第6話
「それじゃあ無駄な寄り道をせず、気をつけて帰るように」
担任にそう締めくくられて帰りのHRが終わった後、俺は廊下に突っ立って天井のシミでロールシャッハテストをしながら暇な時間をやり過ごす。
今週はエリの班が教室の掃除当番だった。
やがて清掃を終えた他の班員が帰り、運良くエリが教室で一人になったのを見計らい、俺は満を持して作戦を実行に移した。
「よー、お疲れさん」
エリに近寄り、ポンと肩に手を置く。
するとエリは一瞬こちらを見る。
が、すぐに気のせいだったかのように前に向き直り、無視を決め込む。うむ、清々しいだけ透明人間扱いだ。
「なぁ、帰りにどっかで甘いもんでも食ってかね? 奢るからよ」
無視されていることを無視してなおも話しかける。
千円パクられた俺が何故さらなる身銭を切らなければいけないのか腑に落ちないが、間部いわくこれはヒツヨーケーヒらしい。
エリは「え」とようやく感情らしいものを垣間見せた。俺が「奢る」などと普段であれば口が裂けても言わないようならしくないことを口にしたのが、よほど寝耳に水だったと見える。
だがそれも束の間、すぐ元のむっつりフェイスに戻り、
「行きたいなら一昨日のオンナのヒトとでも行けば?」
つれなく言い、つーんと顔を背ける。
フン、強情っぱりめ。
しかしこのアマ、俺が出会ったばかりの頭桃色を甘言で誑かし、密通して猿のように何発もヤりまくりなどとソフモヒのカノジョ説が可愛く思えてくるだけなんつーおぞましい妄想膨らませてやがるんだ。名誉毀損で訴えるぞ。
コイツといいソフモヒといい、俺のあの簡潔明瞭な説明のどこをどう捻じ曲げたらそんなトンチンカンな解答に行き当たるというのか。
俺と頭桃色が……考えるだに怖気が走る。ブルブル。
今すぐ膝と額を突き合わせて滔々と己の身の潔白を証明したいのも山々ながら、間部いわく――
『今のエリちゃんにくどくどセツメーしてもロクにキーちゃくンねーダロ。ならもーいっそ誤解してるイジョーのインパクトぶつけてアタマから消し去っちまえばいーのサ。名付けてメテオインパクト作戦ヨ』
とのこと。
なるほど。
聞いているとなんだかそんな気がしてくるから不思議だ。生来口が上手いのだろう。奴は将来立派な結婚詐欺師になれるに違いない。
さて、と俺はチラリと視線を落とす。
その左拳には、奴より授かった秘策が握り込まれていた。
間部からはエリと接触するまでくれぐれも中を見るなと釘を刺されていたが、ならもう見てもよかろう。
御開帳。
中から出てきたのは、平たく言えばカンニングペーパーだった。
その用紙には【・もし誘っても「行きたいなら一昨日のオンナのヒトとでも行けば?」と対象がつれなく言ってきて、つーんと顔を背けたときの受け答え】と記されていた。すげぇな間部カスタマーセンター。もうこっちで商売しろよ。
しかし間部の奴は何故これをこの瞬間までひた隠しにしたかったのだろう。台本なら台本と教えておいてくれれば、あらかじめリハーサルしておけたのに――
と、そこまで考え、奴の真意を看破する。
ははあ、なるほど。事前に台本を読み込んでしまってはいざ本番となったとき、台詞の端々に演技臭さが滲んでしまわないとも言い切れない。奴はそれを憂慮したのだろう。
敢えてぶっつけ本番にすることでその焦りやとちりといった粗がいい感じに目くらましとなり、演技臭さを緩衝してくれるという寸法だ。
フッ、野郎いらんお節介を。
そこいらに掃いて捨てるだけいる顔だけの俳優かぶれならまだしも、この二枚目千両役者として知られる桜木正義がそんなヘマを犯すわけないだろうが。
ただまあ、その心遣いだけは受け取っておいてやるとするか。
内容を事細かに精査する暇はないため、ひとまず掌の紙面に踊っている台詞の羅列をひたすら全部頭に叩き込んでいく。
ではまず早速一行目から。
ヨーイ、アクション。
「えーと……『おいおいまだ怒ってんのかよ。そんなにむくれてちゃ、せっかくの可愛い顔が台無しだぜ?』」
「ぴぇ!?」
エリが素っ頓狂な声を上げて振り向いたので、俺は腕をさっと後ろに回す。
「え、え、え?」
この上ないだけ眼を丸くして狼狽えている。
よしよし、反応は上々だ。
奇襲は大成功。さて、そんで次が確か……。
「あ……あのさ。あはは、あれ、聞き間違いかな? 今なんか正義が変なこと言ったように聞こえて」
「ちょっと話しかけんな忘れっから」
続いて俺は二行目を暗唱する。
「『お前がそんなだと、俺が困るんだよ。太陽が輝くことを忘れちまったら、月は暗闇を漂うただの石くれになっちまうだろ?』」
「…………」
フフン、顔に似合わずなかなか詩的な修辞を駆使するじゃないか。喜べ間部、エリも目をしばたたかせ、もはや俺に釘付けだ。
……でも何故だろう。間部が書いた文でエリが良いように心揺さぶられているのを見ると、胸のあたりが妙にムカムカする。ひょっとしてあのヘビースモーカーと長く一緒にいたから、副流煙の吸いすぎで胸焼けでも起こしちゃったかしら?
