第7話

 というわけで、俺たちは甘いものを食べに街外れにある広場に来た。


 ………………………………………………………………ホワイ?


「どしたの? 変な顔して」


 首を直角に倒したままの俺を、エリが不思議そうに見つめる。


「いや……」


 てっきりメインストリートでボッタクリ価格の新作スイーツでも奢らされるのだと思い内心ヒヤヒヤしていたので、肩透かし以上に状況がまず理解できない。


「はっ」


 コイツまさか、自分の故郷で迷子に……!?

 心配になり俺は質問してみる。


「ここはどこ?」

「二之舞広場」

「わたしはだれ?」

「桜木正義」


 ウソ……童貞?


「よし、脳は正常そうだな」


 ひとまず胸をなでおろす。


「なんの話?」

「いや、こんなどう見ても平凡なたい焼き屋の屋台しかないとこに連れてこられるとは思わんくて、つい」

「たい焼きだって美味しいよ?」

「そりゃ不味いたい焼き屋があったらお目にかかってみてぇけどよ。どうせならもっと高いとこでも……というのは完全なる言葉のあやだが、本当に良いんだなここで?」

「いーの。だってそのほーが、いっぱいおしゃべり出来るし……」


 尻すぼみ気味に言うエリに、そういうもんかと俺はわかったようなわからんような気分で頷く。


「じゃあ、どっかに座りながら食うとすっか」

「うん、だね」

「作業分担だ。俺が席取っとくから、二人前買ってきてくれ」


 言って金を渡す。


「りょ!」


 駆け出しかけ、振り向く。


「あ、そだ。正義はつぶあんとカスタードどっちにする?」

「んなもん愚問よ。日本人ならつぶあん一択だべ?」


 なんかちょっと間部の口調が感染ってる気がする。


「だよね~!」


 嬉しそうに屋台に走っていく。

 そのケツからはブンブンと振られる尻尾まで見えそうだ。フン、かわいい奴め。

 ……ん?

 …………あ、いや、違う。今のなし。ノーカン。ちょっと口が滑っただけ。いや滑ってもない。間違えた。かわいくない。毛ほどもかわいくない。むしろキモい。キモかわいい。ん……んん?


「っと、そうだ。俺は席を確保しないと」


 かぶりを振って謎の邪念を追い払い、広場内を見回す。

 ――と。


「ンダ?」


 自然と声が低まる。

 原因は視線の先。

 少し離れた場所に空いてるベンチを見つけたと思ったら、ちょうどその手前で男三人組と女一人が乳繰り合っていたのである。

 しかも事もあろうに近づいてみると、


「なぁいいじゃん。オレラと遊ぼうよ」

「や、やめてください……!」


 なんてイヤよイヤよも好きのうちプレイに興じてやがる。


「チッ、こんなとこで盛りやがって」


 さしもの春風駘蕩が服を着ているようなと形容されがちなこの俺も舌打ちを禁じ得ない。

 羨ましい……じゃなくてはた迷惑な連中め。お茶の間が冷え込むからそういうのはガキの目につかない場所でやれっつーの。

 しかもよりによって俺の目の前で堂々と野外4Pなんて高等プレイに及ぼうなど、断じて見過ごしておけない。

 ついついお茶の間の平和を願う俺の中の熱き正義感がうずき、つかつかと歩み寄る。

 クックック、中止させるのは無理であっても、せめて割り込んでちょびっと気まずい空気にしてくれる。

 ……別に妬んでるとかじゃなくてね?


「はいはい、ちょっくらゴメンなすって」


 そいつらの真ん中に腕を突っ込み、平泳ぎの要領で掻き分ける。

 上手い具合に二対二で分ける手筈が、手違いで女一、男三の割合になってしまったものの、まぁ、さして問題あるまい。

 よし、無事溜飲が下がった。

 水を差してすっきりした俺は空いたベンチにどっかり腰掛け、脚を組んでだらりーんとエリを待つ。

 お、そうだ、待ってる間ウォーリーでも捜すか。

 そう思い立ち、いつもいつも『地獄』の妨害に遭い、まともに探すことのできないあの眼鏡帽子を今日こそひっ捕らえるべく、地面に置いた鞄へと手を伸ばす。


「ねぇねぇボク」

「ん?」


 不意に頭上から気色の悪い猫なで声が降ってきた。

 たい焼きを買って帰って来たエリのものにしてはいやに声が野太い。というか完全に男のそれだ。

 男が俺を「ボク」と呼び猫なで声で話しかけている。

 つまりそれは何を意味するのか。

 そう、人違いである。

 第一俺はボクなんて名前ではない。

 というわけで俺は構わず、大型本を開いて捜索を開始する。


「オイ、シカトしてんじゃねーよ、イキリクソジャリ」

「ボクチン何? ヒーローなの? 見参しちゃったの? ヒューッ、カックイー」

「テメ、まさかオレらの邪魔しといてただで帰れると思ってねーよな? 聞いてんのか、あアーン?」


 あまりに喧しいんで顔を上げると、さっきの連中が俺を見下ろしていた。

 なんだこいつら、在野の『地獄』か?


