絶対、王道なんかに負けたりしない

鹿乃北洋

プロローグ

「や、だからさ、同じ男として気持ちはよーっく解んのよ。男なら穴があったら入れてーって、人間としては最低だけど生物学的に究極に高まったりする瞬間は誰しもあるってそりゃ。でもあいつまだ中坊だぜ? かくいうアンタ何歳よ?」


「え、ヤバイじゃん。じゃあもう下手すりゃ中学どころか高校飛び級して大学生の娘だっているわけじゃん。IQ800じゃん。だったら昨日までおっきくなったらパパと結婚するーってほざいてたガキが、野生のパパのをおっきくして二段飛ばし気味にオトナの階段駆け上ってたらどう思うよ? そうなんじゃん?」


「いやいや、今そんなん聞いてないから。『ここだけの話、三男が最近不登校気味で……』とかマジ聞いてない聞いてない。仮の話してんの、わかる? イフだよイフ。舐めてっと本当の畏怖味わわせんぞテメコラ」


「あー……うん。もう解ったから行っていいよ。別にそんないいから口止め料とか。心配しなくても人の口に戸は立てられねぇって。もう明日には離婚調停勃発だって。俺も天下の往来で人生の大先輩に舐めた口利きすぎたよ。ウルトラマンモス反省してる。はいじゃあ、アデュー」


 卍巴と人々が行き交う夜の歓楽街。

 草臥れたスーツのオッサンを雑踏の中に放流し、俺はため息を吐く。


「オイコラ、エリ」


 振り返り、自分をこの場に呼び出した全ての元凶に斜め下四五度から凄む。

 かくいう奴は当事者という自覚がないのか呑気にキャンディーをしゃぶり、つまらなそうにスマホなんぞ弄っておる。

 コイツいったいどんだけ太い神経してやがんだ? 合コンのハズレ回じゃねぇんだよ。テメェの引き起こした壮大なサーガのクライマックスくらい目ん玉見開いて涙ちょちょぎれろってマジで。


「ん? あー、終わったんだ」

「ご明察どおり終わったわ。ついでにあのオッサンの家庭も同時に終わりを迎えたかもしんねぇわ」

「じゃ、帰ろっか?」

「帰ろっか? じゃねぇんだよクソアバズレ。こんな夜遅くに『たすけて』なんて迫真の超意味深短文メッセージ送ってくるからソッコー駆けつけてみりゃ、むしろ助けてほしいのは公私に爆弾抱えまくってるオッサンのほうじゃねぇか。俺は名うてのラジオパーソナリティーじゃねぇんだよ。何が悲しくて中坊の分際で二回りも上の中間管理職様の気持ちに寄り添わなくちゃなんねぇの? 国語のテストでもこんなに真剣に作者の気持ちに寄り添ったことねぇわ。こんな切なくなったのはダディーが毎朝出勤するフリして公園で蟻さんの行列とのどかにお話してるとこを木陰からうっかり覗いちゃったとき以来だぞコンチクショウ」


 俺が口角泡飛ばし詰め寄ると、エリは多少申し訳なさそうに手を合わせた。


「ごめんごめん。いやね、あたしも気持ち頑張ったんだけどさ、あのオジサン追い払っても追い払ってもしつこく言い寄ってきてー、ちょっち無理っしょ?」

「うるせぇよ。こんな時間にこんなとこひとりでぶらついてる時点でテメェも有罪確定なんだよ。あのくらいのオジサマってのは、制服とギャルとミニスカートの三点セットを目の前にすると四足歩行時代まで脳が先祖返りしちゃう悲しき生き物なんだよ。DNAがあーしに優しくヌキヌキされたがってんだよ。わかったらいい加減そのワカメちゃんみてーな危なっかしいファッション卒業しろや」


 言って、膝小僧が丸見えになっている制服のスカートを指差す。


「そんなこと言って、正義だって見たいくせに~」


 ニヤニヤしながらベテランの手つきで、スカートを限界いっぱいまでたくし上げる。

 俺は反射的に目を覆った。


「ば、ばばば馬鹿言ってんじゃねぇよ。そんな見え見えの餌に釣られないっつーの。俺はパンツの奴隷じゃないっつーの」

「そーゆー割には指の隙間からガン見じゃん。正義なら幼馴染のよしみで一回千円で見せてあげてもいいよ? うりうり~、ほーら正直になれ~」

「ばっ、おまっ、やめろって。マジやめてくださいって言ってんだけど。なんでもしますんでそれだけは、って誠心誠意ご容赦願ってんだけど」


 言っておくが、俺は別にそーゆー本やビデオを忌避しているといったことは一切なく、むしろ人並み以上に嗜む健全な男の子である。

 ただ、それはあくまで自分にとって縁のない遠い世界の話であって、一五年間願ったわけでもないのに硬派一辺倒な生き方を貫いていたせいで、いまいちこういう現実での直球のお色気には弱いのである。身近な女といえばこのエリとお袋くらいだし、寄ってくるのはむさ苦しい野郎ばかりときたら、免疫のつく暇がない。