とにかく上手く行ってるのだから文句はない。更に畳み掛けるとしよう。
三行目。
「『なあ、そろそろこんなどうしようもなく不器用な俺の気持ちに気づいてくれよ』」
「正義の……気持ち?」
……ん? 俺の気持ち?
なんだそれ、史上初耳だぞ。一体何を考えてるんだろう俺って。超気になる。
四行目。
「『わかるだろ? もうとっくにお前がいない人生なんて、俺には耐えられないんだって……』……え?」
「そ、それって……」
エリは頬を紅潮させ、潤みきった熱っぽい眼で俺を見つめてくる。
「…………」
……あれ、間部くん?
これホントに続けて大丈夫?
ただ関係を修繕するだけなんだよね?
…………間部くん?
背中を冷たいものが伝い落ちるのを感じ、今頃どこかで元気にシケモクを吸っているだろう奴へのどす黒い疑念が頭をよぎる。
いや。
だがそれも一瞬のこと。すぐさま俺は小さくかぶりを振る。
バッキャロー。奴とはこれまで幾度となく危ない橋を渡って、その都度背中を預け合ってきた仲じゃねぇか。この土壇場で肝心の俺が芋引いてどーすんよ?
それにあらかじめ打ち合わせのときに言ってたではないか。これは『誤解してるイジョーのインパクトぶつけてアタマから消し去る名付けてメテオインパクト作戦ヨ』と。つまり、これまでの台詞はその上で欠くことのできない必要なものだったのだ。
大丈夫。もう充分なインパクトは与えたはず。なら、あとはここから普通の幼馴染に帰還するウルトラCの離れ業が用意されているに違いない。だろ、間部?
俺は一瞬でも
最終行。
「『だからさ、聞いてくれ。俺……ずっと前からお前のことが――好き』」
「なわけあるかコラァァァアアア――――ッ!!」
俺は怒りに任せ、握りつぶしたカンニングペーパーを窓から思い切りぶん投げた。
紙屑はあっという間にキラーンとお星様になる。
「アンチキショウが……」
ペッと外に唾を吐く。
フザケやがって。あの知的生命体の風上にも置けんダニ野郎が。前々から信用ならない敗戦国民だと思っていたが、とうとう馬脚を現しやがったな。太陽系の恥さらしめ。俺がこの手で責任持って息の根を止めてくれる。
もはや更生不可能な社会のゴミを真の生ゴミに変えるボランティア活動に勤しむべく、俺が教室を飛び出そうとしたとき、
「ねぇ」
上着の袖をくいと引っ張られた。
「アン?」
眉間にマリアナ海溝より深い縦皺を作って振り返ると、エリが見上げていた。
「……いーよ、別に」
「……へ?」
唐突に言われ、混乱する。
何がいーよなんだ?
生ゴミになった間部を微生物パワーで分解したあとウチの庭に撒いて証拠隠滅してもいーよ、のいーよか?
エリは身体を左右にくねくねと揺さぶり、
「だからさー……奢ってくれるんでしょ? 甘いもの」
「え、あ、ああ」
そういやそういう話だった。間部の処理方法ばかり考えていて忘れていた。
「じゃ、待ってて。すぐ準備するから!」
面映そうに笑って教室の後ろにあるロッカーに駆けて行く。
それを見て、俺は狐につままれた気分で窓の向こうに視線を移す。
「……ありがとう、間部カスタマーセンター」
お星様の横では間部がウインク&サムズアップを決めていた。
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