「やれやれ……」


 どうやら『地獄』はいたる所に遍在し、どうあっても俺とウォーリーのイタチごっこを邪魔したいらしい。

 俺は深々とため息を吐き、


「あー聞いてる聞いてる。聞こえすぎてうっせーたらねーわタコ。ちっとも集中できねぇだろが。いい? これ買ってからもう一週間一問目のウォーリーさん行方知れずなの。これまで数々の節穴どもを相手にしてきたウォーリーさんだって流石に『え、そこで?』ってなんだろ。解ったら三秒以内に消えてください。お願いします。さもねぇと俺がお誕生日感覚でテメェらの命の灯火吹き消しちゃうぞコンチクショウ」


 本を裏拳でコツコツ叩きながら可能な限り平身低頭し、慎重に言葉を選んで説得を試みる。

 だが、残念ながら人語を解さない類人猿約一匹が飛びかかってきた。


「わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇぞガキが!」

「オ?」


 胸倉を掴まれ一瞬で殺る気スイッチがオンになる。

 手始めに股間を蹴り上げて男女比をバランスよく二:二にしてやろうとしたとき、後ろにいた男が泡を食って羽交い絞めにした。


「ばっ、やめろ!」

「はぁ? 何ブルってんだよ。こんなガキ一人くれーソッコーで――」

「ミミ、左耳っ」


 青い顔をしたそいつが顎で示すと、一斉に左耳に注目が集まる。まあ多分、その耳たぶについてるピアスに。


「え……あっ」

「ヒッ……」


 めでたく三人共青くなる。


「あの返り血を浴びすぎて赤黒くなったっていうウロボロス……間違いねぇ、二之舞中の吸血鬼・桜木正義だ」


 いや、修学旅行で温泉入ったら変色しちゃっただけなんだけど。


「す! すんませんした!」


 三人横並びで直角に腰を折る。

 そして揃いも揃って財布を取り出し、例によって紙幣を俺のポッケにねじ込んで走り去っていく。

 今更だけどこれどういうシステムなの?

「ここのボスは金にセコいから現金に目が眩んでいる隙にワンチャン逃げ切ろう」とか攻略本に書かれてんの?

 それ吸血鬼ってより金欠鬼じゃね?

 まぁともかく、これでやっと集中できる。

 そう思い、俺が再び本に眼を落とそうとしたとき――


「あの……危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました」

「は?」


 声のしたほうを見ると、女がお辞儀していた。

 誰かと思えば先ほどの四人組の紅一点である。

 てかまだいたのコイツ?

 あとそれ何に対するお礼?


「あーうん、はいはい。アブナイトコロヲね」


 適当に頷いておく。

 それにしても、なんだ危ないところって。コイツの頭がか? はっきり言って公共のスペースで白昼堂々一対三の青姦に及ぼうとする女は、アブないを通り越してもはや手遅れな感がひしひしとするのだが。

 見ればどこかの女学生らしく、胸元にエンブレムの刺繍が入った白のワンピース型制服を着ている。公立にしては攻め過ぎなデザインだし、どっかの酔狂な私立のものだろう。ぶっちゃけ見てるこっちが恥ずかしくなるだけ周囲から浮きまくりだ。

 歳はもしかしたら同学年か、顔立ちの幼さからして下手をすればもっと下の可能性もある。

 こんな保健の教科書を開いただけで「きゃっ///」と顔を赤らめそうなおぼこ面しといて、裏では実技までバッチリ履修済みとは世も末もいいとこだ。(エリ+コイツ)÷2してやりたい。


「あの、正義様……とお呼びしてよろしいでしょうか」


 言いながら、屍肉を見るハゲタカのような眼でチラチラと俺の隣の空きスペースをしきりに伺っている。

 コイツまさか俺からこのベンチを奪おうって魂胆か?

 やはり見た目と違って油断ならない女だ。このままだと隣に座ってきて既成事実を盾に領有権を主張されかねない。

 俺は危険を機敏に感じ取り、ズボンから取り出したくしゃくしゃのハンカチをこれ見よがしに広げて置く。


「あっ……」


 先手を打たれた、とばかりに女が口惜しそうに吐息を漏らす。

 フッ、ざまあみろ。俺のほうが一枚上手だったようだな。

 そう、これこそ花見の場所取りから着想を得た秘技『ここは先約済みですぅ残念でしたベロベロバ~』サインだ。

 これならどんな鈍い奴だろうと――


「お心遣いありがとうございます。それではご厚意に甘えて」


 気にせず座ってきた。


「…………」


 え、こいつ馬鹿なの?

 俺置いたよね? ハンカチーフ置いたよね?