 俺は視線を無理矢理エリから引っ剥がし、踵を返す。

 すると、ちょうど真後ろにいたガラの悪いお兄さんと肩と肩で熱烈なベーゼを交わしてしまう。


「おっと、ワリ」


 俺は自分に非があると認めたときは素直に謝ることのできる偉い子ちゃんである。


「あアん?」


 だというのに相手はノータイムでメンチを切ってくる。困ったものだ。相手を許すことのできる動物は人間だけだというのに。人類みな兄弟。争いほど不毛なことはない。


「ア?」


 だけど俺も習性で睨み返しちゃう。だって男の子だもの。争い大好きだもの。

 一触即発。

 ――と思いきや、


「ヒッ」


 男の視線が左耳に移るとたちまち目の色が変わる。


「す、すいやせん。ちょっとよそ見してたもんで。これで命だけは!」

「え?」


 まだ何も言っていないのに懐から財布を取り出すと千円札を二枚、人のポケットに勝手にねじ込んで、呼び止める間もなく去っていく。


「おーい……」


 この心に灯ったもんをどうしてくれるだーい。仕様上、電球みたいに簡単にオン・オフできないんだぞーい。


「いやはや、いつ見てもえげつないご利益してんねーこれ」


 近寄ってきたエリが可笑しそうに、呆然と突っ立つ俺の左耳を触る。

 いや、正確には耳たぶの悪趣味なピアスを。

 それは二匹の蛇が互いの尻尾をシックスナインし合う妙ちきりんな造形をしている。

 中一の時分に裏通りの露店で見つけた、素人が手慰みで作ったらしいハンドメイド感あふれる安物アクセで、ウロボロスというらしい。

 メタルな髑髏や十字架で飾り立てたいおませさんだった当時の自分は、ついつい有り金をはたき、そのまま喧嘩喧嘩の日々に明け暮れた結果、今やご覧の通り見ず知らずの怖い方々から赤い羽根ならぬ青い顔募金を受け取る環境が万端整ってしまっているというわけだ。

 ……ふむ。

 なるほど、全面的に俺のせいっぽいからこの話題はまた今度にしよう。二度と掘り返さないけど。


「ったく、腰抜けばっかだぜ……」


 俺は天を振り仰ぐ。

 けばけばしいネオンサインに行き交うヘッドライト、煌々と看板を夜闇に浮かび上がらす無数の照明器具。そのせいで星ひとつ見えない空。


 だが、あの日見上げた夜空に瞬いていた星たちは、瞼を閉じれば今尚燦然と――


「もーらい」


 いざ心象風景の扉を開けんとする俺のポッケから、遠慮会釈なくエリが千円札を一枚攫っていく。


「おー待て待て、ちょっとV止めろ。人がそろそろ物憂げに共感を誘うモノローグと自己紹介でも……と思ったタイミングで何おイタ働いてんだよ。変形合体中は攻撃しちゃ駄目ってママンから教わったろ」


 俺が返せと掌を上に向けフリフリすると、エリは腰を捻って返金を拒む。


「別に貰ったもんだし、正義の分も残してあるんだからいーじゃん、ケチ」

「ケチじゃねぇんだよ。一応ガチの犯罪撲滅運動なんだよ。ベッドで子守唄代わりに所有権の尊さをフランス革命前夜からこんこんと語り明かされてぇかテメェ」

「ふーんだ、名前書いとかない正義が悪いんですー」


 なおもブー垂れるエリの手首を掴み、力づくで回収にかかる。


「イタタ、痛いって。そんな強く握ったら痣になっちゃうじゃんもー。サイアクなんですけどー。あ、わかった。こんなみみっちいから女のコにモテないんだ」

「え、待って。千円ごときで人格否定まで発展する普通? こう見えて超ナイーヴだから身も世もなく泣いちゃっても知らねぇぞコラ」


 心に治療費プライスレスの深手を負いながら、手を伸ばし捕捉にかかる。


「あー、手が滑った」


 捕まえたと思った瞬間、エリがイタチの最後っ屁とばかりにパッと手を開き、紙幣はひらひらと地面に舞い落ちる。


「チッ」


 デカく舌打ちをして膝を屈する。

 まったく、なんて罰当たりなアマだ。

 リストラされた父と小豆相場でボロ負けした母を持ち、一円を笑う者は一円に泣くを金科玉条にすくすく育った悲しい過去を持つ俺――桜木正義さくらぎまさよしは、皺くちゃな紙幣を拾い上げ、殺気の籠もった眼で睨みつける。

 ……え、これで俺の自己紹介終わり? マジ言ってる?


