートである大和田ちゃんが、苦笑を浮かべながら、こう言った。




「ほらシロパイ、昨日言ってたじゃん?『女の子からチョコを貰ったことがない』的なコトをさ。だからさ? バレンタインデーにはちょっと早いけど、ソレあげる」

「お、大和田ちゃん……」




 はにかみながら「えへへ……」と微笑む我が愛しのプチデビル後輩を前に、思わずキュン♪ と俺の胸が高鳴った。


 えっ? 何なの、この子?


 可愛すぎない?


 というか、本当にこの子は俺の知っている『大和田信菜』ちゃんなのだろうか?


 いやだってさ?


 普段の彼女がくれるモノと言ったら、ほんの少しの幸せの他には、暴虐の限りなんだぜ?


 果たしてこの子は本当に俺の未来の妹、大和田信菜ちゃんなのだろうか?




「いや本物だし、疑い過ぎっしょ?」

「なっ!? ば、バカなっ!? 俺の思考を読んだだと!? ま、まさかスタンド使つか――」

「違うから。普通に口に出てただけだから。というかシロパイ、要らないの、チョコ?」

「ッ!? い、いるいるいるいるっ! メッチャいるよ! ありがとう大和田ちゃん! コレは未来永劫、大神家の家宝として大事に奉(たてまつ)るね!」

「いや、せっかく作ったんだから食べろや。つぅか味の方が気になるから、今食べてくれると嬉しいんだけど?」




『わたしを食・べ・て♪』と言わんばかりに頬を桃色に染め、俺を見上げてくる大和田ちゃんに、「かしこま♪」と横ピースを浮かべて返答する。


 俺はさっそくタッパ―の中から1粒チョコを取り出すなり、彼女の見ている前で頬……おや?


 今、大和田ちゃんが一瞬、2年A組の男共カスどもが浮かべる、あの下心満載のネットリ♪ とした嫌な笑みを浮かべたような?


 ……気のせいかな?


 うん、気のせいだな!


 マイ☆プリティエンジェルである大和田ちゃんが、そんな顔をするワケないし!


 そう結論つけた俺は、ポイッ! と口の中に彼女お手製のチョコを放り込み、コロコロ♪ と溶かすように、ゆっくりと味わった。




「どう、シロパイ?」

「なるほど、この疲れた肉体にじんわり♪ と染みこむ、糖分の優しい味わい。それでいて、中から飛び出してくるのは、やけに粘液性のあるドロリッ! とした謎の液体が、このチョコに不思議なアクセントを与え、口内をこれでもかと蹂躙じゅうりんし……うん? 粘液性のある謎の液体……?」




 なんだろう、この液体?


 甘くもなければ、美味しくない。


 なんというか、ケミカルな味?


 訳が分からず、その妙にドロリッ! とした液体を嚥下した、その瞬間。




 ――俺の身体が超高速で縮み出した。



 

 えぇっ。ヤリやがりましたよ、この女……。


 俺は小さくなった身体のまま「シャァッ!」と大きくガッツポーズを浮かべる我がプリティ☆キ●ガイな後輩の顔を見上げつつ、ニッコリ❤ と微笑んだ。




「さて大和田ちゃん? 言い訳を聞こうか?」

「ゴメン、シロパイ。どうしても、もう1度だけシロパイのその姿が見たかったんだ。悪いとは思ってる。でも反省はしていない」




 ムラムラしてやった、今では反芻はんすうしている。


 悪びれた様子もなく、乙女がしてはいけないとろけきった表情で俺を見下ろす、大和田ちゃん。


 位置的に彼女のパンツが見えそうで見えない、そんなもどかしさを覚えている俺に対して、大和田ちゃんは何故か持って来ていたボストンバックの中を、ガソゴソと漁り始めた。




「おいおい、どうすんだ? 俺、この後も授業があるんだけど? って、なにやってんの大和田ちゃん?」

「ちょっと待つし。……実はシロパイへのプレゼントは、コレだけじゃないんだ!」




 そう言って大和田ちゃんが「ジャジャーンッ!」と効果音を口ずさみながら、ボストンバックの中から幼稚園児たちがよく着るスモッグを取り出してみせた。


 おっとぉ?


 急に犯罪の臭いが立ちこめてきたぞぉ?


 俺は瞳にハートマークを浮かべた後輩から、距離を取ろうとするのだが……。




「逃がさないっしょ!」




 ガシッ!


 一瞬で彼女に確保されてしまう。


 スモッグ、5歳児、幼児化した俺、暴走中の大和田ちゃん。


 とくれば、もう考えられるコトは1つだけだった。


 未来予知に近い精度で数秒後の自分の姿を悟った俺に対して、大和田ちゃんはワキワキ❤ と両手の触手を動かし、楽しそうにこう言った。言ってしまった。




「――さぁシロパイっ! お着替えしましょうねぇ~♪」

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