 人の物に平然とケツ乗っけるとかテメェの面の皮オリハルコン製かよ。

 呆気にとられる俺を嘲笑うように、ここはもう自分の席だと誇示せんばかりに奴は背筋をピンと伸ばし、堂々と胸を張っている。厚かましさもここまでくればもはや尊敬に値する。


「あ、申し訳ありません。そういえば私、まだ名前を名乗っていませんでしたね」

「あー、エリのやつ遅ぇなァ。人がこうして席取っといてやってるっつーのによォ。ペッ、カ~、ペッ」


 女の言葉を遮って、ツレが来るんだから即刻失せろアピールをする。流石にここまでやれば伝わるだろうと思い、唾棄しながら横目に伺うと、


「申し遅れました。私、白百合ヶ咲学園中等部に通う天王寺蛍てんのうじほたると申します。名前の由来はお父様が将来ホタルのように美しく輝けるようにと願って付けてくださって」


 きいてねぇよ。二重の意味できいてねぇよ。


「あのよ」


 俺はいい加減我慢の限界に達し、そっちに向き直った。


「いや別に何ボタルでもいーからさ、いっぺんあっちにある噴水で水飲んで来いって。甘すぎてほっぺ落ちまくりだって。なんなら俺が簀巻きにして腹いっぱい肺いっぱい飲まして差し上げっかテメコラ」

「それで是非今度お礼を差し上げたいのですが……そ、その、はしたないと笑わないでくださいね? もしご迷惑でなければ正義様の、れ、連絡先を教えていただけたらなんて……」


 このアマ、プレイヤーが介入できないゲームのプリレンダムービーか何かなの?

 俺が怒りより恐怖を覚え始めていると、


「正義様」


 スススと距離を詰めてきて、懇願するような上目遣いで身を乗り出してくる。


「駄目……でしょうか?」


 いつの間にやらちゃっかり握っていた俺の手を、両手で挟み込むようにして自分の胸元へと持って行こうとする。

 そのとき――


「香囲粉陣」

 

 見れば、そこには表情をどこかに置き忘れてきたらしいエリが立っており、開口一番四字熟語を唱えた。

 聞き馴染みのないワードなのに、あまりよろしくない意味を含有してそうな気がするのは何故だろう。


「鼻の下最長不倒」

「おーいい匂いじゃねぇか。どれどれ」


 テンノージボタルだかいう新種の手を振りほどき、俺は紙袋に包まれたたい焼きに手を伸ばす。

 だが、すんでのところでさっと背中に隠されてしまった。


「…………あの」

「うっかり助兵衛」

「違うんだ、これは何かの間違いなんだよマルガリータ。いいかい、落ち着いてよく聞いて。僕とエミリーはただの職場のパートナーで――嘘じゃない! 本当さ信じてくれ。なあおい、頼むから機嫌を直してくれよ。な? 僕はただ……あっ、待てっ、マルガリータ! マルガリートゥア!! シッツ!」


 俺はマルガリータを泣かせてしまった自分への苛立ちからウォーリーを地面に叩きつけ、たいやき屋の屋台裏へと駆け込む。

 そうして命からがら身を隠した後、そのまま直帰してしまおうか割と真剣に悩んだが、明日間部にシメられそうなのでやめておく。

 フゥ……しかし何だったんだエリの奴。さっきまでニコニコしていたかと思えば、打って変わって抜き身の妖刀みたいな殺気を撒き散らしやがって。

 俺と別れるまでは尻尾をフリフリするだけ上機嫌だったわけだから、考えられるとすれば、眼の前でいけしゃあしゃあとたい焼きを焼いてるこのオヤジが何か仕出かしたくらいなもんだが。

 背後からその仕事ぶりを覗き見して合点がいく。

 ははーん? このオヤジ、よく見れば尻尾の先まで餡をぎっちり詰めてやがる。やれやれ、これではエリもあれだけ怒り心頭に発するわけだ。

 いいか、オヤジ? お前が粒あんで穢しまくってるその部位は生地の素朴さを味わうたい焼きにおいて神聖にして不可侵のエルサレムなのはたい焼き界では常識だぞ?

 ったく、この違いのわからないオヤジにはあとできっちり俺から啓蒙しておいてやらないとな。

 というわけで、どうやら今回こそは完全なる無実だとわかり、俺は安心してベンチへと戻ることにする。


「いやー悪い悪い。腹に急に差し込みが来たんで茂みでブリッてきた。ちなみにマルガリータはトラックにはねられて死んだからもう大丈夫だ」

「…………」


 たいやき屋のオヤジによって深く傷つけられた心を思いやり、努めて気さくに話しかけるが、エリときたら口を真一文字に結んだまま一言も発さない。

 可哀相に。どうやらたい焼き屋のオヤジの背負った業は思った以上に深そうだ。きっとより強力な罵声を浴びせるべく、一ターン目は力を溜めているといったとこだろう。

 アチャーと俺がオヤジをこれから待ち受ける運命に同情し目を覆うと、二ターン目に入ったらしいエリがスタスタと歩いてくる。

 そのまま俺の横を素通りして屋台に一直線。オヤジ万事休す。たい焼き屋よ永遠に。


 ――かと思いきや、


「このTo LOVEるメーカー!!」


 何故かオヤジにではなく、そのかなり手前に立つ俺に対しあらん限りの罵声とたい焼きを投げつけ、怒髪天を衝きながら去っていく。


「あの……連絡先……」


 後ろからか細い声がしたが、それどころじゃない俺は茫然とエリの後ろ姿を見送った。

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