第5話


「チッ、露骨にシカトこきやがって。エリ太のくせに生意気な」


 翌日の昼休み。

 人気のない便所で、小便器に向かってガキ大将っぽく独りごちる。

 当然ながら俺はハイパー不機嫌だった。

 理由は説明不要。昨日のアレである。アレがコレしたソレである。


「何だったんだ、ありゃ」


 俺は改めて首を傾げる。

 何度思い返しても不可解&理不尽という二語に尽きる。

 講和会議は無事合意に達していたはずである。

 そしてあとは正式な調印を残すのみ、という段階になって突如エリが乱心。すべてがご破算になってしまった。

 あの短時間にヤツの心境にどんな変化があったのか。考えれば考えるだけ謎が深まる。

 一つだけ確証を持って言えるとすれば、俺は完全なる被害者ということだけだ。

 となれば、容疑者はおのずと一人に絞られる。そう、あのソフモヒだ。

 きっとあやつが知らず知らずのうちに、エリの逆鱗に触れる何かをしでかしたに違いない。でなければ、それまで友好的であった俺とエリの関係がものの数分で元の木阿弥に戻ることなど考えられない。

 やはりいい『地獄』など存在しない。俺はそれを此度の件で痛感した。奴らは漏れなくこの世から排斥されるべきだ。

 というわけで今の今に至るまで冷戦は継続中ときている。

 しかしそれまでと全く同じというわけではなく、少しばかり変化はあった。

 それを良いと捉えるか悪いと捉えるかは議論の余地があるが、エリの反応が、昨日の朝まではこちらを挑発するようなものが多かったのに対し、昨日の一件以降はこちらを見ようともしなくなった。まるで俺を空気か透明人間のようにそこに存在するけど見えないものとして扱いやがる。

 確かにソフモヒごとき三下に粗相を働かれて憤る気持ちもわかるが、それを俺に八つ当たりするのはお門違いもいいところだ。

 まったくもって奴はギャルとしての自覚が欠けている。頭のネジと貞操観念を常時ガバユルにしてベッド上でラブアンドピースを体現している本職の方たちに失礼だと思わんのか。


「ん?」


 ふつふつと湧き上がる怒りを迸る黄金エネルギーに変えて便器にぶつけていると、真横に人影が並び立つ。

 こんだけ俺以外人っ子一人いないガラガラのトイレで、わざわざ横に陣取るアホかホモかその合わせ技一本の面相を横目で確認し、俺は驚いた


「ヨオ」


 それはよく見知った男子だった。


「ドーヨ、チョーシハ」

「ドーヨもコーヨも……」


 突如音もなく現れたソイツに、しかめっ面をする。


「テメェな、停学明けたなら明けたって言えよ。あんま見ないからすっかり亡き者として机に弔いのカーネーション活けちまったぞ」

「ワリーワリー」


 奴は空いている右手を挙げる。

 黄金エネルギーを使い果たした俺は水を流し、ソイツに向き直った。

 そこで用を足していたスポーツマンのような短髪の男子は、気に入らない市井の人をほんのり半殺しっぽくしちゃった罰で長期の停学処分を食らっていた、同じ三年の間部まなべだった。


「イヤ、オレ自身さっきセンコーから電話入れられるまで忘れててヨ、今来たばっかっつーワケ」

「相変わらず適当すぎる人生を謳歌してるようで羨ましい限りだ」

「よくゆーゼ。ソッチだってオレがいねー間どーせテメー勝手に好きホーダイやってたンダベ? 神をも恐れぬ天ジョー天下唯我独尊の桜木正義だもンナ?」

「馬鹿言え。俺ほど周囲への気配りと盆暮れの付け届けをかかさず、常にアフリカの子どもたちのために一掬いっきくの涙を流してる人徳者いないっつーの。つーかそんなくだらん戯言をほざくために来たのかテメェは」

「なわけねーベ? 無論誘いにヨ。暇ならホーカゴ、再会を祝ってアソボーゼ? ほれ、前にやったシャトルランでGメン撹乱するヤツでもスンベ」


 その間部の言葉で、苦い記憶がよみがえる。


「そうだ思い出した。テメコンチクショウ、あん時はよくも騙しやがったな。何が今一番時代を先取りした若い世代を中心に大ブームの兆しを見せてるエキサイティング&スリリングな遊びだ。飛んできた警備員にあえなく取っ捕まってスーパー出禁食らうわ学校と親に一報行くわ、散々だったじゃねぇか。あんなデメリットしかない反社会的行為のどこに流行る要素あんのか説明してみろ」


