第51話
「先輩。ひづ姉さんと別れてください」
と、いきなり言われたって困る。
僕達の関係は良好である。自分に必要だから別れてくれなんて、売り物のぬいぐるみではないのだ。傲慢にもほどがある。しかし七瀬はそれも承知しているのかこう続ける。
「先輩がひづ姉さんと別れるべき理由があります。父も母も成人前の恋愛には否定的です。ひづ姉さんは父と仲の悪い叔母さんの子供です。きっと、先輩と付き合っている事が発覚したら家から追い出されて転校させられる。それは嫌でしょう?」
「付き合っていることくらい隠せば………ああ」
関係を隠すなんて簡単だろうと言いかけて僕は思い出した。学校でどれほど辛酸を舐めたことか。なんでバレないのか不思議なくらい氷月さんは分かりやすかったじゃないか。
氷月さんに隠し事は無理だ。それがこんな所で僕達を苦しめるとは思わなかったが、七瀬の言っている事に信ぴょう性を感じるには充分だった。
「しかしだなぁ、そう言われたからって別れるわけにはいかない。どんな経緯があっても僕と凛が過ごした時間は本物だ。バレたらどうするかなんて僕達で考えるさ」
「……先輩も、もう、好きなんですか。姉さんのことが」
「うん、好きだ。だから別れない」
僕はきっぱりと言い切った。好きと面と向かって言うのはまだ恥ずかしいけれど、これは紛れもなく恋なのだろう。いま七瀬から突きつけられた事実を氷月さんと2人で乗り越えるにはどうしたらよいか。それを相談しようと思うのは、僕が氷月さんを信頼しはじめている証拠なのだと思う。
「君の苦しみは僕には分からない。友達になって欲しいというならいくらでも力になってあげたいよ。でも、別れろと言われて別れようと思うほど優しくはないのだ」
「…………」
「友達じゃあ、いやか?」
僕は善人では無いが悪人ではないと思っている。助けて欲しいと言われたら助けたいと思う普通の人間だ。七瀬の要求はつまり信頼できる人が欲しいという事なのだろうと思う。それは友達ではダメなのだろうか?
僕はそう思うのだが、七瀬の求める関係は、そうではないらしい。
七瀬はジッと固まって、何か考えているようだったがやがて意を決したのか顔をあげて「……私は本気なんです」
「もし付き合っていただけないなら、ひづ姉さんと先輩の事を両親に告発します」と言った。
「……………」
「私だってこんな事したくないんです。でも、そうしなきゃいけないって思うくらい先輩が好きなんです。誰に非難されたって良い。もうどうしようもないくらい、先輩の事が恋しいんです………」
「そう言われて悪い気はしないが……」氷月さんが納得しないだろうと思った。
あの人の事だからぎゃんぎゃん騒ぐに決まっている。絶対に別れないと突っぱねたうえで、七瀬の力になれと無茶を言うに決まっているのだ。来栖のときがそうだった。僕の事を過大評価しすぎだ。あの人は。でも、そう言われて悪い気はしない。あの人も僕の事を信頼してくれているのだから。こんな形で裏切るわけにはいかない。
僕はそう思っていた。
「でも先輩。ひづ姉さんは付き合って良いと言ってくださいました」
「はっ?」
「別れてもいいと言ってくださいまじた。だから」
「……………なぜ? 僕はそんな事聞いていない。せめて氷月さんと話を―――」
「ダメです。ひづ姉さんは会いたくないと言っています」
何かがおかしい。あの人がそう簡単に諦めるとは思えない。
おそらく氷月さんも似たような言葉で脅されたのではないかと思う。
七瀬の家の事情を誰よりも知ってる氷月さんだから断れなかったのかもしれない。
だったら、僕も大人しく七瀬に付き合うしかないのだろう。
しかし、別れるつもりは毛頭ない。
気持ちが離れてしまったなら仕方がない。しかし、外的要因による離縁など僕は認めない。
「分かった。付き合ってもいい」
「――――ッ! 本当ですか!」
「ただし、スマホは凛に返してやってくれ」
「……分かってましたか」
「急に連絡が途絶えたとなれば、だいたいの原因は推察できる」
「お見事です。さすが先輩」
「凛のプライバシーだってある。実害が出たらいらん心配をされるぞ」
しかし七瀬は「大丈夫です」と言って頷いた。
「この2日間で来たのは先輩からのラインと、来栖さんからの先輩の寝顔だけでしたから」
「……………」なんて可哀そうなんだ。
「……他には?」
「……ないです」
「………………」
「……やっぱり、あの、ひづ姉さんに連絡してあげてください。……その、はい、ごめんなさい……」
「やりすぎは、良くないぞ」
「だって、こんなに誰からもラインが来ないとは思わなかったんですもん……」
………これで再び氷月さんと連絡が取れるようになったが、最初に慰めの言葉をかけた方が良いだろうか。
………いや、聞かなかった事にするのも優しさだ。
僕は、さっき聞いた事は忘れようと決めた。
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