第48話


 氷月さんは部屋でしょんぼりしていた。


「くそぅ……しーちゃんのせいでこんなことに………」


「ひづ姉さん。何か仰いましたか?」


「何も言ってません!」


 氷月さんは今、1個下の従妹と一緒に宿題を片付けている最中だった。


「本当なら今頃八重山と木実と一緒に仲良くお話しながら和気藹々あいあいと宿題をしている――――」


「その八重山って人が出会い系の『ケンジさん』なんですね?」


「出会い方はそうだけど、優しくて気が利く良い人だもん!」


「その出会い方が問題なんです! うちは厳しいんですから勘弁してくださいよ」


「うぐぅ………」


 氷月さんの隣で怖い顔をしている従妹というのが、誰あろう、交友関係に厳しいと噂の陸上部の期待の星、七瀬星だった。


 まず、この日の事を話しておこう。


     ☆☆☆


 氷月さんはいつも通り起床して朝日に挨拶する。部屋を出ると従妹の七瀬と鉢合わせたのでここでも挨拶。リビングに向かうと新聞を読んでる叔父さんと朝食を作る叔母さんがいたので再度挨拶。


 朝食を済ませて出かける準備をしていると、部屋に七瀬が入ってきた。


「ひづ姉さん。お出かけですか?」


「そう。友達の家で勉強会」


「毎日毎日精が出ますね。今日もとは恐れ入ります」


 氷月さんは僕とデートするとき、必ず友達の家で勉強すると言って家を出ていた。


「そろそろ宿題も終わったのでは?」


「いや、2年生の宿題を舐めない方が良い。かなりあるから」


「へぇ、大変なんですね」


 氷月さんは要領が良いのでもらうそばから宿題を済ませていた。実は夏休みが始まるころには8割ほど終わっていたのだが、家を出る口実が無くなってしまうと困るので嘘をついているのだ。


 七瀬はふんふんと後ろ手に両手を組んで部屋を歩き回った。と、机の上に僕が送ったネックレスが飾ってあるのを見て「おや?」と、手に取る。


「姉さん、こんなネックレス持ってましたっけ?」


「ああそれ、貰ったの」


「八重山に?」と七瀬がそれとなく言った。


「そうそ…………う。八重山っていう、女の子の、友達に……」


「男ですよね」


「あ、え、えーっと、時間だから、もう行くね………」


「男、ですよね?」


 そそくさと部屋を出ようとした氷月さんの肩を捕まえて、七瀬が顔を覗き込む。


 こういう時に詰めが甘いのが、氷月さんだ。


「この間は恋人と仰いましたが、女の子だったんですか?」


「いや、その八重山とは別の八重山で八重山がいっぱいいて困ってるんだよ――」


「出会い系の事、両親に告発しても良いんですよ?」


「……………………」


 というわけで、氷月さんは七瀬に監視されているのだった。


     ☆☆☆


「もうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだ………」


「電話をかけてきたと思えばいきなりそれか……誰にバレたって?」


「本家の子。七瀬星っていう1年生の子なんだけど、まあ、正確に言うならバレたって言うか嘘を重ねたと言うか……」


 氷月さんはいまトイレに隠れて電話をかけているらしい。小声で、耳をくすぐられるようでこそばゆい気分になる。


「七瀬星……どこかで聞いた覚えがあるな」


 と、僕がもらすと、向かい側で英語に取り組んでいた来栖が顔をあげて「七瀬星?」と興味ありげな顔をした。


「知ってるのか?」


「知ってるもなにもけんジィ会った事あるでしょ。ほら、前に購買で……」


「あーーー。あの?」


「そう。あの」


 どの七瀬星か未だにピンと来ていないが、来栖が会ったことがあるというのならそうなのだろう。「ほら、小っちゃい凛みたいな子」


「ああ、あれな、男嫌いの……」


「そうそう」


 と来栖の声が聞こえたのだろう。「木実がいるの?」と僕を疑うような声が聞こえた。


「いるぞ。お泊りだ」


「は?」


「しかもパジャマだ」


「はぁ!? ちょっとかわって!」


 僕は来栖と顔を見合わせた。「いいから!」


 氷月さんのワガママが始まれば誰にも止められない。しぶしぶ代わると「大丈夫? 八重山に変な事されてない?」と不名誉な言葉が聞こえた。


「変な事を……」と僕が苦々しい顔をすると、来栖は唇を押さえる妖しい表情をして僕を見つめた。「えへへ……うん、大丈夫だよ」


「……………」また変な事をされそうで怖い。ベッドに罠を設置しておいた方が良いだろうか。


「なら良いんだけど……変な事されそうになったらすぐに言ってね。私が怒るから!」


「大丈夫だよぉ、それで、星ちゃんがどうしたの?」


「あ、それは、八重山と話したいかな」


「そうなの? じゃあ代わる――」


「あ、木実! 八重山の寝顔よろしく」


「おっけい。バッチリおさえとくよ」


 何やら肖像権を踏みにじるような密談が交わされている気がするが女子に逆らうと怖いので黙っておく。


 それよりも怖い事が氷月さんの口から告げられる。


「……まじ?」


「……まじ」


 そのために僕らの関係は根底から揺らぐことになるのだけど、それを説明するためには僕達が出会う前から話さなければならない。と、氷月さんが言った。


 彼女が何を言ったのかは来栖がいる手前伏せておくけれど、詳しい事が聞きたいのは僕も同じである。


「どういう事なんだ凛」


「えっと、それは…………」


 しかし、そこで電話が切れてしまったので何も聞くことができなかった。

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