 俺の詰問に、間部はため息を吐き、


「わかってネーナ。そこをバレねーよー上手くやンのがこの遊びの肝ダベ?」

「わかってたまるかそんなもん。あのな、こっちは顔写真つきで身元押さえられてんの。俺、別店舗のレジ打ちのオバちゃんにシャトルラン坊やとか呼ばれてんの。なんだそれ、面割れてるどころの騒ぎじゃねぇぞ。都市伝説に片足突っ込んじゃってんじゃん。小学校の帰りの会とかに『寄り道する悪い子はシャトルラン坊やに追いかけられるから真っ直ぐ帰ろうね』的な脅し文句で登場する流れだろ。そんな舌の根も乾かんうちにだテメェ、たとえば鮮魚コーナーと惣菜売り場をすごい速さで行き来する学生の二人組なんか現れてみろ。誰からともなく、『あ……あれはもしや……!』って話になんだろ。あまりに呆気なく容疑者候補ベストテンの頂上に返り咲いて徹子さんも驚きのあまりランキング表二度見するっつーの」


 一息に言い切ると、間部はゾクゾクと震え、


「ク~ッ、ソレソレ。やっぱいーネ。その喋り聞いてっと帰ってきたって気スンワ」


 満足気に頷き、用を終えたようで水を流しながらくるっとこちらを向く。


「シャーネー、ならまた今度にスッカ。それはそーと久々来てみりゃオモシレーことなってンらしーなキョーダイ?」


 血も繋がっていなければ杯を交わした覚えもないが、間部は何故か俺を義兄弟認定し、このように「キョーダイ」と親しみを込めて呼んでくる。

 俺としては積極的に赤の他人を認知するつもりはないが、こいつは『地獄』と違ってある程度日本語が通じるし、腕も立ち信頼して背中を預けられる数少ない男なので、奴のしたいようにさせている。


「なんだオモシレーことって」

「聞いたゼ、エリちゃんコレだってナ?」


 シシシと笑って人差し指を二本、頭の上に突き立てる。


「アン? それのどこがオモシレーんだよ。テメェ自身の顔を史上最高に面白くして吉本きってのシンデレラボーイになってみっか?」


 眉根を寄せる俺を尻目に、間部は制服の内ポケットからタバコの箱を取り出し、


「バーカ、オレがひと肌脱いでやンよって話ヨ。腕っぷしはともかく、コッチの扱いにかけちゃキョーダイよか上のつもりだゼ?」


 小指を立てながら一本咥え、流れるように火をつける。こいつ再停学のギネス世界記録でも狙ってんのか?


「いらんお世話だっての。ただの腐れ縁に男も女もあるか。どうせ待ってりゃそのうちコロッと機嫌が変わるだろ」


 俺が言うとフーと紫煙を吐き、小さく首を振る。


「そりゃアメーナ。聞いた話じゃモメてンのはオンナ絡みなンダロ?」

「オンナ絡み? 何の話だそりゃ。多分別件と勘違いしてるぞ」

「してねーヨ。その場にいたヤツにキーたンだから間違いネー。オンナと街を歩いてたらしージャン?」

「あのソフモヒか。まさしくソイツが元凶だ。あいつが現れて突然エリの奴がブチ切れて、俺の側頭部を刈り取って行きやがった。きっとモンゴロイドの分際でソフトモヒカンなんてオシャレヘアーに挑戦する勘違いぶりがよほど腹に据えかねたに違いない」

「イヤ。エリちゃんがキレたンは、キョーダイがそのオンナとしっぽりしてたせーダロ、どー考えたっテ」

「は? 俺がコンタクト割ったトロ臭い女を白玉クリームぜんざいとハーゲンダッツ奢るのを条件に部屋まで送って、ついでにパーティーゲームしたくらいでなんでエリがキレなきゃなんねぇんだよ」


 そう訊ねると間部は俺の顔を凝視し、やがて「アー……」と口から何やら合点の行ったような声と煙を一緒に漏らす。


「そーユーコト。イヤ、オレも最初キーておかしーと思ったンだよナ。あのキョーダイがキューに見ず知らずのオンナとそンなことになるなンてサ」


 うんうんと頷く。


「コラ、お前ばかり勝手に納得してないで俺にも教えろ」

「イーゼ。あとでタコできンだけじっくり聞かしてヤンヨ。とにかくこのまンまだと自然回復どころかエリちゃんとのカンケーポックリ終わンゼ。オンナはオトコを忘れよーと、オンナだけはシューセー忘れねー生きモンだかンヨ」

「なんだそりゃ、新手の謎かけか?」


 俺が首をひねると、間部は物知り顔に、


「そのうちわかンサ。とにかく今は騙されたと思ってこの安心と信頼の間部カスタマーセンターに背中預けとけっテ。な、キョーダイ?」


 ニッとくすんだ歯列を覗かせた。

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