5章
第49話
次の日から氷月さんと連絡が取れなくなった。ラインに既読がつかない。通話も出ない。会いに行こうにも家を知らない。これでは関係を断絶されたようなものである。しかも最後の言葉が不穏なだけに何もできない時間が苦痛だった。
「それでゆりを頼るなんて……けっこう追い詰められてる?」
「追い詰められてる」
「ふぅん……やえちんがそう言うならヤバいんだねぇ」
何を思ったのか僕は小日向ゆりねを頼って、彼女のバイト先のコンビニを訪れていた。
「でもそれって、もう氷月さんと付き合ってるのを認めるようなもんじゃん?」とゆりねは商品をレジに通しながら言う。天然水、ミルクティー、漫画雑誌、ホットスナック、お菓子。買うつもりは無かったけどコンビニに行くのに手ぶらで帰るのも悪いと思ったので買う。小遣い暮らしの僕には痛い出費だ。
「……あ」
「無自覚かい。まっ、隠すにはそれなりの理由があると思ってたけどさ。前向きに考えられるようになったのは進歩だね」
「僕はいつの間に素直になってしまったんだ……」
「今の方がゆりは好きだなー。あ、袋いる?」
「いる。ていうか、シフトはいつ上がりだ? 聞きたい事がやまほどあるんだが」
「何を聞きたいのか知らないけどさ、他人の個人情報なんて話さないよ? ゆり」
「別に個人情報ってほどでもないが、七瀬星という女子がどんなやつか、知りたいだけなんだよ」
「ふぅん……1637円でーす」
「たっか」
「お菓子を買いすぎ」
僕はしぶしぶ財布を取り出して千円札2枚と137円を渡す。「お、現金派か。同士だ」とゆりねはなぜか嬉しそうに500円のお釣りをくれる。
「まぁいいや。シフト上がったら教えてくれ」
「あ~今日は遅いよ。明日で良い?」
「大丈夫だ。じゃ、バイト頑張れよー」
僕は袋を受け取って店を出る。
「あれ、やえちん! チョコとミルクティー忘れてるよ!」
「ん、それはやる。買ってから思い出したんだけど、僕は人工甘味料が苦手なのだ」
「チョコ3個も買っておいて!?」
何と言われようと苦手なものは苦手だ。「バイトの合間にゆっくり食えばいい」と答えて、本当にコンビニをあとにした。
「ミルクティーもこのために? やえちん、嘘が下手だなぁ……」
何とでも言えば良いと思う。
☆☆☆
というわけで翌日。僕はゆりねを誘って近くの喫茶店へ来ていた。ゆりねはホットパンツが隠れて見えないダボダボの白いTシャツ姿だった。普段のぬいぐるみのようにフワフワした可愛さから一転、シュッとしたかっこよさが絶妙に噛み合っている。
「んで? 七瀬星って子の事が知りたいんだっけ?」
頬杖をついてストローの刺さったコップを揺らしながらゆりねが言った。中身は当然ミルクティーである。
「私が知ってるのは、七瀬さんのお爺さんが有名な書道家で、古いしきたりとかが厳しいってこと。男子と話すのもダメ。手を繋ぐなんてもってのほか。家に招いたりしたら男子ともども家の外に放り出されるらしいよ」
「息が詰まりそうだな……」
「でしょ? でも七瀬星って子もなかなかのくせ者で、小学生の頃はよく口ごたえしてたらしいよ」
「なんて?」
「あんたたちはどうやって私を産んだんだって」
「わぉ」
「しかもそれに加えて、あんたらが私を産んでる以上、男女でいちゃついた前科は拭えないんだから説得力が無い。とまで言い切ったこともあるそうだよ」
「そりゃけっこうなくせ者だ……。凛とはどういう関係があるんだろう?」
「氷月さんのお母さんと七瀬さんのお父さんが兄妹なんだったかな? 親戚になるらしいんだけど、あんまり兄妹仲は良くないみたいだね」
「はぁ……大変だなぁ凜も……」
僕はそう答えてミルクティーに口をつけた。本格と書いてあったから頼んでみたけど、あまり甘くない。これが本格か。ゆりねは甘い方を飲んでいる。お子様め。
「しかし、ゆりねは本当に何でも知ってるんだな」
「えっ?」
「ん?」
「いや、名前……」
見ればゆりねは恥ずかしそうにきょどきょどしていた。どうしたというのだろう。
「やえちんが下の名前で呼んでるとこ初めて見たかも」
「ああ、なるほど。来栖は苗字だもんな」
「ゆりもこの間まで苗字で呼ばれてた。何があったの」
「何があったと言われてもなぁ……」
僕は別に名前で呼ぶのも苗字で呼ぶのも意識はしていないのだけど……というか意識して変えたのは氷月さんだけなのだけど、それは言わないでおこう。
「ゆりねの方が可愛くて良いだろ」
「ゆりもゆりの名前は気に入ってるけど……」とゆりねはそっぽを向いて「やえちんに呼ばれるとなんか恥ずかしい」となぜか不貞腐れた。
「そういうお前だってやえちんって呼び方はどうなんだ?」
「い~じゃん。距離を詰めるのにあだ名が一番早いんだよ。もちろん、苦手そうだなって思った人にはやらないよ?」
「僕はそこそこ苦手なんだが」
「でもやえちんはやえちんだし」
「理論を捨てるな!」
☆☆☆
午後から友達と遊びに行くというゆりねと別れて僕は図書館へと向かった。
宿題もラストスパートである。来栖のご期待に沿えなかったのは遺憾である。今日すべての宿題を終わらせて一泡吹かせてやらねば気が済まない。氷月さんの事は早急に解決すべき問題ではあるが、こちらからの連絡手段を断たれてしまった以上、別の手段を取るしかないと思われる。
残っているのは宿題は、苦手な地理と相対性理論と超ひも理論が登場するまで頑張らないと決めた物理だ。
「………………」
「………………」
ペンを走らせていると隣に誰かが座る気配がした。女の子だ。
「先輩が『ケンジさん』だとは思いませんでした」
「………なぜ、君がその名を?」
「こう言っても信じてもらえないでしょうけれど、先輩の事はずっと前から存じておりましたから」
「………………」
「お忘れでしょうね。小学生のとき、夏祭りで迷子になっていた女の子のことなんて」
隣の女の子が僕の手を取る。
男子の事が大嫌いだという評判だったはずだ。
「……『ゆめさん』はてっきり凛の事だと思っていたが、あれは、どういうことだ?」
「そのまんまの意味です。先輩とマッチングしたのは、私だったんですよ?」
「自分のスマホは親に監視されているから従姉である凛のスマホを使ったというわけか」
「ご明察です。アプリのやり取りも全部私がしてました。なのにいざ会う段階になったらしゃしゃり出て……トンビに油揚げを取られた気分です」
僕はノートから顔をあげて女の子の顔を見た。
本当の『ゆめさん』を名乗り、僕がかつて適当につけたハンドルネームを知っている、その女の子は………
「なので、今度は私がひづ姉さんから奪ってやるんです」
陸上部の期待の星。七瀬星だった。
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