第2話
放課後、俺は気晴らしがてら街に繰り出した。
いつもは後ろをちょこまかとエリがついてきたりするが、あの後消しゴム千本ノックでより溝が深まったため、今日はお一人様である。
街頭は色づいた街路樹のため、すっかり秋めいたオレンジの装いに衣替えしている。ついこないだまでカンカンギラギラと夏真っ盛りだったと思ったのに、時が経つのが年々早まっている気がする。
「さて、どこで暇をつぶすとしよう」
無駄に選択肢が多いぶん、これといって琴線に触れるものがない。
無難な線で漫画喫茶かネットカフェでダラダラと貴重な青春の一ページを贅沢に浪費するか、はたまた屋内娯楽施設でスカッとひと汗かいてストレスを発散するか。
「いや、待てよ……」
悩む俺のもとに、天啓が舞い降りた。
そうだ。せっかくエリがいないのだからこの機会を無駄にすることなく、普段ならアイツの眼があって近寄ることさえできないムフフな場所にでも……。
「ムフフ……」
「フフンフンフフフ~ン♪」
「ん?」
とても紙面でお伝えできない思索に耽りながらショーウインドウが立ち並ぶ通りを抜け、うらぶれた商店街のアーケード前を通りかかったとき、下手くそな鼻歌が許可もなくハモってきたので振り返ると、買い物袋を提げた女がこちらに歩いてきていた。
と思ったら、
「……ほわちゃっ!?」
何故か突然、障害物のない平坦な場所で派手に足をとられ、ずっこけそうになる。
「はわわわわわわわっ」
とっとと潔くコケてしまえばいいのに、往生際悪く粘るせいで、生かさず殺さずの状態でぐるぐると腕を回してこちらに段々と加速しながら駆け寄ってくると、
「へぶしっ」
健闘むなしく万有引力の前に力尽き、顔面を強打してズザーとうつ伏せに地面を滑ってきた。
「…………」
なんだこのおたんこなすは。
真顔で立ち止まる俺の足元に、女の持っていた買い物袋から脱走した果物やら野菜やらが転がってくる。
「うぅ、鼻打っちゃった……痛いよぅ、痛いよぅ」
赤くなった鼻を押さえ、ベソをかく。
「あれ? あれ?」
そして、キョロキョロと辺りを見回し始める。見たところ二十歳前後といったあたりだろうか。それに比べて精神年齢のほうは、年相応とは口が裂けても言い難そうだ。関わり合いにならないほうがいいだろう。
それにしても、いい年こいてトロ臭いことこの上ない。何もないところで転ぶなんてある意味驚異的な運動神経と言える。
きっとこの年で逆上がりもできず、徒競走は小中高と決まってビリ。跳び箱は六段までで、マラソン大会ではお手伝いの保護者から生暖かい眼と拍手を送られていたタイプだ。
そう決めつけつつ、俺が前を通り過ぎようとしたところ、
「あ、待ってください! そこを動かないで!」
「は?」
突然呼び止められ、運ぼうとしていた足をピタッと止める。
「すみません、すみません! その、転んだ拍子にコンタクトが外れちゃったみたいで……すぐ見つけますからそこにいてください」
俺はアビイ・ロード横断中のジョン・レノンの体勢で、平身低頭してペコペコ頭を下げてくる女を見下ろす。
「すぐってどんくらい?」
ムフフな店を歴訪し、青春の一ページをモザイクで埋め尽くすという何をおいても優先すべき使命を帯びている今の俺は、こんなところでいたずらに足止めを食っているわけにはいかないのだ。
俺の言葉と身体から発散されるそんな並々ならぬ熱量を感じ取ったのだろう。女はあわあわとし始め、
「ほ、ほんとすぐのすぐですから。あのあの、こう見えてわたし、探し物を見つけるのは大得意なので!」
自信のほどを誇示するようにムンッと力こぶを入れ、何故か無駄に勢いよく立ち上がる。
「わたたっ」
勢い余って、前に二、三歩よろめく。
「あっ」
ちょうど踏みとどまった地点で、靴の裏からペキン、ペキンと二度、軽やかな破裂音がした。
「…………」
硬直。
そんな女に、俺は惜しみない拍手を送る。
「いやー流石だな。こんなにあっさり見つけるとは大見得切るだけのことあるわ。様式美さえ感じる鮮やかな職人芸に感動を禁じえないわ。マジ御見逸れ。んじゃ危機は去ったようなので俺はこれで」
「ま、ままま待ってください! わたし裸眼の視力〇・〇一なんです! このまま置いて一人にしないで!」
脚に取りすがられる。
「大丈夫だって。その身体能力なら見えてようと見えてまいとそんな大差ねぇって。むしろアンタの一〇年後とかに比べたらまだ視界良好な方だって」
「そ、そう言わずに……後生ですから。ね、ね? あ、そうだ! 帰り道にコーヒーの美味しい喫茶店知ってるので、そこでご馳走するとかどうでしょう?」
我ながら妙案、といった顔でナチュラルに賄賂を持ちかけてくる。
「いや、それだと俺が物で釣られる安い奴みたいじゃん。この桜木正義はたかがコーヒー一杯で動く安い男じゃないってよく覚えといて」
