第9話
まとまった作戦の概要は、一緒に登校して誤解を解くという無難な線に落ち着いた。
以下、間部談。
『ココはヘンに奇をてらわネーほーがイー。今回は手握ってンの見られただけで、まだハートに矢は残ってンはずだからナ。キョーダイがしっかりセーシンセーイ説明すりゃ雨降って地かたまンヨ』
ハートに矢だの、何故手を握っていただけで顔面を餡まみれにされられにゃならんのかなどいくらか疑問は残ったが、間部カスタマーセンターの一回目の仕事ぶりを買い、盲目的に従うことにした。
というわけで、俺は朝も早よから斉藤さん宅の門前でウロウロしながら待ちぼうけているわけだが。
「遅ぇ……」
待てど暮らせど出てきやしねぇ。
舌打ちし、俺は早くも五本目のエアタバコを靴で踏み消す。
そういえば忘れていた。毎朝規則正しく予鈴一〇分前に登校する生徒の鑑である俺と違い、奴はいつも遅刻スレスレに息せき切って滑り込んでくる手の施しようのない問題児だった。
これでは俺も同じ穴のムジナになってしまう。
いっそインターホンを鳴らして呼び出すか。
と、伸ばしかけた指を止める。
いや待て。
それだとあたかも俺が一緒に登校したがっているとエリに誤解されてしまいかねないではないか。
健全な青少年である俺は、あくまで家の前にエロ本が落ちてないか逐一チェックすることを怠らない見上げたドスケベ野郎なだけで、エリの奴とはその途中でたまたま鉢合わせとなり、
「あ、行っとく?」
的なノリで一緒に登校してやることも吝かじゃないだけである。
フン、まったく自意識過剰な女だ。
さーて、どっかに緊縛デブ熟女獣姦寝取られものとかアウトローいっぱいからボール一〇〇個分くらい外れたえげつないブツ落ちてないかなー。
俺が両手で双眼鏡を作りながら家の正面の道を行ったり来たりしていると、
「きゃっ」
突如曲がり角から飛び出してきた人影と出会い頭に衝突した。
体重の軽かったソイツは一方的に弾き飛ばされ、地面にトーストと一緒に転がる。
「オイ、大丈夫か。ちゃんと前見て歩かないと危ないぞ」
俺が親切に声を掛けると、
「アイタタ……ちょっとアンタね、一体どこに目つけて歩いてんのよ!」
「は?」
そのトースト女はキッと気の強そうな眼で俺を睨みつけ、犬歯を剥き出しにし、今にも胸をドラミングしそうな勢いで食ってかかってくる。
このアマ、人がせっかく心配してやってるってのに偉そうに。
ならばこちらも容赦はしまい。俺はエンカウントしてきたエネミーに対し、瞬時に撃墜モードに入る。
「いきなりなんだコイツ檻からバナナに。あ、わかんねぇかお前ゴリラだから。今のは藪から棒にっていう人間界で用いられる慣用句を類人猿用にアレンジした高級言語だ。ほら、藪が檻になってて棒がバナナに変わってんだろ? わかんねぇかお前ゴリラだから。ちなみに、こことここについてんのがお目々さんで、その上にあるゲジゲジした毛虫激似なのが眉毛さん、ど真ん中に我が物顔で居座って青天井に立ち退き料を吊り上げてきそうなスペースシャトルがお鼻さんだ。これで理解できたかゴリラウーマン」
二の句が継げぬようまくし立てると、ゴリラウーマンは眼をしばたたかせ、頭上からシュポーッと蒸気を立てた。
「ちょっと、誰がゴリラウーマンよ! あたしには北上あさみって名前があんの! いいからボサッと突っ立ってないで手くらい貸しなさい! ほんっっっと男のくせして気が利かないんだから……」
「朝からウホウホうっせぇゴリラだな。テメェのその股から二本生えてる大根足はただの大根かよ。あれ、よく見たらその大根ニョロニョロ毛生えてね? すげー太さまで忠実に本物再現してんじゃん。なんならもうネイティブの大根より大根してんじゃん。自分自身大根になりきる大根農家はだしの大根愛に惜しみない拍手とリスペクトの念を隠しきれねぇわ。ゴリラと大根の二階級制覇とか前人未到すぎて頭下がりっぱなしだわ。マジ大名行列」
