第55話


 七瀬は母に連れられて家へと帰された。氷月さんは僕を説得するという名目で遊園地に残った。


「……ごめんね。まさかおばさんに見つかるとは思わなくて」


 氷月さんはそう言ってベンチに座り込んだ。かなりのショックを受けたのだろう。バニラアイスの苦みだけが残ったようなしぼんだ表情をしている。


「しーちゃんの家族で一番怖い人だよ。たぶん許してもらえないと思うな」


「……僕がうかつだった」


「八重山のせいじゃない。絶対に八重山のせいじゃないから」


 そう言ってもらえると少しは気が楽になる。が、借りた覚えのない本でも失くしてしまうと居心地は悪いものだ。


 僕も隣に座る。すると氷月さんは僕の手を取って「それにね」


「しーちゃんはもともと夏の間だけって言ってたんだ」と衝撃の事実を口にする。


「……うん」


「夏の間だけ八重山と付き合いたかったんだって。口では厳しいことを言う子だけど、年頃の女の子なんだよ。私はせめて少しでも叶えてあげたかったんだ」


「うん、分かってるよ」


「ただ、普通の女の子らしい事をさせてあげたかったんだ。私、我慢できたよ。いっぱい我慢したんだ。きっと良い事になると思ってた……こんなことになるなんて思わなかったんだよ……」


「うん。分かってる。分かってるよ」


 氷月さんは顔をそらして俯いた。僕が肩に手を置くと、少し迷ってからその手をどかした。「ごめん、ちょっと、そういう気分じゃない」


「……そっか。この後、どうする?」


「……………すぐによりを戻すのは、無理かな」


「だよねぇ」


 僕はため息をついて空を見上げた。従妹が家の決まりを破って怒られたそばから付き合いなおすなんて薄情な真似は出来ないだろうと思っていた。氷月さんは優しい人だから七瀬を裏切ったりはしないだろう。けれど、時が解決すると思う。


 2学期が始まるころにはまた付き合えるだろう。僕はそれを待とうと思った。


「……多分、もう無理だと思う」


 だから僕は、氷月さんのこの言葉を弱気になったからだと捉えていた。


     ☆☆☆


 その日の夜。氷月さんの(七瀬の)家では家族会議が行われていた。


 その内容は、氷月さんの処遇であった。


「いくら未来さんの頼みとはいえこれ以上は聞けないわ。星がおかしくなったのはりんちゃんが来てからだもの」


「……遊園地で男子と歩いていたって?」


「そうよ。おじい様に聞かれたらとんでもない事になるわ」


 七瀬母が険しい顔をして氷月さんの方を見た。七瀬父は額を拭きながら女性たちの顔を見比べて小さくため息をついた。


「それで家に帰そうって……? 勘弁してくれよ。未来になんて説明すればいいんだ?」


「それはあなたが上手い事やりなさいよ」


「そんな……」


 どうやら七瀬家の実権を握っているのは母親の方らしい。父親はたじたじだった。


「急に転校させるってなったら手続きがいるだろ? 向こうの準備もあるし、うちの家訓で縛らないって約束させられたんだ。それで帰す理由が星が男の子と一緒に居たからって……絶対に納得してくれないよ」


「そうよ。星が男の子と遊ぶようになったのはりんちゃんが原因に決まっているわ。りんちゃんは自由にすればいい。でも、うちの事に関わるなら話は別」


「…………」


 氷月さんと七瀬は何も言えなかった。氷月さんと七瀬母は血縁ではないのによく似ている所があると僕は思う。氷のように冷たい所など特にそうだ。


 氷月さんの血筋は父親の方のはずなのに、妹に似た人を選んだという事だろうか。


「凛ちゃんには2学期が始まるまでに未来さんのところに帰ってもらいます。それでいいわね?」


 こうなると可哀相なのは父親だった。また氷のような人を相手にしなければいけないのだから、その心情は察するにあまりあるだろう。


「……よくない」


 と七瀬が呟いた。


「……星?」


「よくない! ひづ姉さんは何も関係ない! 全部私がやったことだから怒られるのは私だけでいいでしょう!? どうしてひづ姉さんのせいになるのよ!」


 七瀬は初めから夏の間だけと決めて付き合っていたのだ。誰にも迷惑をかけないように、両親を困らせないように、彼女なりに考えて行動していた。


 七瀬は母にそれが理解してもらえない事が腹立たしかった。


「私たちはあなたのためにやっているの。どうして分かってくれないの?」


「私のためにひづ姉さんを巻き込まないで! 私のこと何も知らないくせに私のため? ふざけないでよ!」


「何言っているの。私はあなたの母よ? あなたの事は誰よりも理解しているわ」


「……分かってない」


 七瀬は声を震わせていた。


 彼女は友達が欲しかった。親友が欲しかった。恋人が欲しかった。


 くだらない事を話せて、何でもない事で笑い合えて、小さなことでも喜びあえる友達が。それだけで彼女は頑張る事ができた。


 それを、母親は何にも理解していなかったのだ。


「もういい」七瀬は部屋を後にした。


「……………」


「あの子。本当におかしくなっちゃったわね……。それもこれも」


 七瀬母が氷月さんを睨みつける。父はおろおろしていた。


 氷月さんは「申し訳ありませんでした」と頭を下げると、さっさと部屋を出て行ってしまった。


 氷月さんの引っ越しの日が来週に決まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る