第1話

 ちゃんちゃんとは行かず、俺は眠い目を半開きにして三階にある三年の教室に向かう。

 大欠伸をしながら扉を開け放つと、ギロッと一部から放たれた視線の矢が立ち往生時の弁慶並に突き刺さるが、知らんぷりする。

 ついでに後ろからゾロゾロとどっかの教授の総回診みたいに尾けてきている連中も、丸めてアウトオブ眼中する。

 というわけでまず眼に留まったのは、秋を迎えた教室で来たる高校受験に備え、参考書とノートを開いている感心な者たちの姿だ。

 うむうむ。学生たるもの、やはりああいった日々の地道な積み重ねが大事だ。見習っておいて損はない。よし、俺も頑張るとしよう。

 そう思い、鞄から大型本を取り出し、しかつめらしくウォーリーを捜そうと椅子に座った瞬間、わっと盛大に取り囲まれる。

 俺はこいつらをまとめて『地獄』と呼びならわしている。

 ここ二之舞中がどんな学校か簡潔に紹介してくれと言われたら、可もなく不可もない掃いて捨てるほどある至って普通の中学の一つと説明するだろう。

 公立だから当然っちゃ当然。

 ま、中には手の施しようのない腐ったリンゴもいるが、そんなん津々浦々どこも似たようなもんだろ?

 なのに俺の周りにはどういうわけか、毎朝毎朝選りすぐりの腐れアポーどもがクラスの垣根を越え、出したてホヤホヤの野糞を嗅ぎつけた蝿のように何処からともなく集まってくる。誰が野糞だ脳天かち割んぞ。

 もう辛坊たまらんと言った様子の、奴ら『地獄』の一人が口火を切る。


「オハヨ桜木クン、今来たんダ?」

「見りゃわかんだろ」

「桜木サン、実はヨシオが昨日から帰ってないらしーンス、よかったらこれから一緒に捜してもらえませンかネ」

「よかねぇよ。そこは安易に警察か興信所に白羽の矢立てとけよ。俺はヨシオの代わりにウォーリー捜しとくから」

「こないだオレラのシマで好き勝手してた南高のパイセン方、桜木クンの名前出した途端ブルっちゃってンノ。もう最高に笑えてサ」

「なにシマって。どこに浮いてんの? 俺みたいな健康優良児はひょっこりひょうたん島かエロマンガ島しか知らないんだけど」

「サクラギ、どっちがココの頭か今日こそタイマン張ってもらうかンヨ? セーセードードー山手線ゲームで決着つけよーゼ?」

「冗談は休み休み言え」

「放課後竹森組の面接受けに行こーと思ってンすケド、桜木サンも一緒プロ目指しませンカ?」

「だから冗談は休み休み言えって。さっきから権藤権藤雨権藤なみに冗談スクランブル登板じゃねーか」

「オレのオヤジの妹の同僚の友達の友達の知り合いってヒトが楽に年収億稼げる副業ショーカイしてくれるって言ってンダ。でも初期費用に五〇〇マンかかるらしくテ、正義クンにそのホショーニンっての頼めないカナ?」

「どうでもいいけど、なんでお前ら語尾カタカナなの?」

「もう我慢できないヨ! 桜木クン! オレと付き合ってクレ!」

「どうでもいいけど、なんでお前ら語尾カタカナなの?」


 朝のHRまでこの調子が延々続く。これを地獄と呼ばずしてなんと呼ぶよ。

 気が散りまくって一匹のウォーリーも捜査線上に浮かび上がらないまま、キーンコーンカーンコーンと時効の鐘が鳴り響く。

 その予鈴を合図にようやく連中が散り始める中、右斜め前の空席に無言で座った奴がいた。


「エリはよー」

「っはよー」


 近くの女子友とはいつもどおり挨拶するのに、こちらには一瞥たりともくれようとしない。

 オイオイ、まだヘソ曲げてんのかコイツ。ギャル名乗るなら寝て起きたらシリアス系のセーブデータ消しとけよ。

 俺が心で舌打ちすると、その異常に『地獄』の一人が目ざとく気づいた。


「あれ、エリちゃんがこっち来ないなンて珍しースネ。桜木サン、もしかして痴話喧嘩スカ?」

「馬鹿こけ。別によくあるハートフルご近所トラブルだっつーの。朝の騒音問題が一個解消して願ったり叶ったりだわ」

「一体何してキレさせたンだヨ。よかったらオレラがソーダン乗ってやンゼ」

「ソーソー。早いとこ謝ってヨリ戻しといたほーがイーッテ。桜木クンの口の悪さ耐えられるコ、エリちゃんくらいしかいないジャン」

「あれ、もしかしてこれ俺がやらかした前提で議事進行してる? ウェイトウェイト。むしろ被害者なんですけど。千円パクられてんすけど。つか勘違いしないでね? アレとは腐れ縁で仕方なく介護してやってるだけで別になんでもねぇんだから」

「ちょ、ちょ、ちょっ、それツンデレのきまり文句じゃないっスカ。オレ危うく桜木タソ~に後ろの処女捧げちゃうトコだったワ」

「ハハハ、サクラギって意外にツンデレの素質あるかンナ」

「オイコラタコ、誰が詰んでんだよ。テメェの人生詰ますぞ。無駄に回りくどくハトコあたりからジワジワ六手詰めすんぞ」

「マ、マ、マ? もしかして知らねーンスカ? ツンデレってのは普段ツンツンしてるけど特定の相手にはデレデレになるヒトの事っスヨ。今どきそンくらいジョーシキっスヨ、ジョーシキ」

「マーマー。サクラギって硬派気取ってて意外とそっち系ウブいからサ。あんま茶化すのよしとこーゼ」

「ア? そんくらい知ってっし。ちょっとソクラテスさんリスペクトで無知の知ぶってみただけだし。あー知ってる知ってる、逆に知りすぎてて一周回って初耳まである。あ、今カンペキ思い出した。ああいう奴な? ほら、確かこないだ恐喝で捕まった『耳の穴からエアタービン突っ込んでガタガタの奥歯治療すんぞワレ』ってユーモア入れてくる例のちょいワル歯科衛生士さんっぽい感じな?」


 俺が汚名挽回していると予鈴から五分後、本鈴が鳴り始める。それと前後し、待ちに待った担任がやってくる。


「HR始めるからお前ら自分の教室に戻れー」


 主にここ一帯にたむろしている『地獄』連中に向けて発せられた命令だったのは言うまでもない。

 担任が出席簿で教卓を叩いて促すと、ようやく残っていた『地獄』も解散する。

 出欠の点呼が始まり、不届きな連中も消えてくれたことで眠くなる。机に突っ伏しようとしたところ、振り返ったエリと目が合う。

 なんだ、今になってようやく己の罪深さに思い至り、謝罪の一言でも寄越す気になったのか、と思ったら、


「んべ」


 赤い舌を覗かせやがった。

 コンニャロウ、舐めやがって。俺が閻魔様なら敢えて全部引っこ抜かず三割ほど残して、舌根沈下で確実に窒息死させてくれるのに。


「上等だコラ」


 売られた喧嘩は買うのが鉄則。

 俺は復讐を誓い、授業中に投げつける消しゴム弾をちまちま量産し始めた。

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