俺はダンディーに言い、立ち去ろうとする。
「あ、あのあの、でもそこは白玉クリームぜんざいとかも人気で……」
「え、白玉クリームぜんざいあんの? そういうことはもったいぶらず先に言えって。この桜木正義はコーヒー一杯で動く安い男じゃないけど、デザート付くと面白いだけ掌で踊りまくりだってよく覚えといて」
商談がまとまり、ムフフはひとまず後回しにして、女を喫茶店に寄るついでに部屋まで送ることとなった。
手を引いたら巻き添えを食いそうなので、買い物袋の紐を牽引ロープ代わりにして片方女に持たせる。こうしておけばもし女がまた足を取られても、パッと手を離せば女が怪我をするだけで済む。うむ、良策。
「うふふ」
引っ張って歩き始めた矢先、道案内役兼ATM係の女が突然不気味な笑い声をこぼしたので振り返る。
「アン? 何が可笑しいんだコラ」
「いえ、こうして二人で買い物した袋を持って歩いてると、なんだか新婚さんみたいじゃないですか?」
「じゃないです」
「あなた、今日もお仕事お疲れ様でした」
ヤベェ、なんか始まったんだけど。
「それで、先にご飯になさいますか?」
「メシ」
「お風呂になさいますか?」
「メシ」
「そ、それとも……」
「メシ。超メシ。スペシャルハイパーウルトラコズミックメガトンメシ。なんだこの味噌汁は、塩が二ミリグラムも少ないぞ。今からボリビア行ってウユニ塩湖からかっぱらってこい、ドンガラガッシャーン。びえーんびえーん。ほら、大きな音を立てるからお前が糞と間違えてひり出した末裔が起きちゃったじゃないか。俺迷惑だから早くあやせ。ファンファンファン。チィッ、サツめ、もう嗅ぎ付けやがったか。よし、俺は妾のマンションにしけこむから代わりに捕まっとけ。面会には行かん。シーユーネクストライフ! ――こうして二号のヒモになった俺はあたたかい家庭を築き、末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
俺はくだらん茶番を巻き巻きで締めくくった。
すると聞いていた女は何故か頬を赤らめだす。
「ま、まま末裔なんて。まだ知り合ったばかりだし、気が早いですよ……そういうのはまずお友達になってからで……」
そこじゃねぇよ。他にツッコむところ山ほどあったろ。頭桃色天然娘かよ。
ヤバい奴と関わってしまったと後悔先に立たぬ中、喫茶店に到着する。
ひとまず嫌なこと(目の前の女)は忘れて、約束の白玉クリームぜんざいに舌鼓をうつ。
「どうです? お味は」
「まあまあだな」
目を細めて頷く。確かに言うだけのことはあって美味かった。
「でしょでしょ?」
頭桃色は嬉しそうに笑う。
よし、これを食ったらもう眼の前のコイツは用済みだからトンズラするとしよう。
「そういえばまだ自己紹介してませんでしたよね。わたし、岡本風花っていいます。風と花って書いてフウカ」
俺が人畜無害な顔でコーヒーを啜りながらすでに逃げ出す算段を始めているとも知らず、頭桃色は胸に手を当て、聞いてもいないのに名前を教えてきた。
「正義くんは、二之舞中央記念病院に罹ったことはありませんか?」
「前一回だけな」
乱闘中に後頭部を金属バットで振り抜かれたとき、大丈夫だというのにエリに引きずられるようにしてCTだのMRIだのを撮りに行った記憶がある。無論結果は正常だった。
「そこで看護師をしてるんです。まだ新人なんですけど、今日は当直明けで」
「へーそー」
金輪際あそこだけは受診しまい。
しかし……
よりによってこのヒヤリハットの化身とも言うべき存在を最前線に送らねばならないだけこの国の医療は逼迫しているのか……と絶望的な面持ちで頭桃色を凝視する。
奴は俺の視線に気づき、目を泳がせ、グラスを倒してテーブルを水浸しにした後、思い出したように白玉クリームぜんざいを食べだす。
うん、無理。
こんなおたんこナースに付き合ってたら、命がいくつあっても足りん。コイツの教育係はさぞ毎日胃の痛い日々を送っていることだろう。やはり逃げるが勝ちだ。
先に平らげた俺は空になったコーヒーカップを置き、早々と席を立つ。
「ふー、ごっそさん。じゃあ俺は知らない人についてっちゃ駄目ってママに言われてるからこれで――」
「あ、そういえば部屋に帰ったらハーゲンダッツが二つあるんですけど、一緒に食べませんか?」
「え、ハーゲンダッツあんの? だからそういうの先に言って? 俺らの仲じゃん」
俺はみすみす頭桃色の繰り出す術中に嵌り、ハーゲンダッツをご馳走になった後、パーティーゲームでしこたま遊んだ。
ムフフはまた今度としよう。
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