第3話
あくる朝。
「オハヨ桜木クン」
「桜木サン、実はヨシオが今朝雪男に」
「キノーオレラのシマで好き勝手してた東小のコーハイ方」
「サクラギ、今日こそオレとスーパーカー消しゴムで」
「放課後さわやか3組の面接受けに行こーと」
「オレの妹のカレシの妻の玄孫のそのまたハトコが」
「もう我慢できないヨ! 桜木クン! オレと結婚してクレ!」
「ぐふぅ……」
毎朝恒例となる『地獄』の猛攻が俺の精神を責め苛み、いつものことだが予鈴が鳴る頃にはママンのおっぱいが恋しくなり家に帰りたくなっていた。
「うふふ、今日もきれいなお空。あ、ケサランパサラン。お願い事しなきゃ。んーと、えーと。こいつら全員早くくだばりますよーに」
そら現実逃避だってするわ。
俺がそんな保健室登校に人知れず十三面待ちリーチをかけようとしているところへ、不機嫌無愛想ガールが登校してくる。
誰かといえば、言わずもがな矮小ギャルもどきことエリである。
「フンッ」
こちらと目が合うと、露骨に顔を背け、席に座った。
そのあてつけがましい態度を前にし、『地獄』の矛先が前日に引き続きそちらに向く。チッ、余計なことを。
「ナニナニ、二人ともまーだ喧嘩してンノ?」
「フン、馬鹿言え。どのワンシーンを切り取っても向こうが勝手にヘソ曲げてるだけだろ。切っても切っても桜木勝訴、桜木勝訴って金太郎飴みたく出てくんだろ。俺は不当な弾圧と搾取には断固としてノーと言える日本人なだけだっつーの」
「て、て、て、そんな強がってホントは寂しーンじゃないスカ? 現に顔にそー書いてンスヨ」
「勝手に読んでんじゃねぇよ。著作権侵害で訴えんぞ」
「あンまそー意地張ンないで今回は正義クンから折れたげなヨ? どっちがイーワリー、タダシータダシクネーはこの際ヌキにしてサ。こーゆーときゃよりオトナなホーが頭下げとくモンヨ」
「……え、そうなの?」
「ソーソー、桜木クンみてーな心がサロマ湖くれーヒレー人がツマンネーこと気にしちゃダメっスヨ」
「なんでそこで日本第三位なんだよ。ヨイショするなら普通に琵琶湖でいいじゃん。本音はそれほど広いと思ってないの筒抜けだぞテメェ」
てなことを話していると、二度目のチャイムが鳴り、HRが始まる。
フン。
俺は腕を組んで右斜め前の金髪頭を見やり、音もなく鼻息を漏らす。
まったく、日付を二度跨いだにも関わらず、なお怒り冷めやらぬコイツのギャル精神の低さにはほとほと呆れ果てるしかない。
もはやギャルの皮を被った自分をギャルと思い込んでいる気持ちギャルっぽい何かだ。
この専門学校生の卒業制作顔負けなクオリティーだと、そろそろクビになってもおかしくない。いや少なくとも俺の中ではすでになってる。
いいか。お前のようなノリでギャルになっちゃうプロ意識の低いのがいるから世間からギャルという存在が誤解されるんだ。
どうせ髪染めてバカみてーに語尾伸ばしてスカート詰めてパンツ見せときゃいいと思ってんだろ? ハッ、片腹痛いわ。そんなのは上っ面だけのアッセ―アッセ―話で、そこに母なる地球ほどの度量が加わってようやく一人前のギャルを名乗れる資格を得るんだよ。合格率一パーセントの狭き門なんだよ。毎年三月と九月に厚生労働省が国家試験実施してんだよ。もっとそのことをゆめゆめ勉強しとけや。ギャル舐めんな。
オラ聞いてんのかこのニワカギャル。こっち見ろ。そして跪いてみっともなく命乞いをしろ。小僧から石を取り戻せ。
しかもテメェ、その怒りの発端も、こちらには些かの非もない逆ギレときているから一層救いようがねぇぞコラ。擁護の余地一ナノメートルもなくてむしろ救いたくなるわ。大和民族の判官贔屓精神刺激されまくりだわ。
まったく掘れば掘るだけ粗ばっか出てくるな。アサリかテメェは。もうギャルから二枚貝に転職しろ。このギャル業界の面汚しめ。金返せ。
もし何か勘違いして俺の方から頭を下げて貰えるなどと淡い期待を抱いておるようなら、その腐り果てた性根ごとベランダから吊るして布団たたきでペンペンしてくれる。
わかったらとっととその脱色した髪を教室後ろのロッカーに入ってる墨汁で染め直してこい。返事はどうした。バカモン、その顔についてる汚いケツの穴から糞するときは前と後にサーとつけろ!
――と、昨日までならこうして心で不毛な愚痴をこぼして終わりだったろうが、今朝の俺はひと味違う。
というのも、さきほど『地獄』の一人がなかなかタメになることを言っていたのを覚えていよう。
大人な側が頭を下げるというのはなるほど、一理ある。
確かに非のある側が必ずしも頭を下げなければならないという明文化されたルールはない。なんとなくそう思い込まされているだけだ。『地獄』も一〇〇年に一度くらいはいいとこに目をつける。
より大人な側。
年齢差があればいいが、同学年の場合はそれをどう決めたらよいか。そう、言うまでもなく精神の成熟度だ。
俺とエリ、どちらが精神的により大人か道行く老若男女にアンケートを取れば、満票で俺が大統領に選出されるに違いない。
ならばよりプレジデントな俺のほうから、今回だけ特別に歩み寄ってやるとしよう。
イエス・ミー・キャン。
そう結論づけ、一時間目終了を待つ。
「よし」
将来ひとつも役に立たないであろう取るに足らない数学の授業を聞き流し、次の体育の授業のため出て行ったエリを追っかけ、俺は席を立った。
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