「はい千円」

「は?」


 唐突に言われ、即奪い返される。

 何が起きたのか理解しようとし、俺はゴーゴンに睨まれたヒキガエルよろしくコチコチに固まった。


「…………」


 三角形が、

 睨みつけた先で、白い夜空にピンク色をした夏の大三角形が、キラキラと美しく輝いていた。


「ニシシ、スケベー」


 頭上から降ってきたエリの言葉で、やっとこさ我に返る。


「……ちょ!? ばっ……はぁ!?」


 目を白黒させて飛び退く。


「い……いいいきなり何してんだテメコラ」

「あはっ、むちゃキョドってる~。顔真っ赤にして照れちゃって、超かーわいー。てか、そんな見たかったならお願いしたらいつでも見せてあげるのに~」

「……ア?」


 俺はキレた。

 これまでのやり取りを見てもらったら想像つくと思うが、俺は普段から寡黙なクールガイだが実は誰よりも熱いハートを秘めているとご近所の奥様方から噂されており、イジられることに極度に慣れていない。おまけに箸が転んだだけでプッツン来ちゃう、ウナギの完全養殖並に難しいお年頃だ。

 そんなシラスウナギがパンツ見せられて千円パクられてアンリミテッドパンツゲイザーの資格与えられてキレない方がどうかしてるって。だろ?

 つーわけで、反撃開始。


「え、照れてるって誰が誰が? ああ、お前? それとももしかせずともお前? まかり間違っても間違わなくてもお前? ちなみに俺は全然照れてませんけど。俺の心に屹然とそそり立つ不夜城は今宵も揺らぐことを知りませんけど。大体パンツなんて自信満々に破廉恥面してっけどたかが布だからな、布。それをションベン臭いガキが履いたらそんなんほぼオムツじゃん。あーだからションベンの臭いがしたのか。臭い臭い。鼻がもげるかと思った。さーて、口直しならぬ鼻直しにどっかに熟れきった昼下がりの団地妻が落ちてないか探しながら帰るとすっかなー」


 俺は一息に言い、刹那的なアバンチュールを求め、双眼鏡を模した両手を目に当てて舗装路をためつすがめつ視姦する。


「ぶっ」


 しかし、後ろから何かに突き飛ばされて、地面に五体投地した。


「ツーン」


 口いっぱいに土埃と吐瀉物が醸し出す芳醇なフレーバーが広がる中、素知らぬ顔で現行犯が通り過ぎる。


「ペッ! ペッ! ……あー、そこの淫乱ファッションビッチー、そこの淫乱ファッションビッチ左に寄って止まりなさーい。おー、こらこらシカトすんな。オメェだオメェ。この銀河でパンツ見せつけてくるビッチ気取りの未通女なんてテメェしかいねぇだろ。テメコラ、罪のない一般人殴っといて逃げようとはいい度胸じゃねぇか。誰のとも知れないゲロで俺のファーストキッス奪っといてただで済むと思うなよこのクソアマが。あア?」

「えやだ、なんかヤバイ人いる。ストーカー? コワ、バリコワッ。ちょっと、キモいんでーついてこないでもらえますー?」

「は? もらえませんが? 頼まれずとも迅速丁寧にお宅まで送り届けますが?」


 言いながら、嫌がらせでスリップストリームができそうなだけぴったりと真後ろにくっついてやる。


「…………」

「…………」


 向こうが速度を上げると、こっちもチビカルガモのように付き従う。


「……ウッザ」

「クッサ」

「臭くないし!」


 フン。何をプリプリしてるんだか理解不能きわまる。

 家がおんなじ方向なんだから仕方ないだろ。俺だってお前なんかと一緒に帰るのゴメンだっての。

 だからといって不倫カップルでもあるまいし、敢えて時間差を設けて帰るなんてしち面倒臭い配慮してられっか。

 それよりテメェの危機に颯爽と飛んで来た命の恩人に対して「ウッザ」はねぇだろ「ウッザ」は。

 ……いやまぁ、実際は危機でもなんでもなくて、むしろオッサンの家庭を絶体絶命のピンチに追い込んじゃった気がするけど。

 ついでだ。億劫でたまらないけど、一応紹介しておいてやろう。

 この目と鼻の先を歩く、いかにも頭が足りてなさそうなギャルかぶれ金髪頭ガールが斉藤エリ。

 家が隣同士の赤ん坊からの腐れ縁で、昔はどこにでもいる普通のアマだったのだが、二次性徴で脳に行くはずだった貴重な栄養を胸や尻に盗られてしまいパープリン化。以来この通りギャルに身をやつさねばならなくなった憐れな女である。

 チッ。折角人が紹介がてら後頭部に十円ハゲが出来るだけガン見してやってんのに、こちらをチラとも見ようとしない。

 まったく可愛げのないズベ公だ。たまにはマヨネーズとラードをうっかり間違えて「てへ☆」と頭を小突いて見ろっての。

 まあそんなこんなで、俺たちは五メートル違いの目的地に帰り、寝て、数時間後には学校に赴くのであったとさ。

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