第53話
七瀬星と付き合ってくれと氷月さんに頼まれてしまっては、僕は断る事ができない。
あの我慢知らずが言うのだから相応の理由があるはずなのだ。断るとむしろ機嫌を損ねる気がするので、僕は大人しく従っていた。
「先輩先輩! 私ね、今日ね、100メートル走で先輩に勝ったんだよ!」
「そうか。すごいな」
「それに自己新も出たの! 先輩のおかげで最近すっごく調子が良くて、もう全部が楽しいんですっ!」
「お、おぅ……」
「先輩に会えるって思ったらすっごく元気が出て、なんだかいつも以上の力が出せちゃうんですよ! なんでかなぁ、これが恋をするってことなんですかねっ!」
「し、知らないけど……」
七瀬の敬語が消えるのに時間はかからなかった。お家デートを重ねるたびに七瀬は奔放になっていき、スイッチのオンオフの境目が消えるのも時間の問題と思われる。
「先輩、引いてます?」
「ぶっちゃけな」
「ぶぅ……。自分でもおかしいとは思ってるんで別に良いんですけど……」
「いや、まぁ、それが七瀬の素なら別に良いんだけど、あまりの変わりように驚いてしまってな」
「本当……自分でもびっくりです。あれも言いたいこれも言いたいってなってて、気づいたら私ばっかり話しちゃって。先輩、つまらなくはありませんか?」
「つまらなくはない」
「良かった……」
こうしてしかつめらしい七瀬が現れるときはむしろ気をつかっている時なのだと僕は最近気づいた。
頭に手を乗せて「そんなことを気にするくらいなら、もっといろんな話を聞かせてくれ」と撫でてやる。すると七瀬はすぐにとろけた顔で「えへへ……」と僕にすり寄ってくるのだ。
後輩というよりかはもはや犬だ。でも僕はそれで良いと思う。氷月さんが良い方向に変わっていったのは我慢する時間が減った結果だと僕は考えているので、七瀬を変えるにはこうして素を出してやるのが一番だと思うのだ。
小さな頭を僕の肩に乗せて七瀬は「甘えん坊の後輩は嫌いですか……?」と訊いた。
「これが七瀬の素なら、僕は喜んで受け入れるよ」
「違うんです、そうじゃないんです、先輩の本音が聞きたいんです」
「……甘えん坊の先輩の方が好きだな」
「じゃあ絶対に無理じゃないですかぁ」
「うん、無理だ」
「………………」
「でもこの可愛さは七瀬にしかない。そう思うよ」
「せんぱぁい………」
こうなると、あとはお決まりのスイッチオフモードだ。
僕は七瀬の望む言葉を囁き続ける機械となり、七瀬が身を寄せる止まり木がごとくジッとするのである。
☆☆☆
遊園地に行きたいと言い出した。
「わぁ……! 人がいっぱい!」
「おい、駆け出すな!」
「じゃあ捕まえてください!」
聞けば遊園地に行ったことが無いのだという。僕は近所の遊園地を調べて遊びに行くことにした。
が、着いてすぐに後悔した。
「私がしーちゃんの全国祝いをプレゼントしたってことになってるから、我慢してね。八重山」
「……またむつかしいことを要求するなぁ」
「なに。美人2人に囲まれて嬉しくないの?」
右手に氷月さん。左手に七瀬という、超修羅場のど真ん中に立たされるとは思いもよらなかったが、しかし、買えりが遅くなる日が増えれば不審に思われるという至極もっともな意見を氷月さんに突きつけられ、七瀬の全国出場祝いという名目で、従姉妹同士の外出に、こっそり僕が付いて行く、というていで、僕と七瀬は遊園地デートを実現させた。
「嬉しいよ。嬉しいけど……」
「けど?」
「凛と2人きりが良かった」
「………ばか」
氷月さんは僕の腕をつねった。痛い。
「それ、しーちゃんの前では絶対に言わないでね? いまの私は彼女じゃないんだから」
「分かってるよ。さて、あの陸上部員はどこに行った?」
何と言ったって今日の主役は七瀬なのだから、彼女がいなければ始まらない。
「…………………」
「……マジでどこに行った?」
僕は辺りをキョロキョロと見回す。夏休みの遊園地だからそれはもうすごい人出だ。親子連れや友達グループの多い事多い事。部活のメンバーで来ているのかお揃いのジャージの団体もいた。
しかし、薄い緑色のワンピースを着た七瀬の姿はどこにもなかった。と、突然肩を叩かれ、「わっ!」と七瀬が隣に現れたではないか。
ずっと背後に隠れていたのだろうか。ぜんぜん気づかなかった。
「おっと、びっくりした」
「びっくりしてます? それ」
「びっくりしてる」
「してないように見えます」
七瀬が顔をしかめた。僕は「マジ?」と氷月さんの方を見るが、氷月さんも「いつも通りの仏頂面ね」と言う。そんなに表情の変化が分かりづらいのだろうか。これでも驚いているのだけれど……。
「も~おどかしがいが無いなぁ、先輩は」
「僕はそんなに仏頂面か?」
「いつも通りです。本当に」
「そうか……」
「なんで先輩がへこんでるんです?」
「情緒は豊かな方だと思っていたから……」
「「はぁ?」」
2人がはもったのが、何より悲しかった。
☆☆☆
それからゴーカート、コーヒーカップ、ジェットコースターなど、様々な乗り物に乗った。
「そして、遊園地に来たならここによらなければなりますまい!」
七瀬がふんすと腰に手を当てて見上げたそこは……
「お化け屋敷ぃ?」
「そうです! デートの定番! 怖がる彼女を彼氏が優しく抱き留める夢の場所です!」
「………………」
読者諸賢は覚えているだろうが、僕は怖いのが大の苦手だ。ドラマや映画やテレビ番組でさえ無理なのに、お化け屋敷なんて。絶対に無理だ。嫌だ。勘弁してくれ。
「吊り橋効果ってヤツね。同じ恐怖を共有した人同士が恋に落ちやすくなるという」
「そうです。ひづ姉さん。その通り! さっ、行きましょう先輩!」
「…………………」
「………先輩?」
僕は、怖いのが、苦手だ。
しかし七瀬は来栖同様怖いのが平気なようで、
「いーきーまーすーよー」と、ぐいぐいと僕を引っ張る。氷月さんは面白がって「彼氏のかっこいい所を見たいのが女心よ」と言う。
「…………七瀬」
「はい?」
「骨は拾ってくれ」
「…………?
七瀬はきょとんとした顔で「はぁ」と答えた。
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