第58話
その日はそう、大学の合格発表の日だった。
前話で勉強に勤しんでいると書いたと思う。僕は大学に進むつもりだった。それもそこそこ偏差値の高い大学だ。
氷月さんと同じ大学に行くのである。
僕は早くから電車に乗り、合格発表の会場へと向かった。
雪の降る東京は鉄の牢屋のように冷たい。灰色のビルと白い雪のコントラストが水墨画を思わせる。しかし無機質なコンクリートが熱を吸っているように目にも寒い。水墨画の方がよっぽど温かいだろうと思う。
もうこれが最後のチャンスなのだ。
氷月さんと再び付き合いたい一心で勉強に打ちこんで来た。高校が離れ離れ、大学も離れ離れとなれば、今度こそ会えなくなると思う。
もう耐えられない一緒に過ごせない時間が苦しいとか言われて、今度こそ縁を切られてしまうだろう。
最後のチャンスだ。
会場に着くと、入り口に氷月さんの姿があった。
「やぁ」
「……おはよう」
「行こうか」
「……うん」
僕達は歩き出した。
☆☆☆
道中、会話は無かった。
とにもかくにも合否を明らかにせねばならない。これが至福の時間となるか地獄の時間となるか。すべての明暗はこの先にある。
僕達は歩いた。
氷月さんが1556。
僕が1787だ。
この2つの番号があれば僕達のこれからは明るいものとなり、どちらか1つでも欠ければ永遠に光射すことも無くなる。
天国か地獄を分ける
「……着いた」
合格者の番号が書かれたボードの前にはたくさんの人がいた。友達と来ている人、親と来ている人、1人で来ている人。それぞれがそれぞれの人生を背負ってここに立っている。
僕達はジッと目を凝らして番号を探した。
ここに番号があるかどうか。それがすべてなのだ。
氷月さんも僕もボードをジッと見つめた。
しかし、凝視しすぎたせいか番号が揺れて見える。僕の番号は1787。あったか? いや、見逃したか? ………いま、何番だ?
……あれ、僕はどこを見ているんだ? 1778、1783、1784、1786………1789………あ、
………いやいや、そんなはずがない。もっとよく見るんだ。
1783、1784…………86……………89…………
僕は泣きそうになりながらボードを見た。と、隣で氷月さんが声をあげた。
「1549……51……53……54……あ………」
あった。
氷月さんの番号はあった。
54から飛んで56。ボードの中央付近にたしかにあった。氷月さんは自分の番号を見つけると深く息を吐いて俯いた。喜びをかみしめているようにも関門を突破しただけだと気を引き締めているようにも見える。しかし僕は追い詰められた気分だった。これでもう合格以外の道が無くなったのだから。
背水の陣だ。
それはそれとして、氷月さんの合格はおめでたい事である。
「凛」
「ん?」
「おめでとう」
「……まだ早い」
氷月さんはボードを睨んだ。
まだこれからだと言わんばかりに、自分の時よりも真剣な様子で番号を一つ一つ見極めていく。
僕はもう半ば諦めていた。
「本当にすごいよ、凜は。僕よりもずっと頭が良いし、努力もする。おめでとう、本当に」
「なにそれ、諦めたような言い方しないでよ」
「もっとまじめに勉強しておくんだった。模試だってB判定だったんだぜ。勉強嫌いの僕が合格しようなんて……どだい無理な話だったんだ」
「……諦めないでよ。Bならまだ合格する可能性あるじゃん」
「手応えが無かったんだよ。……ごめん、凜」
「まだ早い! まだ八重山の番号を見つけてない!」
「わっ、返せよ僕の番号札!」
氷月さんは僕の手から受験番号が書かれた紙を奪い取るとボードの最前列にズカズカと割り込んでいった。
だって、何度も見返したのだ。それでなかったのだから、僕は不合格なのだろう。
「………はぁ、情けないなぁ」
合格を夢見て勉強してきた。しかし、夢は夢。いくら見たって現実にはなり得ないのである。合格したら氷月さんと付き合える。それだけを考えてきたのだけど、夢は夢。
僕は不合格だ。だって番号が無いのだから不合格だ。
と、氷月さんが怒ったような顔をして戻ってきた。
なんで怒っているかなんて考えるまでもない。
「やっぱり……」不合格なんだ。
「来て」
「へ?」
「いいから来て!」
不合格なんだろうと言おうとした僕の手をむんずと掴んで氷月さんはズンズン歩いていく。やがてボードの前に到着すると「ほら」と指さした。
「……え?」
「これ、何番?」
「………なんで?」
「いいから、何番か言え!」
「……1787」
「誰の番号?」
「僕の………番号」
なぜ見逃していたんだろう?
1786と1789に挟まれたところにあった。
僕の番号が、あった。
僕は震える声で「………あった」と呟いた。
合格していた。僕は合格していたんだ。
信じられない。
「あるじゃん」
「うん……」
「合格だよ」
「うん」
「同じ大学に合格したんだよ!」
「……うん」
「なんで自信を無くすのよ! 合格したんだよ!? もっと自信もってよ!」
氷月さんは僕の肩を掴んでガクガクと揺さぶった。
自信を持てと言われたって、正直、今は無理だ。
「いや、なんか、夢みたいでさ……」
「はぁ!?」
「まさか僕が受かっているとは思わなかったし、めちゃくちゃ見落としてたから、もうダメかと思って……」
「はぁ……もう。じゃあ私から言うけどさ」
氷月さんは僕を抱きしめると「合格、おめでとう」と囁いた。
それでようやく実感が湧いてきた。
「……ありがとう」
「また2人で過ごせるよ。また一緒にいられるよ。ずっと、一緒なんだよ」
「……凛」
「うん」
「合格、おめでとう」
「ありがとう」
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