「ムキー! 失礼なことばっかり好き放題言ってくれちゃって! アンタみたいな最低男、生まれて初めてだわ!」
「おーおー、そりゃ身に余る光栄だわ。俺もテメェみてーな人語を話す類人猿に会ったのは昨日ぶりだからサイン貰って子々孫々の家宝にしなきゃな」
俺たちは同時に「フン!」と顔を背ける。
やがてゴリラウーマンはウッホリと立ち上がり、腕時計を見て叫ぶ。
「あーっ、もうこんな時間!? 見なさい! アンタなんかに付き合ってたせいで転校初日から遅刻しちゃうじゃない! どうしてくれんのよ!」
「知らねぇよカス。学校どころかうっかり極楽浄土までご覧のスポンサーの提供でお送りされたくなかったらさっさと失せろっての。はいシッシッ」
手を振って追い払うと、ゴリラウーマンは「ぐぬぬぬ」と呻き、
「覚えてなさいよ! 次会ったらタダじゃおかないんだからね!」
負け犬ならぬ負けゴリラの遠鳴きを残し、トーストを咥え直すや、
「遅刻遅刻~!」
と走り去っていった。
「ん?」
嵐が去ったあと、俺は地面に落ちていた何かに気づく。
拾ってみると、どうやらゴリラウーマンが落としていったらしい学生証だった。
もはや顔も合わせたくない相手ではあったが、流石に捨てるのは気が引け、俺はそれをおもむろにポケットにしまっておく。
「ったく、オモシレー女」
そうため息まじりに呟き、踵を返すと、目の前にエリが立っていた。
「ウヒィ!」
腰を抜かす。
「お、おまっ、い、いるならいるって言えよ。ちょっとあられもない声上げちゃったじゃねぇか。あ、ヤバイヤバイ。どう考えても心臓が刻んじゃ駄目なテンポのビートを刻んでる。今ならハツカネズミにも勝てそう。いや、それは置いといて、いつからそこにいたん?」
「檻からバナナにってとこから」
ほぼほぼノーカット版じゃねぇか。
「あのよ、ずっと聞いてたならもっと早く声かけろな? そうすりゃ俺もあんな江戸時代にタイムスリップしたらコンマ一秒で切り捨て御免待ったなしの狂犬もとい狂ゴリラに噛みつかれず済んだってのに」
するとエリは微笑み、
「あはは、いやーだって、お楽しみのとこを邪魔しちゃ悪いっしょ?」
「アアン?」
俺は意味がわからずメンチを切る。
「良かったねー、昨日の今日で性懲りもなくヒトん家の目と鼻の先でまたかわいいコとイチャコライチャコラ見せつけるみたくドラマチックにお知り合いになれて。マジ超モテ期きてんねー」
にっこり。
よしよし、機嫌は良さそうだ。
見ろ、このはち切れんばかりの満面の笑顔。こんなにションベンちびりそうになったのは生まれて初めてだ。
「いやいや、なんか誤解してね? 昨日もそうだけどさっきのも一方的に絡まれただけだかんな、マジで。試しに自白剤打ってみ? 『あへあへ~おいらむじつだぴょ――ん』っつーからさ、多分」
「へー、ふーん、それにしては随分仲良さそうだったけどなー。あーんな息ぴったしな夫婦漫才して、もう出逢って即効ツーとカーって感じ?」
冷や汗をダラダラ流しながら抗弁する俺に、エリは的はずれも甚だしいことを言いだした。
「は? オイオイ何を言うかと思えば、あの言葉のデンプシーロール合戦をどうコペルニクス的転回したらんな答えが導き出されんだよ。カント先生も草葉の陰でカ・カ・カントの大爆笑だっつーの。大体誰のために俺がこんなとこでわざわざ――ってオイ、何処行くんだコラ」
勝手に話を打ち切って歩き始めたエリを追いかける。
「待てっての」
その肩に手を置こうとした瞬間、
エリはくるっと振り返り――
「この色キ○ガイ!!」
伏字なしではお見せできない大音声を吐き捨て、足早にその場を立ち去っていく。
俺が遅刻したのは言うまでもない。
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